■時代と流行|ラブホテルという不思議空間 花も恥じらう男と女の秘密の隠れ宿

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ラブホテルを記憶遺産に

 日本には、「ラブホテル」という不思議空間がある。

 ラブホテルは、日本の男女の営みの秘密の花園として、長く愛され重宝されてきた。かつては「連れ込み宿」といわれていたが、日本の高度成長に合わせて「ラブホテル」に変貌し、現在では「ファッションホテル」といわれるようになった。

 しかし名前は変われども、変わらぬのはその利用方法である。男女の営みが永遠不滅であるように、その場を提供するラブホテルも同じかといえば、昨今ではそうでもないようである。なぜなら、少子高齢化の波が影響しているからだ。

 昭和の残影が残るような、派手な装飾や回るベッドがあるラブホテルは、いまや風前の灯火らしい。このままでは、記憶の彼方へと消えるのみだろう。

 日本固有の文化であるラブホテルの灯火が消えるのは、時代の変化に伴う宿命とはいえ実に残念至極である。あとは文化遺産、または記憶遺産への登録を待つばかりか。

 時代の変化とともに消えゆく文化は数々あれど、日本固有の文化であるラブホテルが無くなるのはなんとも寂しい限りだが、しかし男女の営みがある限り、姿形を変えてきっとなんとか継続していくに違いないと思うがいかに。

 はたして、次世代に向けてメタモルフォーゼした「ラブホテル」は、いったいどんなものだろうか。それが気にかかる。

<牡丹の間> 
作詞:藤公之助 作曲・編曲:井上堯之 歌:萩原健一

急須にポットにお茶菓子ふたつ、手持ち無沙汰につまんでしまう

お茶をどうぞと差し出す手元、小さく震えるお前が愛しい……

「牡丹の間」は、萩原健一の異端のアルバム「惚れた」に収録された曲です。たぶんラブホテルと同系統の旅館を舞台にしたと思われます。まるでドラマのような情景が浮かんでくる歌詞が秀逸であり、とても味わい深い曲になっています。

連れ込み宿、ラブホテル、そしてファッションホテルへ


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 ラブホテルは、和製英語で海外に広まった数少ない例のひとつだそうだ。

 そして海外では、それをおもしろ可笑しく紹介するのが定番となっていた。かつてのラブホテルのなかには、中世のお城を模したような外観や、ギラギラとした派手な装飾を施したものが多く、それがラブホテルを定義していた時代があった。

 ラブホテルが一番輝いていた時代は、やはり70年代かと思われる。モータリゼーションが発達して、日本の津々浦々までラブホテルが乱立していた。そして、それを象徴するかのように、東京目黒にラブホテルの殿堂「目黒エンペラー」が誕生した。

 目黒エンペラーは、中世のお城を模したラブホテルの尖兵となった。また、高級なラブホテルという新しい市場を開拓していた。

 70年代に隆盛を誇ったラブホテルはいったん頂点を迎えたあと、80年代になるとホテル「1983」に代表される、装飾性を省いたシンプルでシックなホテルが登場している。「1983」は、ファッションブランド「BIGI」の経営者がオーナー(確かではない)だった。お洒落なティストを売りにしたラブホテルの進化系といえる。

 その後、お洒落系ラブホテルは、ファッションホテルとして、90年代以後は定着していった。いまでは、そちらが主流であるのは間違いない。

 昭和の残影を強く残した、ゴージャスなお城系や装飾過多の派手な内装のラブホテルは、もはや希少的な存在となっている。時代の波といえばそれまでであるが、なんとも寂しい限りである。若い男女は、ぜひいまのうちに体験して頂きたい。

 ホテル「1983」は、たしか東京の青葉台にあった。いまはもうないが、当時(80年代)は、お洒落な若い人たちがこぞって利用していた。ホテルの備品が盗まれることが多かったといわれる。そこはやはり「BIGI」というブランド関連だったからだ。

連れ込み宿と高度成長期の関係式


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 ラブホテルの原型は、昭和初期の「円宿」というものらしい。江戸時代にも似たものがあったらしいが、それは玄人が使用するものだった。一般のカップルが利用したのは、昭和初期に登場した「円宿」からだったといわれる。

 それは太平洋戦争の終戦まで続いたが、その後は混乱期のなかで失われた。そして、高度成長期になってから現れたのが「連れ込み宿」だった。

 高度成長期になり、都市部に多くの人々が流入し、同時に宿泊施設のニーズが高まり、商人宿が続々と建てられた。カップルもそのような宿を多く利用した。そこに目を付けた旅館が、カップル目当ての宿泊施設に衣替えして繁盛したといわれる。それが、やがて「連れ込み宿」と呼ばれるようになった。

「連れ込み宿」が、特に急増したのは1960年前後だった。1961年には都内だけでおよそ2700軒に上ったといわれる。

「連れ込み宿」が繁盛した理由は、日本の住宅事情が影響していた。人口が増えるなかで、一方では住宅はとても狭かった。親や子供と同居していれば、夫婦の営みもする場所がなかった。そこで必然的に「連れ込み宿」の需要が高まったといえる。夫婦やカップルが、人の目を気にせずに唯一いられる場所となっていた。

 そして連れ込み宿は、やがてラブホテルへと進化していく。

ラブホテルの登場と全盛期


目黒エンペラー
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 60年代後半になると、「連れ込み宿」が廃れていき、洋風化した外観や内装を売りにした「ラブホテル」が登場して人気を博した。

「ラブホテル」は、和風旅館から洋風のホテルという変化をもたらした。70年代になると一般の生活様式も洋風化するなかで、それは必然の流れだったといえる。

 連れ込み宿で大儲けしていたオーナーたちは、この変化に乗り遅れまいと大金を掛けて次々と派手な外観のラブホテルを建造していった。とくに顕著だったのが、お城を模した外観のラブホテルであった。

 1973年に東京都目黒区の目黒川沿いにオープンした西洋の古城をイメージしたラブホテル「目黒エンペラー」は、その先駆けとなり、全国のラブホテル業者に多大な影響を与えた。以後は、異様な建物がラブホテルの主流となった。

 なぜお城かといえば、それは欧米志向が高まるなかで、一番わかりやすく、またゴージャスに見えたからと思われる。どこから見ても目立つし、いわば外観が宣伝の役目も果たしていた。その後、お城だけではなく、奇妙な外観をしていることがラブホテルの定番となっていった。

 また、ラブホテルは、派手な外観だけでなく、部屋に用意された備品類も凝った内容のものが揃えられていた。回る電動ベッド、人間洗濯機、プラネタリウム、ゴンドラ、ブランコといった、非日常的な装置があり、まるでそこは大人の遊戯場ともいえる趣を醸し出していた。

 70年代、ラブホテルは全盛期を迎えていた。ケバケバしいネオンサインにはじまり、中世のお城や教会、豪華客船に至る奇想天外な外観は当たり前となっていた。ホテルのなかに入れば、「ジャングル」「英国」「大奥」などをテーマに趣向を凝らした内装や備品が用意されていた。

 この当時のラブホテルは、まさに大人のテーマパークと言っても過言ではなかった。しかし、それも80年代となり、本物のテーマパーク「東京ディズニーランド」(1983年)が登場して、ラブホテルの異様な外観はたちどころに陳腐と成り果てた。

 そして、ラブホテルは、また新しい時代への対応を余儀なくされていく。

 1984年に風営法が改正(1985年施行)されて、ラブホテルは「店舗型性風俗特殊営業」と規定され、警察の監督下に置かれることになった。そのため、新たにホテルを建てる際、これまでのような奇抜な外観や内装によって、「ラブホテル」と定義されるのを避ける業者も出てきた。これが、ラブホテルのシティホテル化へと繋がっていった。

ラブホテル・コレクション(ビジュアルガイドブック)村上賢司
 ラブホテル・コレクション

当サイト関連記事:ラブホテル・コレクション 秘密の愛の花園?

都築響一の『ラブホテルーSatellite of LOVE』(アスペクト)に掲載された物件を中心に、関東と関西にある貴重な客室だけを記録したのが『ラブホテル・コレクション/甘い記憶』(監督:村上賢司)というドキュメンタリー映画である。
ホテル1983とファッションホテル

 80年代初頭、渋谷からほど近い場所に新しいタイプのラブホテルが登場した。それが、ホテル「1983」だった。噂では、ファッションブランドのBIGIが経営している(あるいは経営者個人)といわれていた。建物は、奇をてらったものではなく、いたってシンプルだった。内装は一言でいえば、お洒落なシティホテルという雰囲気だった。

 けっしてゴージャスではなく、あくまでシンプルで、かつシックなお洒落ティストで統一されていた。ラブホテルの常識である派手で、ケバケバしいところが一切なかったところが、なにより新しかった。

 80年代は、お洒落モードの時代にあり、ブランド品が売れまくっていた。若い人たちは、こぞって好みのブランド品を身につけていた。そんな若い人たちが、いざ愛を営もうとしても、従来のケバいラブホテルでは似合う訳もなかった。

 そんな時代に、ホテル「1983」は、若いお洒落人たちのニーズを満たすラブホテルとして重宝された。また、リーズナブルなシティホテル(代用)として機能したと言っても過言ではなかった。なにしろシティホテルは宿泊費が高く、愛を営む目的で泊まるには、少々懐が痛くなるからだったのは言うまでもない。

 ホテル「1983」では、アメニティグッズがよく盗まれたそうだ。やはり、ファッションブランド「BIGI」の経営だけあって、グッズ類がお洒落だったからだ。ちなみに、タオルや灰皿、その他備品類には、ホテルという文言はなく「1983」としかプリントがされていなかったそうだ。

 それらの「1983」のアメニティグッズを持っていることが、お洒落といわれたそうだ。あまりたしかではないが…あしからず。

 ラブホテルのシティホテル化という流れは、1985年に施行された新風営法の影響もあって、ラブホテルの進化系として主流化していった。そして現在では、ファッションホテルとか、デザインホテルと呼称されるようになっている。

女性が鍵を握るラブホテルの未来像


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 ラブホテルは、時代の変化とともに変遷を遂げてきたが、現在はどちらかといえば低迷しているようだ。そんなラブホテルの未来は、女性が鍵を握っているといわれる。なぜなら、ホテルや部屋を選ぶ主導権が女性にあるからだそうだ。

ラブホテルは時代を映す
 最近では、女性同士の純粋な宿泊客を対象にした格安の「レディースプラン」を提供するラブホテルも少なくない。高級感、癒やし、くつろぎといった「リゾート」感覚がコンセプトで、エステなどのサービスや、料理にも力を入れる。

 客集めに苦慮する昨今の事情を反映してのことだが、こうしたプランのもうひとつの狙いは、「次回は彼氏を連れてきてもらう」こと。部屋だけでなくホテルを選ぶのも女性、という確かな傾向があるに違いない。

 ラブホテルを社会学的なアプローチで研究してきた「金益見」さんは、ラブホテルの「未来像」として以下のようなキーワードを上げている。

 「高齢者の癒し」「快適なプライベート空間」「本物志向のデザイン」「機能の複合化」「外国人への対応」等々。

 はたして、未来のラブホテルはいかなる様相を示しているか。

参考文献:「ラブホテル進化論」金益見、ほか
外部サイト関連記事:日本にはなぜラブホテルがあるの?

冒頭写真/引用:http://www.nippon.com/en/files/b02702_ph05.jpg

金益見KIM Ikkyon
神戸学院大学講師。1979年大阪府生まれ、在日コリアン3世。神戸学院大学大学院人間文化学研究科地域文化論専攻博士後期課程修了。著書に『ラブホテル進化論』(文藝春秋、2008年)、『性愛空間の文化史―「連れ込み宿」から「ラブホテル」まで』(ミネルヴァ書房、2012年)ほか。 

ラブホテル進化論 金益見(文春新書)
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