衰退の象徴、地方再生とシャッター街のゆくえ
政府、シャッター街に課税強化か
いま世の中は好景気らしい、なにかというとバブル以来というフレーズがマスメディアの紙面に踊っている。本当か、という疑念が拭えない。データだけで見る限り、あながち嘘でもなさそうである。しかし、問題はその中身である。
求人倍率ひとつ見ても、数字のマジックが透けて見える。非正規の求人が大半を占めていると想像出来るがいかに。企業は、若干給料を上げてでも、すぐに首にできる人材を欲している。社員を幸福にする意欲は無いに等しい。
とにかく収益を上げることが優先されて、顧客を騙すことさえ厭わない。巷に跋扈する詐欺的商法が一向に減らないのが、その証拠だ。〇〇光の代理店などが平気で詐欺的商売ができる環境にあり、通信キャリアは知らんぷりを決め込んでいる。
社会全体的に世知辛い世の中となっているのは否めない。かろうじて潤うのは都会ばかりで、地方はどんどん劣化が加速している。
いまや地方の定番となったシャッター街は、もはや永遠にそのまま続きそうな雲行きにある。なぜなら、政府が推進する地方再生の施策が行き詰ってるからだ。地方再生は、コンサルばかりが儲かるという本末転倒の呈を成している。
地方再生(創生)には成功事例が無い(聴いたことがない)、このままでは地方のシャッター街の廃墟化が待ったなしとなっている。
そして、ついにというか、しびれを切らした政府は課税強化という伝家の宝塔を繰り出そうとしている。シャッター街の新陳代謝を促すという目的のようだが、しかしその効果には疑問しか思い浮かばない。
なぜなら、シャッター街の環境や構造をそのままにして、新しい借り手がいるとも思えないからだ。シャッター街には、深くて暗い人間の欲望が沈殿している。そこを越えていかなければ、再生はないに違いない。
政府の課税強化という打ち手は、もはや万策がつきた証かもしれない。
空き店舗活用へ課税強化 政府方針、異例の「ムチ」
地方の中心市街地の活性化に向け、政府は29日、空き店舗が立つ土地への課税強化を検討する方針を決めた。店が住宅を兼ねている場合、固定資産税は現在、最大で6分の1に減免されているが、自治体が判断すれば、この優遇措置の対象外とすることができるようにし、店舗としての活用を促す。
シャッター街の不都合な真実とは
シャッター街は、やる気の無さを象徴している
地方自治体には、空き家バンクというデータベースがあるようです。しかし、これが不動産の新陳代謝を促進しているか、といえばそうではないようです。なぜなら、たいした物件が登録されていないからです。
国土交通省実施の「平成 26 年空家実態調査」では、空き家にしておく理由の3分の1以上を占める37.7%の人が「特に困っていないから」と回答しているそうです。このようにして日本全国に空き家が広がっている訳です。
これとおなじく、シャッター街のオーナーたちも実はなんら困っていないから、シャッター街をそのままにしている、といわれています。
シャッター街のオーナーたちは、積極的に貸し出そうという意欲がない。それは、すでにそれなりの蓄えがあったり、他の収益があったりでなんら行き詰っていないからだそうです。すべてのオーナーがそうであるとはいえませんが、概ねそのような環境にあるようです。
シャッター街は、だいたい駅近くに存在しています。かつては繁華街であったが、モータリゼーションの進展に伴い、徐々に存在価値を失っていきました。
現在、多くの地方都市は中心の無い街、ドーナツ化現象が顕著となって定着してしまった。郊外の幹線道路沿いにはナショナルチェーンをはじめ、多くの大型店舗が広い駐車場を完備して顧客を待ち受けています。
一方、かつての駅近の繁華街はシャッター街となって人の気配さえない有様です。都会にいると信じられないが、地方では駅近でのテナントの空き物件が異様に目立ちます。それは、都会と違って駅近にたいしてメリットがないからだ。
クルマを中心に生活をする地方人と、都会人の生活とは雲泥の差があると考えた方がいいだろう。都会人の感覚では、地方再生や創生などできるはずがない。
その証拠に、都会のコンサルが介在した地方創生案件で成功したという事例を訊いたことがない。たんなる表面を取り繕うような施策ではなんの効果も無い。
シャッター街の実態は前述したように外部要因だけでなく、内部要因(シャッター街オーナーたちのやる気の無さ)の方が大きいと思われる。
人が集まらないのは、なにも駐車場が無いせいばかりではない。魅力的な商売をするという努力を放棄したオーナーたちのせいともいえるだろう。しかも、シャッター街にしたままでも、なんら困っていないことが、問題をさらに輪をかけて複雑にしている。街の魅力が失われていることになんの責任も感じていない。
「空き店舗への家賃補助金制度」というものがある。これは、シャッター街の店舗を、市民や学生活動の拠点やら、チャレンジショップなどに貸し出すことでオーナーには補助金がでるという制度である。
オーナーたちはなんの努力もせずに濡れてで泡という、「おいしい思い」をする制度だ。こんなことで地方創生ができる訳が無い。オーナーたちは、さらなるおいしい思いを期待して、補助金頼みとなっていくだけである。
シャッター街の問題の解決には、程遠いと言わざるをえない。
オーナーたちはなんら困っていないが、ひとたび街全体を俯瞰してみれば、静かに深く腐りはじめている。櫛の歯が抜けると次々と抜けていくように、シャッター街は広がっていくばかりだ。
そしてなにより問題なのは、シャッター街に巣食う意識や価値観が街全体に広がっていくと、街全体の魅力もシャッター街とおなじ運命となっていくに違いない。
これは「なんとかの法則(失礼ド忘れしました)」で実証済みである。シャッター街ではないが、ニューヨークでは落書きや破損箇所を放置すると犯罪が誘引されるという仮説から、落書きなどの問題を修正した結果、犯罪が減った事実がある。
シャッター街は、いわば落書きとおなじようにを街に悪影響を与える可能性がある。(やる気のなさ、低迷感といった)したがって、シャッター街を放置することは住民にとっても、やがて損失を被ることになると考えられる。
地方創生/まち・ひと・しごと創生総合戦略 (2016改訂版) 全体像
人が集まる、シャッターランド計画
とりあえず、人を集めろ
地方のシャッター街には、複雑に絡んだ要素があり一筋縄ではいかない。その証拠に政府は、シャッター街のオーナーに対し課税強化する方向で検討している。
しかし、課税強化でシャッター街の新陳代謝が進むとは思えない。なにしろ、そこには人が集まらなくなって久しいからだ。商売人はなにより立地を先に考える、現状ままの環境でテナントが集まると考える方がどーかしている。
そこで、ひとまず商売は傍に置いておいて、「人が集まる」場所を創出することに注力したらどうかと考えます。商売ができなければ、コストはどーするかということもありますが、それも要検討ということにします。
たんなるアイデアでしかありませんが、ローコストで活性化する可能性があるヒントがありました。それが以下のインドネシアでの事例です。
老朽化の激しい住宅街(スラム街)をカラーリングひとつで様相を一変させた例です。朽ちかけの老朽化した建物が、カラーペインティングを施されて、彩豊かな住宅街へと生まれ変わりました。
住宅街全体がまるでアート作品のような趣となっています。
そして、その結果これを見物にくる人が押し寄せているそうです。住民の気分が一新したと同時に、人も集まるという好事例となったようです。
なお、現物を見た訳では無いので、その実態は不明確です。
日本では、このままという訳にはいかないと思いますが、なにしろ国民性の違いもありますし、美的な意識、価値観も異なっています。ある程度の地方性や歴史を考慮しつつ、カラーリングやモチーフを選ぶ必要があると考えます。
優秀なクリエイティブディレクターであれば、きっといいデザインを提示してくれると思われます。実際のペインティングは、プロでなくとも学生やボランティアを募集することでイベント化すれば、より一層盛り上がるかもしれません。
街全体のイベントとすれば、対外的にもアピールできるし、ペインティングの過程から人を集めることができそうです。
たんなるアイデアですが、いかがでしょうか。(というかパクリですが)くそのようなアイデアですが、ないよりは少しはマシかと思って提示してみました。
問題点として、前述したように肝心のオーナーたちの了解が取れるか。そして行政の協力、支援が取れるか。さらには住民の賛成が得られるか、というところにあります。(当然、費用の問題もありますが、ここでは傍に置いておきます)
シャッター街ではないが、地方活性化のひとつとして歴史ある街並みや昭和レトロが活用される事例があります。有名なところでは川越などがそうですが、あそこは歴史ある建造物が集積しているから魅力を発しています。
しかし多くの地方都市では、中途半端な都会化が魅力を削ぐ結果となっています。それを考えると、カラーリングはありかもしれません。ただし、ある程度の集積された面として展開する必要があると思われます。
写真引用:
レインボービレッジ:インドネシア政府が232ドルのスラム住宅をペイントするために22,467ドルを投資し、結果は素晴らしい
人があつまる―浜野安宏ストリート派宣言 界隈・生活地・棲息都市
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