■社会|雇われ経営者の限界? 管理の枠から抜け出せない

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大企業は、事業を立ち上げたことがない人ばかり!

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某サイトの記事(以下リンク)によると、現在の日本の大企業で経営トップおよび幹部となっている人の多くが、事業を立ち上げたり、商品を開発したことがないそうである。そういう人達が何をしていたかといえば、管理系の仕事である。

失われた20年で大企業から“本当の商売人”が消滅!?
日本企業を覆う「お金を使えない病」(ダイヤモンド・オンライン)

具体的には、経営企画、財務、営業、または経理などではないかと思われる。いずれの職種も端的にいえば数字を操る職種である。安定期にある事業であれば、数字をいじくり回し帳尻を合わせることができる。しかし、昨今の日本企業の置かれた現状は、過去には無い何かを生む事にあると思う。

過去の商品で安定した業績を上げることの難しい昨今では、絶えず新しい試みが求められる。それなのに何故か、日本の経営陣は管理系ばかりである。不思議である。コストばかりを優先していては、新しい商品が生まれる土壌が育つ訳が無いはずである。管理系には、それが理解できない。違うか。

個人的には、かなり前から日本の企業に求められるのは、管理より推進という役割を担う人材という気がしていたが、いまだに管理系ばかりが出世している。

当該ユーザーの経験では、管理系が言う事はとりあえずは正論ではあった。しかし、何かが変であった。それは、現状はいいが、企業の未来はどうなるかである。
そこで気が付いた。管理系は現在しか見ていないし、それが与えられた役割であるからである。ということは企業は未来はどうとでもなれということだ。

いくつかの会社でそんな経験をした。ちなみに当該ユーザーは、新規事業の企画・立ち上げを行っていた。90年代初めのバブル崩壊から企業のなかでは新規に何かを起こす役割は、たしかに敬遠されていた。エリートと呼ばれる頭のいい人達は、そんなリスクからは遠くにいた。

かれらエリートは、新規事業に投資するのではなく、顕在する事業を買収することを好んだ。それは頭のいいことではあったが、未来のことは分からない。よってお金を単にどぶに捨てるが如くと成った案件も多数あった。それでも、いまだにエリートは新規事業の開発より事業買収に積極的である。

現在の日本のエリートは、自ら事業を開発したいとは思わないようである。したがって、新規事業はサラリーマンではなく、野に放たれた創業社長のみの独断場である。

90年代以降に注目された新規事業(または新興企業)の大部分は、創業社長によって開発された。これはほぼ間違いないと思う。アパレルのユニクロ、100円ショップのダイソー、多くの飲食の新業態(低価格の居酒屋など)、オタク系の新業態(アニメイトなど)、他にも多数あると思うが思い出せない。あしからず。

唯一の例外は、ソニーのプレステかもしれない。開発した久夛良木氏は当時はまだソニー社員であった。いまのソニーでは考えられないが、当時の社長大賀氏は英断を下した。それが、いまではソニーの屋台骨を支えている。

なんでも、当時の久夛良木氏率いるゲーム機開発陣はソニー本体では異端視されて、仕方なく本体から外しソニーミュージック傘下で事業をスタートさせた。それが功を成して後の大成功となったのは有名な話である。

それから海外では、アップルのiPodやiTunesも創業者が先頭に立って開発された新規事業であった。ちなみに、ソニーはアップルに先攻できる機会があったが、内部で潰されたとか。これがいまだに尾を引いているのは言うまでもない。

ビビってんじゃねーぞ!と何度も言いかけた!

前述したように当該ユーザーは、新規事業に携わっていた。企画立案と実行に関わるすべての業務を行っていた。想定された事業規模はたいしたことはなかったが、それでも新規事業である。資金を会社から出してもらわなくては何事もできない。

(若干補足するとこの会社の規模は、4000億円(90年代)を超えていた)

事業計画は了承されても一向に肝心のお金が出てこない。そんな状況があった。何故かといえば、新規事業部の決裁権を超えた金額は、より上の組織で決済を了承してもらわないといけない。そこで止まってしまったのであった。

要するに上部組織ではお金を使わずに事業を興せと言ってるようなもんであった。何故か、大きな組織では社長が了承していてもどこかの部署が渋るということが起こる。どうせ社長といえども雇われ(または末期)だから、いずれは変わると思っているようである。

これが大企業病というものかもしれないと思っていた。いや当該ユーザーのいた会社はそれほどの大企業ではなかったので、多かれ少なかれどんな企業にも起こる出来事らしい。

当時(90年代)、頭のいいエリートが言うのは決まってコスト削減であった。したがって、海の物とも山の物とも分からない新規事業などに資金を出すのはもってのほかという具合であった。

資金もなく一体どうせいというのか。と義憤に駆られる事も多々あったが、よく周りを見渡したら会社(組織の一部勢力)は、本気で新規事業を起こす気がないと分かった。新規事業が成功すると自分たちに都合が悪いと思う人達がいたからである。いやはや。

そんな具合で新規事業を立ち上げてうまくいったら奇跡である。案の定、立ち上げてからの資金は先細り、事業そのものも頓挫した。ちなみに、立ち上げた当初は予想を上回る収益を上げた。しかも年間を通して黒字であった。さらなるブラッシュアップを図るべきと思われたが、なんせ資金が出なかった。

何故と当然思ったが、組織とは如何せん不可解であるから仕方がなかった。そんな経験から思うに、不可解な出来事が多く発生しだすと企業は危ない。これは今更言うまでもないか。かつてのダイエーや西武は言うに及ばず、当該ユーザーのいた会社もやがて業績が悪化していき某社に吸収合併されてしまった。

いま業績のいい企業、例えばソフトバンクとかユニクロ、それからセブン&アイなどはいずれも創業社長または会長である、セブンは正確には違うがそう言っても過言ではない。(鈴木会長が、セブンイレブンを立ち上げた)

ドコモはNTTの新規事業に他ならないが、ソフトバンクに追いつかれている。コンビニでは、セブン以外は商社の新規事業?であるが、セブンに追いつけない。アパレルでは、ユニクロに太刀打ちできる国内企業は見当たらない。

かれら創業社長に共通するのは何か。某サイトの記事では、それを才覚、そしてセンスであるとしていた。と同時に他人がしていないことをやる勇気も重ね合わせているとか。管理系出身の雇われ社長にセンスや才覚、ましてや勇気を求めるのは酷かもしない。

ビジネスの採算性を計算し、それを踏まえて実行する人材は豊富にいる。そのような人材は大企業なら掃いて捨てるほどいるに違いない。しかし、それでは既存事業の運営しかできない。それで良しとするかしないかで企業の未来は決まりそうである。

そんな事を考えるといま求められているのは、異端の人材である。しかし、日本の企業はいつまで立っても異端の人材を受け入れられる度量を持ち合わせない。何故ならば、上が自分と同じような経歴の人材しか眼中にないからである。

したがって、どうやら日本の既存大企業には期待できそうもない。あとは21世紀のソニーや本田が生まれることに期待するしか無いか。しかし、それが出てくるかどうかである。

追記、昨今では人事部が企業を衰弱させる傾向が顕著であるとか
優秀な人材がことごとく不採用になるのはなぜだ?
組織を衰弱させる“ブラック人事マン”の邪悪な出世欲(ダイヤモンド・オンライン)

<知的資本論 すべての企業がデザイナー集団になる未来>
財務資本から知的資本へ――すべての企業が資本価値を見直す時が来た。そして、すべての働く人たちは「企画」という知的生産物を生み出し、新しい働き方を獲得する未来に向かう。

知的資本論 すべての企業がデザイナー集団になる未来

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