■映画|怪談 小泉八雲原作のこわい話

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これはまさしく時代を超えた名作である

日本の暑い夏には、やはり怪談話に限るという訳で映画「怪談」を久しぶりに観てみた。そして、案の定やはり怖かった。なにがそんなに怖いかというと、映画全編に漂う雰囲気が常にぞわぞわーと身の毛を逆立ててくるのである。

何か得体のしれないものが画面を通して伝わってくる。そして本当は見てはいけないもの、それを覗き見してしまった気分となってくる。

「怪談」1965年 小泉八雲原作/小林正樹監督

日本の暑い夏には、やはり怪談話に限るという訳で映画「怪談」を久しぶりに観てみた。そして、案の定やはり怖かった。なにがそんなに怖いかというと、映画全編に漂う雰囲気が常にぞわぞわーと身の毛を逆立ててくるのである。

何か得体のしれないものが画面を通して伝わってくる。そして本当は見てはいけないもの、それを覗き見してしまった気分となってくる。

この映画は、1965年(先行公開1964年12月)に公開されている。1964年に東京オリンピックが開催されて、それを機会にテレビ受像機が普及していた。それに反して日本映画は徐々に衰退に向っていくという端境期にあった。

ちなみに、この映画「怪談」は、第18回カンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞している。映画を観てみると分かるが、日本映画の良質性はこの頃がいわば頂点にあったのではないか。そんな風に思ってしまうほどに映画の技量が見事であり、欧米の模倣を超えた日本の独自性を遺憾なく発揮した作品となっている。

小林正樹監督は、黒澤明監督と同じく海外で高い評価を受けた監督である。その評価は、オリジナリティー(要するに欧米にないもの)にあったと思われる。この映画でも監督は、独自の美術、アングル、色彩などに並々ならぬこだわりを見せている。

映画のDVDには、特典として監督が撮影前に用意した製作ノートが公開されている。そこには、着物の生地、柄や色の見本、シーン毎の美術やアングルのイメージを伝える素材となる写真や絵などが収集・整理されていた。

日本映画には、ハリウッド映画のような豪華さはないが、それでも日本特有のこだわりを垣間みることができた。それが往年の名監督たちの仕事であった。

細部にこだわった製作準備は、日本映画に数多くの名作を誕生させている。しかし、いまそれができるのは宮崎駿監督ぐらいではないか。なにしろ、現在では大概の日本映画は少ない予算と製作日数で作られている。製作準備段階から質にこだわる監督では、製作会社にとっては都合が悪いに違いないと思われる。

それはさておき、この映画「怪談」では、その製作の準備作業が見事に活かされている。映画のタイトルバックからして、すでに雰囲気満点である。題字は勅使河原蒼風、タイトルデザインは粟津潔、さらに音楽は武智徹、これは当時の美術、音楽界で先鋭的といわれた作家たちである、かなり豪華な布陣であるに違いない。

タイトルのあと映画は始まり、いまにも崩れそうな廃墟同然の武家屋敷らしきものが現れる。ゆっくりとカメラはその廃墟の門をくぐり抜けると、静かに家の中へと入っていく。家の中の朽ち果てた様子がなんとも妖しい雰囲気に満ち溢れている。

このように映画の序盤から只ならぬ雰囲気が画面の隅々まで漂っているのは、美術の出来の良さにあるのは間違いない。とにかく、良い仕事してるなーと思わず唸るほどである。時代を超えた名作は、細部へのこだわりが半端なく行き届いている。この映画も、その例にもれなく細部へのこだわり感に満ちている。

映画「怪談」は、たぶん多くの方が知っていると思われるが、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の原作を映画化したものである。「和解(黒髪)」「雪女」「耳無抱一」「茶碗の中」という異なるストーリーで構成されたオムニバス形式となっている。

お断りしておくが、欧米のホラーのような血しぶきが飛び交うという恐怖感ではない。あくまで日本古来の奥ゆかしさを基調にして、ゆーくりと、じーんわりと真綿で締め付けるように恐怖を味あわせてくれる。それが「怪談」という映画の真骨頂であり、同時に日本固有の恐怖の表現であると思われます。

まだ、観ていない若い人に是非お勧めしたいと思います。たまには、日本古来のこわーい伝説も悪くないはずである。


怪談(1964年)動画の映像は、正規作品の質感とは違っています。ご了承ください。

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映画「怪談」/ストーリー

お話は、「和解(黒髪)」「雪女」「耳無抱一」「茶碗の中」の順となっています。

<黒髪>
昔京都で生活に苦しんでいた武士が、貧乏に疲れ、仕官の道を捨てきれずに、妻を捨てて、遠い任地へ向った。第二の妻は、家柄、財産に恵まれていたが、我侭で冷酷な女であった。男は今更のように別れた妻を慕い、愛情の価値を知った。

ある晩秋の夜、荒溌するわが家に帰った男は、針仕事をする静かな妻の姿を見て、今迄の自分をわび、妻をいたわり、一夜を共にした。

夜が白白と明け男が眼をさますと、傍に寝ていた妻は髪は乱れ、頬はくぼみ、無惨な形相の経かたびらに包まれた屍であった。

<耳無抱一の話>
西海の波に沈んだ平家一門の供養のために建てられた赤間ケ原に、抱一という琵琶の名人がいた。夜になると、寺を抜け出し、朝ぐったりして帰って来る抱一を、不審に思った同輩が、秘に後をつけると抱一は、平家一門の墓前で恍惚として平家物語を弾じていた。

平家の怨霊にとりつかれた抱一は、高貴な人の邸で琵琶を弾じていると思っていたのだ。寺の住職は、抱一の生命を心配すると、抱一の身体中に経文を書き、怨霊が迎えに来ても声を出さないよう告げた。

住職の留守に迎えに来た怨霊の武士は、返事がないまま、抱一の琵琶と耳を切って持ち帰った。住職が耳に経文を書くのを忘れたのだ。以後、抱一は「耳無抱一」と呼ばれ、その名声は遠くまで伝わった。

他に、「雪女」「茶碗の中」の話がありますが、省略しました。

参考文献:ムービーウォーカー

怪談 東宝DVD名作セレクション
巨匠・小林正樹が小泉八雲の連作「怪談」から4編を耽美的映像で映画化したオムニバス怪奇映画。カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞したほか、アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。
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日本に魅せられた小泉八雲とは

小泉八雲=ラフカディオ・ハーン(1850年〜1904年没)

小泉八雲は、日本人であるが日本人ではない。ややこしいが、つまり日本に帰化した外人である。しかし、その魂のありどころは日本人以上に日本人であった。西洋に追いつけとばかりに、和洋折衷や和魂洋才にせっせと励んでいた明治時代である。そんな時代に日本にやってきた小泉八雲(後に付けた日本名)は、何故か日本に惹かれていた。

かれは、日本の風土に根付いた奥ゆかしさに惹かれたようである。とにかく欧米の合理性や個人主義に嫌気が差していたのである。これは気質としては当時の欧米人らしくないものであったと想像する。さぞや欧米では生活しづらかったのではないか。記者として日本に赴任したのが、1890年(明治23年)だそうである。

それから日本人の妻をめとりそのまま居着いてしまった。1896年には日本国籍を取得して日本人となった。その後は、教師をはじめ教育関係の仕事の傍ら執筆活動を続けた。そして数々の日本古来に題材を求めた美しい文章を残した。

小泉八雲は、1904年僅か54歳で亡くなっている。当時の日本は、軍国主義にまっしぐらであり、また欧米に追いつけ追い越せが旗印であった。そんな日本の風潮に逆らう様に古来の伝説や民話のなかに日本らしさを発見しそれを美しい文章にしたためた。そんなかれは、晩年如何に思っていたか。

一節によると日本に失望していたと言われている。それも無理は無い事か。なにしろ、かれが亡くなった後の日本は戦争へまっしぐらであった。そして、日本はめちゃくちゃに壊れてしまった。

とにかく、いまかれの美しい文章が残されているのが、せめてもの慰めか。また、かれがこよなく愛した日本は、いまも残っているのだろうか。それが気がかりである。

参考文献:ウィキペディア、DVD特典ほか

<新編 日本の面影/小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)>
美しい日本の愛すべき人々と風物を印象的に描いたハーンの代表作『知られぬ日本の面影』を新編集。赴任先の松江を活写し、日本人の精神にふれた傑作「神々の国の首都」、西洋人として初の正式昇殿を許された出雲大社の訪問記「杵築―日本最古の神社」、微笑の謎から日本人の本質にアプローチする「日本人の微笑」など、ハーンのアニミスティックな文学世界、世界観、日本への想いを色濃く伝える11編を詩情豊かな新訳で収録する。日本の原点にふれる、ハーン文学の決定版。

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