■社会|縮小する日本のゲーム市場 かつての栄華は何処に

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ゲームといえば日本、それはすでに昔の話か!

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日本のゲーム(主に家庭用ゲーム)は、かつては世界を席巻した。しかし、それは任天堂、ソニープレステ、セガサターンなどが三つ巴の闘いを繰り広げていた時代のことである。それから時を経た現在では、日本のゲームには過去の栄光しか残されていない。時代は変わったが、日本のゲームは変われなかったようだ。

とにかく、昨今日本のゲームの凋落傾向が著しいらしい。いまや世界で注目されるゲームに日本のゲームは見当たらないようだ。ゲームの世界でも日本はガラパゴス化して世界との乖離が激しくなっているとか。それは、何故かといえば、国内市場を優先した開発体制にあったのは言うまでもない。

しかし、国内では家庭用ゲーム市場は縮小傾向にある。したがって、ふんだりけったりである。あわててスマホゲームに舵を切っても、それは押して知るべしであった。世界に通用しないゲームにほどほどの費用を掛けてもたいした見返りも無い。そんなことを繰り返してばかりの日本のゲームではないか。

端から見ているとかつての儲けをうまく活かしたゲーム会社は何処にである。勝手なことを言わせてもらえば、日本のゲーム会社(主に大手)は人材の適材適所、資金の有効的な投資(将来を見据えた開発体制など)に欠けていたのではないか。新規事業もいいが、なによりも未来へのビジョンがなかったと思われる。

したがって、スマホゲームが流行るとすぐさま追いかける。いわば、後追いになってしまった。しかし、それも世界の潮流からすれば井の中の出来事である。よって、開発体制をスマホに変えたことでさらに窮するという具合である。これは、まるでソニーが辿った道に似ている。

ソニーもかつては、市場を創造する商品が売りであったが、いつのまにか後追いの商品ばかりとなった。ゲームもそれに倣ったという訳か。いやはや。

日本の家庭用ゲームソフト市場は約2537億円だそうである。(CyberZとシード・プランニング共同調べ、2013年度)。これはスマートフォンゲーム市場の5468億円の半分にも満たない。これは驚くほどに少ない。

かつては、世の趨勢はゲームにありと言わんばかりであったのが、たったこれだけの市場規模とは驚く。ここに任天堂とソニー(この両社はハードがある)、ソフト専業のスクエア、コナミ、カプコン、セガ、ナムコその他多くのゲーム開発会社が群雄割拠している訳である。とにかく狭い範囲で何かしている。そんな感じか。

いずれにしても、どこか変だ。あれほどの優位性を誇ったのにあっと言う間に取り残されるとは如何に。穿った見方をすれば、経営陣がかつての儲けを善からぬ投資にばかり向けて本業をないがしろにしたか。そうとしか思えない体たらくである。

いま、ゲームの潮流は洋ゲーにあり!

現在、世界のゲームの潮流は、日本でいうところの洋ゲーといわれるものである。そのなかでも有名なのが「グランド・セフト・オート(GTA)V」というものらしい。このゲームは、2013年から14年に掛けて世界で3300万本(発売から約半年)売れている。これに対し、2013年国内販売数一位の「ポケットモンスターX・Y」は、世界で約1200万本であった。

ポケモンでさえこれだけの差がある。他は押して知るべしである。

洋ゲー(海外ゲーム)は、なぜ日本からゲームの主導権を奪えたか。それは、開発体制に大きな違いがあった。なにしろ、海外ではゲームの製作費が桁違いに大きい。前述した「グランド・セフト・オート(GTA)V」では、製作費が約270億円だそうである。ハリウッド映画の超大作と並ぶほどの製作費である。

製作費が巨大ということは、ゲームの製作もハリウッド並みの体制が必要となったに違いない。それは、単にゲーム開発者がいれば出来るという訳ではなく、資金調達、投資と分配方式、企画、マーケティング、そして制作という仕組みを造り上げることにある。そのような体制の善し悪しでゲームの成功が決まってくる。

さらにいえば、ゲームの販売だけに限らずその後のビジネス展開(映画化やキャラクター販売)も視野に入れた構想をはじめからできることが必要か。

日本では、相変わらずスター(有能な)開発者がゲームを作るというところに留まっているのではないか。正確とはいえないが、そんな気がするが如何に。

あと気になるのは、日本のゲームはファンタジー志向(特定の)に偏り過ぎているのではないかと感じる。もちろん、そうではないゲームもあるが、やはりスクエアのあのゲームのせいか。その成功体験を模倣しているゲームが多過ぎるように思う。

注:ここでいうファンタジーは、スクエアのあのゲームのようなものを意味しています。

ちなみに、ファンタジー(英: fantasy)とは、魔法やその他の超自然的・幻想的・空想的な事物をプロット・主題・設定などの主要な要素とした作品が属するジャンルである。(ウィキペディアより)

ゲームは、ファンタジーでなければいけないのか。そんな素朴な疑問がある。いま世界を席巻する洋ゲーは、どちらかといえばそうではない方向にあるようだ。前述した、「グランド・セフト・オート(GTA)V」は、現実をリアルに表現しているとか。時代の潮流は、ファンタジーからリアルに変化しているのかもしれない。

ファンタジーとリアルの違いについては、また別の機会に!
何故ならば、これについて書ける材料がないからである。あしからず。

関連記事:開く「洋ゲー」との差 「凋落著しい“元ゲーム王国”日本」

追記、当該ユーザーはゲーム好きという訳ではない。したがって、書いた内容にも正確さを欠いているかもしれない。しかし、ゲーム好きな人には変と思われるかもしれないが、なんとゲーム会社に在籍していた経験がある。なお、あくまでビジネスとして、これは本当のことである。

<グランド・セフト・オートV /PS4> 以下は、アマゾン商品紹介より
太陽が降り注ぐ広大な都市、ロスサントス。かつては欧米諸国から憧れのまなざしを集めていたこの街も、今や自己啓発を説く教祖、スターの卵、輝きを失いつつあるセレブで溢れ、不安定な経済と安っぽいトークショーがはびこる時代の中で必死にもがいている。

そんな混乱の中、個性の全く異なる3人の犯罪者が生き残りと成功を画策する。
ストリートの非合法な仕事を生業とするフランクリンは、本物のチャンスと大金を掴みたがっている。プロの犯罪者から足を洗った前科者のマイケルは、望んでいたバラ色の引退生活を送れずにいる。
凶暴なトレバーは、粗悪な禁止薬物と次の大規模な強盗計画に突き動かされている。打つ手が尽きた彼らは身を立てるため、全てを賭けて大胆かつ危険な一連の強盗に挑む。

かつてないほど大規模でダイナミックな多様性に富んだオープンワールドを誇る『グランド・セフト・オートV』は、ストーリーテリングとゲームプレイを新しい手法で融合。プレイヤーは3人の主人公をたびたび切り替えて、それぞれの立場で複雑に絡み合うストーリーを体験できる。

驚くほどこだわり抜いたディテール、現代の文化に対する強烈なユーモアなど、『グランド・セフト・オート』ならではの魅力に加え、大胆なアプローチを採用した全く新しいオープンワールドのマルチプレイが楽しめる。

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