パスワードは一万年愛す。タイムレスなスタイルは、過去も未来も時を超えてゆく!

■音楽|スリー・ディグリーズのメドレー カバーだけど侮れない魅力あり

この記事は約7分で読めます。

これは、なかなか素敵じゃないか

 ある日、往年のソウルが聴きたくなってYouTubeで検索してみた。

 その結果が表示されたなかに、オリジナル以外のカバーバンドの動画がいくつか混じっていた。そのうちの一つが冒頭に掲載した「スリー・ディグリーズ」の名曲メドレーをカバーしたライブ動画である。

 これが、意外にも(失礼ながら)侮れない魅力があり素敵だった。当然、本家スリー・ディグリーズの動画も観てみたが、意外や意外、カバーの方が捨て難い魅力を放っていた。あくまで個人的な感想であり、気のせいかもしれないが。

<メドレー曲目リスト>
(1)Dirty ol’man (2)When will I see you again (3)Giving up, giving in

カバーバンドの侮れない魅力

%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-09-19-16-31-40

「スリー・ディグリーズ」といえば、1970年代に数多くのヒット曲を出した女性3人組のボーカルグループだ。代表的なヒット曲は、「天使のささやき」「荒野のならず者」などが有名である。なお、本家ではメンバーが一定せず15人も入れ変わっているそうだ。日本でも人気が高く、何度も来日公演をしている。

 冒頭動画のカバーバンドであるが、「Soul Weaving」というバンドらしい。九州の久留米、福岡などを拠点に、ライブハウスを主な活動場所としているようだ。あまり詳しくは分からないが、2012年ごろから活動しているとか。

 バンドの構成は、ギター、ベース、ドラム、キーボード、そして女性ボーカル3人となっている。楽器構成は少ないが、ライブ動画を観る限り十分なサウンドを奏でている。そして、女性ボーカル3人はそれぞれ歌唱力に優れていて、また見事なハーモニーも魅せている。(ちなみに現在はボーカルメンバーが4人になっている)

 この女性ボーカル3人は、かなり歌唱力のある実力派と思われる。とくにセンターボーカルのソウルフルな歌声(3曲目)には迫力を感じてやまない。

 本家のオリジナル性に敵わないのは当然であるが、しかし、カバーとしての魅力は十分に発揮している。また、本家にはない違った魅力も備えている。

音楽の、ソウルの魅力が伝わってくる

 それが何かといえば、バンドから「楽しいという想い」が伝わってくるところだ。(それはカバーバンドとはいえ、プロ意識の賜物かもしれないが)

 例えば、左端(向かって)のボーカルさんは、コーラスの途中でくるりと一回転したところでマイクにぶつかるアクシデントに見舞われて、「あっ、やっちまったな」とばかりにその失態をにが笑いしながら歌い続けている。

 そのとき、おなじ気持ちが観客にも伝わり一瞬場が和んだようだ。

 それが、なんとも微笑ましくて好感がもてた。微笑ましいのが魅力というとバンドは心外かもしれないが、それもカバーならではと思われるがいかに。とにかく「音楽は楽しい、歌うことは楽しい」、そんな想いが伝わってくるようだ。

 さらに、個人的には左端のボーカルさんが、ソロで歌っている(2曲目)ときワンフレーズごとに顔を右側に傾けるのが気になって仕方がなかった。その仕草はよく似合っていたが、それは本家では見られないのは言うまでもない。

 本家を野性的なソウルの魅力とすれば、このバンドには一味違ったマイルドなソウルの魅力を感じる。端的にいえば、洋食と和食の違いに例えられるか。

 このように少し違う角度から観るとカバーにも新しい発見があり、本家のオリジナルとは違う意味で、興味深い魅力が潜んでいる。

 上の動画は、冒頭とおなじ曲目であるが、右端のボーカルさんがクローズアップされている。この右端のボーカルさんは、失礼ながらどこの街でもスーパーにいけば、必ずいるような奥さんのように見受けられる。違うか。

 しかし、そこがなんとも微笑ましい限りだと感じます。なにしろ、どこにでもいる奥さん(あくまで想像)が、ソウルフルなナンバーを熱唱しているのだ。本家にはない魅力は、きっとそこにあるのではないか。

 なお、失礼と承知しながらも、そう思わざるをえませんでした。あしからず。あくまで個人的見解ですので、その点はご了承ください。

 それはさておき、ボーカルのみなさんの歌がうまいのは間違いない。演奏も少ない楽器編成ながら十分なサウンドです。首都圏でもライブをしていれば、一度は行きたいと感じてやみません。とてもソウルフルなカバーバンドであると個人的には思いました。

<Soul Weaving/バンドメンバー>
Vo:yoko、rika、ray、mami
(動画;向かって左から、rika、yoko、ray)
Key:ゆか
Dr:せいぼう
Gt:サッチン
Bass:しげ

Soul Weaving公式サイト

BEST OF THE THREE DEGREES
70年代中期に日本でも絶大な人気を博したスリー・ディグリーズのベスト!
BEST OF

カバーバンドに幸あれ!

 ところで、このようなカバーバンドの動画には必ずディスる人が少なからずいます。やれ下手くそとか、音程が外れてるとか、どーでもいい重箱の隅を突いてわざわざコメントする物好きが世の中にはたくさんいる。

 いったいそこに何の意味があるのかと思わざるを得ません。余程自分の音楽感性の優秀さをアピールしたいのでしょう。しかし、そのような人に限って自分が何をしてるかを明かすことはありません。違うか。

 カバーバンドは、政治家や経済人たちのようにディスられても仕方がない鵺(化け物)とは違って、音楽を通して楽しさを共有しようとしているに過ぎません。それが好きでなければ聴かなければいいだけである。

 カバーは音楽文化のひとつであり、音楽を豊かにする要素でもある。カバーを聴いて、オリジナルにたどり着く人もいるはずです。ある意味では、カバーバンドは音楽の底辺を支えていると言うことができるでしょう。

 カバーバンドの皆様には、心ないディス・コメントなどにめげず、自らの信じる活動をこれからも続けて欲しいと切に願います。

ライブが観られる、大人の夜の社交場が待たれるか

 かつて、日本には大きなクラブレストランがあり、そこではライブが行われていた。代表的なものでは、「ニューラテンクォーター」「ミカド」などがあった。ただし、そこにはホステスさんがいたので誰でも行けた訳ではない。

 高級クラブにライブステージがあったと思えば、あながち間違いではない。それは、大人の夜の社交場ということができるはずだ。政治家や芸能人も多く集っていたといわれる。また、流行もそこから生まれていた。

 現在では、若い芸能人は六本木などのクラブ(音楽とダンス)へ、年配は銀座のクラブ(ホステスがいる)が社交場となっている。

 かつてのような音楽と飲食が融合した大人の社交場は、少なくなっている。音楽を主体としたライブハウスも数多くあれど、大人が集うところはやはり少なくなっている。音楽の対象が、若者に偏重しているからに他ならない。

 ところが、最近の社会事情を鑑みれば、少子高齢化という世の中にある。右を見ても左を見ても年配者が目立つ有様だ。

 音楽の売り上げが低迷しているのは、ある意味では若者偏重のせいではないかと思えてくる。マーケットのボリューム層への商品(音楽)開発を怠っているように思えてならない。年配が音楽を聴かないとは思わない、違うだろうか。

カバーバンドの可能性はいかに

 上記した前提を考慮すると、「ライブステージ」「飲食」「カバーバンド」という三位一体は、ありかもしれないと思えてくる。ホステスは抜きにして、音楽と食事とお酒が楽しめれば、それに越したことはない。

 そのように思う大人がきっといるはずだ。大人の社交場の復活だ。ただし、繰り返すが、ホステスさんは抜きにしてだ。「妻(愛人でもいいけど)を連れていくことができる、大人の社交場」、それが新しいコンセプトである。

 似たようなものは「ケントス」やその他にも存在しているが、当方などが考えるものと何かが違う。それは場の雰囲気というか、空気感が懐古的に過ぎるきらいがあるからだ。懐かしいだけでは拒否感を感じる人もいる。

 懐かしいというのは、実は年配はあまり好きではない。なぜなら、それは終わったことだからだ。一捻りして現在にも通じているという概念でなければ、共感を呼べない。現在にも生きている、それは自信にもつながるからだ。

「ライブステージ」「飲食」「カバーバンド」の三位一体で現代に蘇る「ニューラテンクォーター」が待たれる、そんな予感がするがいかに。

 ただし、しつこいがホステスさんは抜きにしてだ。

おまけ/本家スリーディグリーズ

追記:
 あくまで個人的見解であるのは言うまでもありません。あしからず。

なかの綾/エメラルド・イン・パラダイス
大人の社交場がよく似合う歌手、なかの綾の最新アルバム!
昭和最後のキラ星、なかの綾がサード・アルバムをリリース!今作は、勝負をかけたオリジナル曲、そしてキラーなカヴァー曲を収録。
エメラルド・イン・パラダイス

コメント