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■アート|ヴォーグのクラシックなファッション写真

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ファッションをアートにした写真家


1930年代のヴォーグを代表する写真家。ホルスト・P・ホルストの作品

1920年代から30年代に活躍したふたりの写真家を紹介したい。このふたりの写真家は、ファッションをアートに高めたと云われるほど有名である。ひとりは、ロシアからフランスに亡命してきた貴族の家系を有するジョージ・ホイニンゲン・ヒューネである。

もうひとりは、東ドイツ出身のホルスト・P・ホルストである。このふたりに共通するのは、ともに始めは写真家になろうと思っていなかったことである。ヒューネは、もとは画家を志していた。ホルストは、建築家を志していた。

しかし、かれらふたりは時代の流れに導かれるように写真家の道へと進む。それがまるで運命であるかのように!。

貴族的で気難しい、ジョージ・ホイニンゲン・ヒューネ

ファッション写真をアートに高めた第一人者といえば、このヒューネであろう。それくらい有名な人である。この人の名前だが、ゲオルギ・ホイニンゲン・ヒュネともいうらしい。ややこしい名前である。パソコンで入力するのに手間どったぐらいである。

それはさておき、このヒューネであるが、ペテルブルグで生まれている。父親は男爵であった。彼は、彫刻や絵画を勉強していた。

しかし、ロシアに革命が起きたのでイギリスへ、そしてフランスへと逃れてきた。フランスでは、映画のエキストラなどの仕事をし、やがてイラストレーターの仕事をするようになる。そのうちマン・レイと知り合い、彼のアシスタント的な仕事をし始めた。そこでは、なんとスタイリストのような仕事をしたようだ。

ヒューネは、美術に詳しくセンスがあった。彼はマン・レイのために小道具を用意し、モデルを探し後は写真を撮るだけという準備作業を行っていた。

この仕事が評価され、ヴォーグの編集者から一緒に仕事をしないかと誘われる。そして、パリのヴォーグの写真スタジオにおいて、カメラマンの下準備を行う監督のような仕事をすることになった。ある日、下準備を終えて後は撮るだけであったが、なぜかカメラマンが来なかった。

そこで、仕方なくヒューネが撮ることになった。これが評価され、1926年以降彼はヴォーグのカメラマンとして幾多の写真を撮ることになったのである。ヒューネの写真の特徴は、映画的であり、かつ絵画的でもあった。特に照明の使い方にそれが表れている。構図はシンプルだが、劇的な感じを与えるのは照明のせいであろう。

1930年頃には、彼はヴォーグの帝王と呼ばれるまでになっていた。貴族出身である彼は気難しく、わがままであったようだ。それもあって、1935年にはヴォーグとは、仲違いするようにして離れた。そして、彼の後任となったのが、ホルストであった。


ジョージ・ホイニンゲン・ヒューネの作品

気さくな男、ホルスト・P・ホルスト

ヒューネがヴォーグを去った後、その重責を任されたのがホルストであった。このホルストの経歴も面白いのである。彼はその人柄が大変魅力的で多くの人に慕われたそうである。この人柄が彼を写真家にしたようである。

彼もヒューネと同じように芸術に関心があった。彼はハンブルグのデザインスクールに通っていた。1920年代後半、まだ進路に迷っていたが、パリのコルビジェに事務所で働きたいと手紙を出した。

そして、1929年にパリへと出てきてコルビの事務所で下働きをするようになった。しかし、仕事はあまり面白くなかったようである。彼は建築にそれほど興味がなかったのかも知れない。

そこで、彼は街を探索することにした。いろいろな人と出会いがあった。そのなかには、なんとヒューネとも知り合いになっていた。ヒューネは、彼を気に入り写真のモデルにする。なんと、彼はモデルになったのである。そしてコルビの事務所を辞めたのであった。

アメリカン・ヴォーグのディレクターは、彼を気に入って何故か写真を撮らないかと勧めた。そして、ホルストはいきなり写真家となってしまった。

1931年、彼の写真がヴォーグに掲載された。ヒューネと出会い、まだ1年ほどしか立っていないホルストは、建築家の助手からモデル、そして写真家という離れ業をしていた。当初は、写真の師であるヒューネの影響下にあったホルストであったが、やがて独自の手法を構築した。

それは、建築的ともいうべき構成の仕方にあった。これはコルビの事務所での経験が役に立ったようである。また、演劇的な要素からも多く引用した。

例えば、全体に明るくするのを止めて、一部分にスポットを当てて劇的要素を高めた。それは、強い陰影を含んだドラマティックな表現を可能にした。ヒューネが去った後、ホルストはヴォーグの中心的な写真家となった。

1930年代後半、第二次世界大戦が迫っていた。パリを離れるホルストが、戦前のパリで最後に撮ったと云われるのが、コルセットを着用した女性の後ろ姿の写真であった。この写真には、彼の思いが強く込められていると云われる。

それは、多くの思い出や財産ともいうべき本や資料等も残したままパリを去らねばならない。そんな彼の無念の情であるようだ。


ホルスト・P・ホルストの作品、コルセットの女は戦前のパリ最後の作品。

以下は、参考文献である、海野弘著「都市を翔ける女」とヒューネのポスター。

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