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■80年代|80年代アンソロジー その5

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80年代と云えば、何はなくともディスコである。そして、ボディコンであろう。それは、まさにバブルの申し子、狂い咲き誇るこの乱舞を見よ!

80年代アンソロジー、今回は「ディスコ」を取り上げます。ディスコは70年代から存在していたが、この80年代になると大型化が顕著となり、また女性のボデコンという特有のファッションのおかげで時代を象徴する場所となった。

ディスコは時代の解放区となった!

ディスコと云えば「マハラジャ」である

ディスコと云えば、「ジュリアナ」を思い浮かべる人が多いと思いますが、ジュリアナは90年代初頭に誕生したディスコである。80年代を代表するディスコは、「マハラジャ」を於いてないだろう。

東京・六本木をはじめ日本各地に展開した大型のディスコである。そこでは、ボディコン・ファッションに身を包んだワンレングスのヘアースタイルをした女性たちが毎夜の如く集い、乱舞していた。

そばに寄り添う男達のなかには、アルマーニに代表される海外ブランドを着用するものが多数見かけられた。そう、バブルが始まっていたのである。


「マハラジャ」の店内


高級ディスコ「トゥーリア」

高級ディスコ「トゥーリア」は、闇に消えた

「マハラジャ」は当時の代表的なディスコであったが、より個性的な空間演出に凝ることで差別化を図った代表格が、87年にオープンした「トゥーリア」であった。

映画「ブレードランナー」のデザイナーとして有名なシド・ミードを起用し、独特の未来空間を造り上げた。

当時、この様な個性的な空間の企画・制作を請け負う職業として空間プロデューサーが認知され注目を集めた。多数の有名芸能人もよく来るという人気スポットでマドンナも来店したことがあるようである。

総床面積392平方メートル、収容人数約800人。高級ディスコブームの代表的存在で、店の入口ではモニターによる服装チェックがあり、それに合格しなければ入店できない仕組みになっていた。

店内には洒落たレストランやバーがあり、中でも3億円を投じた照明装置が目玉で、大中小の三層式で天井からワイヤーで吊られていました。

しかし、88年、この照明装置が落下する事故が発生し多数の死傷者が出た。これにより閉鎖されることになった。


当時の女性のファッション

「エムザ有明」はウォーターフロントの先駆け

88年にオープンしたのが、「エムザ有明」である。これは複合施設の名称であり、ディスコは「クラブ・ガティル」と云った名前であった。

他にライブハウス・イベントホールの「サウンドコロシアム」、レストラン、カフェ、貸しスタジオなども併設していた。

その後、バブルの影響で都心の家賃が高騰したため、湾岸線などに存在した倉庫や工場跡を借り、内装を変えてディスコやライブハウスなどをオープンするケースが増えていく。

「エムザ有明」は、それらのウォーターフロントブームの先駆けとなった。そして、90年代初頭の「ジュリアナ」や、「芝浦ゴールド」へと続くのであった。


エムザ有明

参考文献:「バブルの時代」より

以下は、80年代とバブル関連本。

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