■社会|ブログは、カウンターメディアになるか

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マスメディアに対抗する個人メディアの可能性!

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バーバラ・クルーガーの作品

既存媒体の信頼が揺らぐなか、カウンターメディアの意義とは!

かつてマスメディアが信頼された時代があった。たぶん。しかし、それは単なる知識・情報の不足であったといまでは多くの人が思っている。ではないか。個人的には、そうであった。特に、インターネットが広く普及するに至ってからは、マスメディアの論調が何かおかしいことに気付かされた。

クォリティー・ペーパーを自任する某新聞は、インテリやエリートがこぞって読むものだと思っていた頃があった。いやはや、恥ずかしい思いである。しかし、新聞というメディアの大御所は、購読者=一般人のためを思って記事を書いている訳ではない。いまでは、当たり前に知られたことであるが、ある時期まではそんなことは気にも掛けなかった。

新聞も企業という営利を目的とした団体が行っている。そこでは、収益の構造というものがある。新聞は、いまでも広告から多くの収益を上げる構造は変わっていない。広告主は、自社の利益に反する記事を掲載する新聞社には広告を出稿しない。これは、当たり前である。不利益を促進させる行為に金銭を払うものはいない。

したがって、新聞は広告主の機嫌を損ねない様に十分配慮しながら記事を書く。それは企業であるから理解はできる。しかし、そのような新聞社が、ある特定の論調を掲げて、世論を誘導しようとする行為には何を目的にと思うばかりである。前述した収益を考えると、それに反するのではないか。しかし、それでも同じ事を繰り返すのは、きっと収益に見合ったことなのだろう。

直接的に紙面には現れない(微妙な言い回しで誘導する)が、きっと見返りがあるはずである。そうでもなかったら企業は存続できないはずと思うが、如何に。このように新聞・テレビ、その他マスメディアの偏向報道が、常態化しているのが昨今である。

クオリティー・ペーパーの仮面を被り、そのブランド効果を活かして世論を誘導しようとする。そのような新聞に信頼を寄せることができるか。当然できる訳が無い。情報を得られない時代であれば、それも効果はあったかもしれないが、いまや時代は変わった。その気になれば情報はネットから得る事ができる。

そこには真実も有れば、偽りもある。しかし、新聞やテレビといったマスメディアという力を背景とした特定の論調や誘導よりはましかもしれない。

新聞、テレビを中心とした既存マスメディアは、その論調が横一線になる場合が有る。そして、いつしか、それが一般大衆を代表した意見のような風潮となる。これには、何か違和感しかない浮かばなかった。

<マスメディアへの疑心・疑問・疑惑>
1:広告主には逆らえないと思われること。(利益をもたらす他者へ見返り)
2:マスメディアという特権を利用した論調のねつ造化
3:マスメディアという特権を利用した意図的な世論誘導
4;取材で得た情報を利益に見合えば隠蔽する体質
5:一般人を下に見た優越的意識(オレ様新聞記者的な体質)
6:マスメディアは自らの報道や論調の誤りを認めない(傲岸と偽り)

以上、まだある気がするが、とりあえず思いつくまま列挙してみた次第である。なお、あくまで推測であることをお断りしておきます。

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バーバラ・クルーガー 恋とは落ちてしまうこと

バーバラ・クルーガー/新聞・雑誌などのメディアを題材にアート作品を制作している。カットアップ、サンプリング、リミックスという手法を特徴とするシミュレーショニズムのアーティスト。

カウンターメディアとは何か!

上記したように信頼が揺らぐ新聞・テレビなどのマスメディアであるが、それでも情報を一番多く提供しているのも事実である。マスメディアの情報提供がなければネットニュースも存在できない。しかし、特権とは、いつしか腐敗するものである。これは歴史が証明しているはずである。

信頼は出来ないが、必要でもある。痛し痒しであるが仕方がない。そこで、必要なのが、信頼に値しないかもしれない情報を改めて評価するメディアである。マスメディアに対抗する意味で、それは「カウンターメディア」とでも呼ぶべきか。

ブログ、SNS、フェイスブックなどが、総じてカウンターメディアになる可能性を秘めている。いや、いまやそうなっているか。

記者というプロではないが、批評的精神を有する一般人が、マスメディアの発する情報を改めて評価するのである。何かおかしいという論調や情報には、その裏側を推測する。そして、多くの意見がある状態こそ望ましい。何故かといえば、マスメディアの力を背景とした論調に対抗するには、一般人の多くの意見が必要と感じるからである。なお、あくまで個人の感想である。

上記した内容は、すでに多くの有力ブログが行っている、カウンターメディアとしてまとまっていないだけである。できれば、多くのカウンターメディアが集まる場ができれば、より発信力は強くなるに違いない。(ブロゴスなどは似ているが、もっと市井の人が参加できる場ができればいい)

ブロゴス http://blogos.com/

新聞・テレビの報道や論調に組しない意見として、カウンターメディアの意味はある。それによって、マスメディアによる世論誘導は難しくなるはずである。その証拠に、いまやほとんどの人が、某新聞による反日的報道に賛同を示していない。

「マスメディア」を盲目的に信頼する時代は終わった。
新しい時代は、「カウンターメディア」が創るのではないか。と思うが、まだそれは早計かもしれない!。

<新世紀メディア論>
新聞社の業績不振、雑誌の相次ぐ休刊など、メディア業界に逆風が吹き荒れるなか、出版はこれからどうなっていくのか? 新聞、雑誌はウェブ時代においてもはたして生き残れるのか?

新世紀メディア論-新聞・雑誌が死ぬ前に

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