■時代と流行|ビームス40周年 セレクトショップと東京カルチャーストーリー

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東京カルチャーと共に歩んだセレクトショップ

 セレクトショップの先駆けとなった「ビームス」が、40周年を迎えた。ビームスは、1976年にわずか6坪のショップを原宿にオープンして以来、実に40年に渡って東京のファッションやライフスタイルに影響を与えてきた。

 そのビームスが、40周年を記念して東京のファッション、ミュージック、カルチャーの40年の変化を網羅した動画「東京カルチャーストーリー」を制作し公開している。これが、なかなかビームスらしい出来栄えで興味深い内容となっている。

 その東京スタイルともいうべきライフスタイルの変化は、そのまま日本のヤングカルチャーの歴史でもあると言っても過言ではない。

 ビームスは、デザイナーズとは違いセレクトショップの概念どおり、時代の変化をキャッチアップしながら、たえず変化し時代と共に歩んできた。ビームスの歩みを振り返ると、そこには時代を捉えるアンテナがあったといえる。

ビームスの歴史は、日本のヤングカルチャー史


ビームス40周年キャンペーンポスター。なかなか贅沢なビジュアルのポスターです。(神宮前2丁目辺りにて、撮影:村田賢比古氏)

 1976年、原宿に「ビームス」はオープンした。わずか6坪のショップにアメリカ西海岸のファッションやカルチャーを展開していた。創業者の設楽悦三は、段ボール類製造会社の新光株式会社の社長をしていた。

 セレクトショップ「ビームス」は、いわば新規事業として開始されたと言っていいだろう。ちなみにオープン時の店長は、重松理だった。重松は、のちにビームスと袂を分かち「ユナイテッドアローズ」を創業している。

 70年代中期〜後半にかけて、日本では一大西海岸ブームが起きていた。同時期にマガジンハウスの「ポパイ」が創刊された。このポパイに、ビームスの商品が度々紹介されたことで、経営の基盤を築くことができたといわれる。

 80年代になるとビームスは、渋谷をはじめ次々と新店舗を開発していた。展開する商品群も、もはや西海岸にとどまらずもっと広い視野で集められていた。この時代にセレクトショップとして開眼したと言ってもいいかもしれない。

 1983年、創業者の設楽悦三に変わって、息子の設楽洋が社長に就任した。設楽洋は元電通社員であり、マガジンハウスとも関係が深く、ポパイなどとの関係構築に貢献したといわれる。ちなみに、サッカー選手三浦和良の妻りさ子の旧姓は、設楽であり親類であるらしい。

 80年代後半、絶好調にあったビームスでは、当時常務で商品政策の要であった重松理以下、約30名が退社し、ユナイテッドアローズを創業した。ビームスでは、商品政策の要が抜けたあとを、若手MDを抜擢しなんとか苦境を脱している。

 余談であるが、重松理はユナイテッドアローズの前に、たしか「マリナドブルボン」という欧州貴族ティストのセレクトショップを原宿にオープンしていたはずだ。しかし、バブルがはじけてアッと言う間に無くなったと記憶にある。

 90年代になると、バブル崩壊もあって一気に後退したデザイナーズに変わって、セレクトショップが台頭していた。そのなかでも、ビームスは時代をリードする存在として価値を高めていた、渋谷カジュアル(渋カジ)をはじめ、一世を風靡した渋谷スタイルの中心勢力となっていた。

 90年代のJPOPブームや渋谷系といわれる音楽が台頭するなかで、おなじくビームスをはじめとするセレクトショップが俄然注目を集めていた。90年代のビームスは、時代といわばリンクしていた感が強く印象に残っている。

 90年代以降、ビームスは単なるセレクトショップにとどまらず、生活全般、カルチャーにまで影響をもたらすようになっている。そして、それは現在も継続中であるのは言うまでもない。

 セレクトショップとは、ある意味ではいま話題のキュレーション(ITではクソと同義であるが)に通じるものがあるだろう。世界中から情報を収集し、選択し、再編集して紹介する、という一連の流れはおなじと思われるが。

 しかし、ITのクソなキューレションとは、一線を画しているのは言うまでもない。ビームスには、プロの目線があり、哲学があり、また顧客目線も兼ね備えている。それは「言うは易し、行うは難し」であるのは間違いない。

 プロの目利きと顧客目線の両立、それがビームスが40年に渡って時代の真ん中にいられる理由ではないか、と思う次第である。

 ちなみに、当方は90年代までは、ビームスの顧客のひとりであった。しかし、2000年代以降は、ほぼ遠ざかっている。なぜなら、もう若者ではないからだ。

<セレクトショップとは>
 自社ブランドだけでなく、他のブランドをショップ独自のセンスで選んで扱っているショップ。主に海外のものを扱っている店のことを指す場合が多い。独自のこだわりに基づいたライフスタイル提案型のショップともいわれる。

東京カルチャーストーリー
登場衣装 ※一部抜粋(公式サイトより引用)
1976~79年: UCLAスタイル / ヘヴィーデューティー / アウトドアスタイル / サーフスタイル / シティボーイ / ディスコスタイル
1980~89年: 竹の子族 / カラス族 / 第一次DCブランドブーム / パンクス / オリーブ少女 / 渋カジ
1990~99年: グランジ / アンダーカバー / 裏原ムーブメント / B-BOY / アムラー
2000~09年: ニューグランジ / LAセレブ / 森ガール / エレクトロスタイル / 甘辛ミックス
2010~16年: 山ガール / ニューシティボーイ / パステルカラー / ノームコア / ミクスチャースタイル / アンバランススタイル

東京カルチャーストーリー公式サイト

WHAT’S NEXT? TOKYO CULTURE STORY (マガジンハウスムック)
いまでは、世界のファッション都市となった東京。すべては、1976年からはじまる。『POPEYE』の創刊と「BEAMS」のオープンをきっかけに変わり続けてきた東京のファッションとカルチャーの40年の物語。
WHAT'S NEXT? TOKYO CULTURE STORY (マガジンハウスムック)

1970年代以降のファッションヒストリー

<70年代>
 60年代の熱い政治の季節は終焉し、70年代は新しい若者文化の時代が始まっていた。女性誌の新しい波として、「アンアン」「ノンノ」が創刊されてファッションの新しい時代の幕を開けていた。

 70年代は、デザイナーが多く誕生し注目されていた。日本では三宅一生やケンゾーなどが登場していた。その他にも80年代のデザイナーズブームの牽引役となったデザイナーが、この時代に芽吹きはじめていた。

 70年代中期には、パンクが登場しファッションにも多大な影響をもたらしていた。同時期には、西海岸ブームが到来していた。マガジンハウスの「ポパイ」はその牽引役となり、多くの模倣雑誌を生んでいた。

 ビームスは、西海岸ブームに寄り添う形で登場していた。

その他キーワード…アンノン族、ベルボトム、ホットパンツ、ニュートラ/ハマトラ、ヘビーデューティーなど。

<80年代>
 80年代、感性の時代が幕を開けた。ニューリッチがもてはやされる一方で、新しい感性、創造性が重要視されていた。金に糸目をつけない高級ブランドから、新興のニューブランドまで、ブランドという価値が注目された。

 海外の高級ブランドが需要を高めると同時に、日本独自のデザイナーズブランドが一気に花開いていた。猫も杓子もブランドを求める時代となっていた。

 東京では大型のディスコが隆盛を極めていた。そこでは、「ボディコン」と呼ばれた体にフィットしたミニスカワンピースが女性のあいだで定番となっていた。このボディコンは、デザイナーズと共に80年代を代表するファッションとなった。

 80年代後半、バブルが頂点に達しようとしていた。そのとき、なぜか上品、上質というキーワードが注目されて、それが「渋カジ」となって現れてきた。上品質な紺のブレザーが爆発的に売れたといわれる。

その他キーワード…竹の子族、DCブランド、ボロルック、カラス族など。

<90年代>
 91年にバブルは崩壊した。その影響もありファッションは、80年代のブランド偏重、装飾過多から、シンプル&シックへと移っていた。

 そして、着飾るファッションではなく、カジュアルで着心地の良いストリートファッションが好まれるようになった。音楽ではヒップホップやクラブシーンなどが注目され、それに倣うようにファッションも影響を受けていた。

 90年代は、カジュアルの時代ということもできる。ナイキやアディダスが一大ブームとなり、また裏原宿のストリート系ブランドも注目された。

 80年代は、女子大生がもて囃されて一大ブームとなっていたが、90年代では女子高生が流行を牽引していた。ルーズソックス、やまんばギャル、厚底ブーツなど、いずれも女子高生が流行の発信源となっていた。

 男子中高生のあいだでは、アメリカのヒップホップの影響か、腰パン・腰穿きというスタイルが流行っていた。一方、女子高生では茶髪でミニスカが定番となっていた。女子高生のミニスカは、現在も継続中である。

その他キーワード…アニエスベー、シャネラー、チビT・ヘソ出しルックなど。

<2000年代〜現在>
 ファッションは、多様化の時代となった。80年代のデザイナーズや、90年代のカジュアルなどの流行一辺倒ではなく、個人の価値判断で自由に着こなす。

 いわば、ミックスおよびコーディネートの時代といえる。ブランドで統一することは、もはやダサいファッションであり、安価なファストファッションでも着こなし次第でオシャレとなることが重要視された。

 インターネットの普及で服もネットで購入する機会が増えた。店舗で見て確かめてから、購入はネットでというスタイルも定着してきた。

 リアルな店舗は、同時にネットにも通じていなければならない時代となった。

その他キーワード…ミュール、ローラライズ・ジーンズ、ニーハイブーツ、カラータイツ、スキニージーンズなど。

参考:
20世紀渋谷・原宿若者文化年表

流行ファッション/年代流行

写真引用:ビームス、東京カルチャーストーリー公式サイトより
ポスターの写真:村田賢比古氏(Kai-Wai 散策)

THE CURATOR’S HANDBOOK―美術館、ギャラリー、インディペンデント・スペースでの展覧会のつくり方[キュレーターズ・ハンドブック]
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