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■社会|未来のクルマ社会はどう変わるか 都会はクルマ離れ、地方はクルマ依存が進んでいる

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自動運転車は社会構造を転換させるか

東京と地方、2極化するクルマ事情

 都会では、クルマはどちらかといえば不便という認識にあるが、その一方で、地方ではクルマは必需品となっている。とにかく地方では、わずか100メートル移動するにもクルマで行くといわれている。それが本当かどうかは知る由も無いが、地方におけるクルマ意識を端的に言い表しているのは間違いない。

 ちなみに、地方とは何処を指すかといえば、首都圏でいえば東京以外は、すべて地方である。別の物差しでいえば、地下鉄があるかないかで区別ができるだろう。公共交通網が発達していれば、それは都会の証拠である。

 都会では渋滞が激しく、また駐車スペースにも限りがある。一般人は通勤にクルマを使うことはまずない、それは一部の特権者(経営者など)だけに許されている。一般人は通常クルマを使わないが、それでも道路は混雑してやまない。

 一方地方では、一般人はクルマがないと通勤もできないし、コンビニでバイトするにもクルマが必要と言ってもいい。ショッピングセンターには広大な駐車スペースが用意されていて、そこに徒歩で行く人は皆無となっている。

 都会ではクルマがなくてもなんの不便も感じないが、地方ではすべてのインフラがクルマを前提にして用意されている。都会では歩くことが普通であり、地方では歩いていると変わった人(変人)とされてしまう。

 この都会と地方の意識の差は、想像以上に大きいと言わざるを得ない。

 現在、都会では「脱クルマ依存」に、地方では「クルマへの強依存」という正反対の方向を歩んでいる。はたして、未来ではどちらの方向へシフトしていくか。それとも、別の道が用意されているか。

 その鍵を握るのが、「自動運転車」の普及と、その利点を活かした新しい交通システムの構築にあるといわれている。

 そして今更言うまでもなく、クルマの内燃機関は電気や水素、またはハイブリッドなどの省エネ技術に転換されるのは間違いないと思われる。

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自動運転車 テスラ/モデルS

地方では、歩いていると変人扱いされる!

 都会ではクルマがなくてもなんの不便も感じることはない。混雑する道路事情や維持費などを考えると、むしろ非合理的といえる。

 ところが地方では、これが正反対となっている。クルマは生活の中心にあり、いわば生命線になっていると言っても過言ではない。それが証拠に、地方では一家にクルマが2台、3台は当たり前といわれている。

 地方のクルマ依存を象徴するのに、巷で言われているのが「わずか100メートル先にもクルマで出かける」というものだ。これはある意味でいえば、昨今の省エネルギーやエコロジーの趨勢とは真逆の行為であるに違いない。

 たった100メートルなら歩いた方が場合によっては早いし、また健康的ではないかと都会人は考えるが、どっこい地方人は違っているようだ。

 地方では、交通網の中心は道路となっている。したがって、クルマに依存する生活を余儀なくされている。はじめは遠距離や中距離で使われたが、やがて近距離までクルマ移動が当たり前となって、現在では100メートルまで縮まったようだ。

 地方ではクルマで移動するのが習慣化し、当たり前の行為となった。そして、鳴くことを忘れたカナリアのごとく、地方では歩くことを忘れてしまったようだ。地方には緑豊かな自然も多いが、日常生活は反自然的といえるかもしれない。

 ある記事によれば、地方では歩いているだけで「変人」扱いされるそうだ。地方人の常識では、移動はクルマでするものであり、無目的の散歩や散策などは不審者扱いされて、歩いているだけで通報されることもあるとか。

 なぜ、そこまでクルマに強く依存しなければいけないのか、それは地方特有の交通インフラにあるということもできるが、背景には地方特有の意識があと押ししているようだ。それは、地方=田舎特有の共通感覚(同一的価値観)というものである。要するに、他人と価値観が同じ(同一)であることを重視する。

 みんながクルマで移動するなら「同じことをしなければならない」、という一種の強迫観念かもしれない。言葉を変えれば、村八分という差別を恐れている。

 そこが都会の意識や価値感と大きく違うところだ。

 都会では、隣に誰が住んでいようとあまり気にしない。近隣でのコミュニティも無いに等しい。価値観が異なっていても、それが問題視されることもない。他人と異なることは当然であり、むしろ個性として尊重される土壌がある。

 一方地方では、端的にいえば同一化が求められる。いわば共通感覚を通じて形成される地方特有の濃厚なコミュティの場への参加が重要視されている。

 確かでは無いが、日本の地方は何処に行っても似たような光景が広がっている。それも、上記した地方特有の共通感覚が影響しているのかもしれない。

 都会を擁護し、地方を揶揄するつもりは毛頭ないが、一見すると自然豊かに見える地方には、それと引き換えるように生きにくい事情が垣間みえるようだ。

 また、都会の方がいいとか、地方はひどいとか言うつもりもないが、考えるに、どちらも行き過ぎた面が多々あるように感じられて仕方がない。東京は人口は多く交通網も発達している、地方は人口は少ないがクルマに依存し過ぎている。

 東京は、日本の大部分を構成する地方からみれば、別の国のようだ。

 ちなみに、当方は地方出身者です。上記した内容のなかで、地元の事情を参考としたのは言うまでもありません。

車の使用率が年々上昇、徒歩での移動はわずか11%!
この結果は、群馬県が昨年11月に実施した、「パーソントリップ調査(『人の動き』実態調査)」で明らかになったもの。前橋市など県南部の21の市町村の約6万世帯を対象に調査を行い、約13万人から回答を得た。

日常の移動を交通手段別に見ると自動車が77.6%で最も多く、徒歩(10.6%)、鉄道(2.5%)やバス(0.3%)といった他の移動手段を大きく上回る。77.6%という数値は、熊本市(64.3%)や福井市(76.7%)など他の地方都市が過去に実施した調査と比較しても高い。

群馬県が過去に実施した同様の調査を見ると、自動車の比率は、1978年で45.2%、1989年で59.6%、1993年で62.4%となっており、年々自動車依存が進んでいることがわかる。

4人に1人が100mの距離を車移動
また、移動手段を距離別に見ていくと、自動車で移動する割合は「0~100メートル」で26.3%、同様に「300~500メートル」は49.8%となっている。県民のおよそ4人に1人が100メートルの距離の移動に車を使っている。500メートルにいたってはおよそ2人に1人が車を使っていることになる。

自動運転車が変えるかもしれない未来

 化石燃料を使用しない(直接に)クルマづくりが進展化している。ドイツでは2030年までに従来のガソリンやディーゼルを廃止にするといわれている。

 これには、ドイツのEU内での優位性獲得という戦略が透けてみえるが、方向性は間違っていないと思われる。新しいエネルギーは、電気、水素、プラグインハイブリッドなど、いくつかあるがどれが本命かはまだ不明である。

 クルマの未来には、エネルギーともうひとつの課題がある。

 それが「自動運転車」である。現在、電気自動車のメーカー「テスラ」が先行しているが、まだ自動運転というには程遠い内容となっている。

 しかし、既存の自動車メーカーも自動運転車の開発に積極的になっていることから、近い未来にはかなりの進展が期待される。

 最終的にはAIを搭載し、さらに交通システムのネットワークと繋がった自動運転により、ドライバーは不要となり、人間はただ座っているだけでよくなることが予想されている。それがいつになるかいえば、2020年代後半だといわれている。

道路に注意を払う必要がないから、車内でほぼなんでもできる。自動運転車はあらゆる備品が揃った移動式リビングになり得る。
ニューズウィーク2016/10/18

<自動運転の進化の段階>
1)運転ミスの防止…2000年代〜
2)時折ハンドルから手を離せる…2015年〜
3)運転席で読書が可能に…2017年〜
4)ドライバーは座っているだけ…2020年〜
5)ドライバーが不要に…2020年代後半〜

ニューズウィーク2016/10/18より

 自動運転車が普及すれば、大都会の慢性的な渋滞というデメリットを解消できるといわれる。それは、自動運転により渋滞を引き起こす要因である車間距離などが改善されること、さらにはネットワークと繋がることで交通システム全体をコントロールし、クルマの流れを調整できるからといわれる。

 また郊外の活性化に繋がるともいわれる。なぜなら、通勤時間が苦にならなくなるからだ。自宅の居間が移動していると考えればいい。

 当然、自動車事故も減るに違いない、また通勤などで運転する余計なストレスからも解放される。さらには、カーシェア(複数人で使用)を組み合わせれば、クルマ全体の台数を抑制できるといわれる。

 もし自動運転車のカーシェアが広がれば、広い駐車場は必要がなくなるそうだ。なぜなら、システムと繋がった自動運転車は、乗客を降ろせば次の予約客を迎えに行くことになるからだ。またドライバーがいないから休息も必要がない。

 自動運転車は、クルマを個人で保有するという従来のあり方を根底から変えるかもしれない。自動運転とネットワーク交通システムが結びついて渋滞がなくなれば、従来の公共交通以上の新しい交通網が誕生してもおかしくない。

 日本でこのような自動運転車と新交通システムが稼動すれば、きっと地方も変わるはずだ。現在の地方には、都会のような交通システムはないが、自動運転車ならそれに匹敵する交通網がつくれる可能性がある。

 都会では今以上に便利になり、地方も活性化する機会が訪れるかもしれない。

 地方では意識や価値観も変化し、新しい人材の流入につながるのではないか。

 ただし、自動車メーカーがどう考えるか。クルマの個人所有が減少することを望んではいないはずだ、しかし時代の要請には逆らえないかもしれない。

 自動車メーカーが、未来の自動運転車でいかに儲けるか、その回答が見つかったとき、一気に自動運転車の開発、普及が加速すると思われるがいかに。

追記:
 アップルやグーグルなどのIT企業も自動運転車の開発にしのぎを削っていたが、両社とも本体の製造からは撤退した。これからはソフトの開発に重点をおいて、自動車メーカーへの提供をしていくようだ。

 IT企業がつくるクルマがどんなものか見てみたかったが、やはり、既存の自動車メーカーが、製造では主導権を握りそうである。

 自動運転車を中心とした新交通システムには、クリアしなければならない課題が数多くある。そのひとつは、従来のクルマの稼働をどうするかである。自動運転車だけなら制御できても、そこに従来のクルマが入ればどうなるか。

 たぶん、混乱を招くと思われる。それを単純に解決する手段は、自動運転車しか公道を走れなくすることだがいかに。

参考文献:ニューズウィーク日本版2016/10/18

画像:テスラ/モデルS
引用:http://response.jp/imgs/thumb_h2/1073189.jpg

自動車産業が壊れる日 自動運転の“先”にある新秩序 Wedgeセレクション
「世界最先端の地」シリコンバレーでは、日々Googleの自動運転車が涼しい顔をして公道を走っている。いま、日本が誇る自動車産業は、その誕生以来最大の危機を迎えている─。
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