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■社会|中高年と中高生 一字違いだがその差は大きい

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下り坂と上り坂ぐらいに違うか?

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中高年ではそば打ちが流行ってるとか、ちなみに中高生では何が流行ってんだか知る由もない

なんでも中高年のあいだでそば打ちが流行ってるそうである。ほんとか?。当該ユーザーの周辺では、聞いた事がない。マスコミが伝える情報で、そういう人たちがいるとは知っていた。なかには店を開く人もいるとか。しかし、いまさら伝えるほどの情報でもなさそうである。

したがって、中高年がそば打ちしようが、それはどうでもいい。個人の好きずきだし、しかも勝手にやる権利はある。日本は民主主義の国であるし、人に迷惑かけなければ何をやってもいいはずだ。(なかには規制もあるが)

12月26日放送の『ノンストップ!』(フジテレビ系)の“ノンストップ!サミット”で紹介された、年越しそばを打つ迷惑な夫の話題である。大晦日に台所を一日中占領し、大量のそば打ちに没頭。しかし味も見栄えもいまいちなのに、近所にまで配る夫が恥ずかしい―という40代妻からの愚痴があった。おまけに台所は粉だらけのまま放置され、妻はうんざりなのだ。

千秋が素人の手打ちそばにキツイ一言「恥さらしだよ」

そば打ち名人

このテーマを取り上げたのは、たまたまニュー速ナビを見ていて「中高年のそば打ち」なる記事に遭遇したからである。そのなかで、「中高生でそば打ちが流行ってるてか」みたいな文言があった。それに何故か惹かれたのであった。中高生?、中高年やないんかーい!

と思わず突っ込みを入れながら、ベタだが面白いやんかと思っていた。そして、こうしてわざわざ書いている次第である。いやはや。

たった一字違いであるが、その差はとても大きいはずだ。しかも中高年と中高生の違いは一目瞭然である。これぐらいはっきりと分かりやすい違いは無いに等しい。使用前と使用後ぐらいは違うだろう。それは言い過ぎか?

どっちが使用前かといえば、当然、中高生である。中高年は、急須の出がらしの茶葉のごとくなりである。断っておくが、当該ユーザーは中高年である。したがって、前述したことは自虐的な表現と客観視した表現がミックスしたものである。

けっして中高年を揶揄するような気はさらさらない。なにしろ自分も中高年なのに、それを見下して何のメリットがあるかである。よってこのテーマは、中高年を中傷する記事ではないことを明らかにしておきます。

それはさておき、前述した出がらしの茶葉は、もう用なしで捨てられる運命しか残されていない。おなじく中高年も先がもう残り少なくなっている。なかには、そこから踏ん張って、さらに高みへ向かう人もあろうが、たいていの人は余生となるに違いない。

そこで余生は、そば打ちにでも励むかとなるのか。それは知る由もないが。

しかし、ちょっと待てと思う。中高年は経験を積んで知識も貯えたきたはずだ。その行き先が、余生のそば打ちしかないとはいささか寂しい。しかも、自然の法則にも反するはずだ。何故なら、自然界では死してなお養分となって土を耕すではないか。

動物なら百獣の王に食われるが、それは巡り巡って自然界の調和を保っている。一部の草食動物が増え過ぎれば、草木が生える間もなく失われるからである。違ったかな。

したがって、出がらしの茶葉の中高年にも、何かもっと役に立つことがあるはずだ。しかし、日本では中高年を役立たずとして、その活用さえ考えない企業、組織ばかりである。いつの間にか、世の風潮もそれに倣って当たり前となった。

だが、考えてみれば残された若い人達によって日本の企業は再生されたか。韓国や中国にいいようにやられたのは記憶に新しいではないか。その韓国、中国は日本を追い出された中高年の経験や知識を吸収することで日本に追いつき、業績に結びつけてきた。

これは必ずしも正確とは言えないが、当たらずとも遠からずである。

そんな訳で日本の再生には、いま一度中高年をそば打ちから現実に立ち向かわせることが必要ではないか、などと考えた次第である。

もちろん、すべての中高年に対して、それが適応するとは思わない。本当に役に立たないものは、まぎれも無く存在するからだ。それでもなお、中高年の奮起を促したいのは、「悪貨は良貨を駆逐する」の例えにある通り良貨が埋まってるからである。

それを取り出して、世に活かして行くのが政治の役目と思うが、いかんせんいまの政治ではいかんともしがたい。中高年の置かれた状況は想像以上に複雑なのである。いやはや。

そして考えてみれば、中高年の今後の状況は、未来の若い人達の状況でもある。いまはいいが、いずれは中高年になり、加齢臭、ハゲ茶瓶、ババアなどといわれるようになって、そのあげく出がらしの茶葉として捨てられるのである。

いや、オレは違う、アタシは違うという人達もいるだろうが、ほんとにそうか?。そうであることを切に願う次第である。しかし、大部分の人達は中高年になれば苦境に陥るだろう。その割合は全体の70〜80%ぐらいではないかと想像する。

何故なら、企業、組織では優秀とそうでない人材の割合は2対8ぐらいと言われている。つまり2割の優秀な人材が、残りの8割の人達を養っていることになる。おおまかな算出であるが、これは昔もいまもあまり変わらないとか。(3対7だったかも、どっちでもたいして変わらないが)

なお、これを信じて良いかどうかと問われれば、それは当該ユーザーの知るところではない。あしからず。

追記、中高年はどこでもやられぱなしである。それは叩きたい案件がごろごろしてるからに相違ない。しかし、そば打ちくらい自由にさせてやれよーと思うのは、同じ中高年として、相哀れむということなのかもしれない。

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