■社会|繋がりたい症候群?、それはどこまで続くか

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それは、どこまでも、どこまでも…!?

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いったい何故、日本人はそんなに繋がりたいか

携帯端末にスマートフォンが登場して以後、ところかまわずスマホに見入る人々で溢れるようになった。ガラケー時代にも似たような現象はあったが、スマホに登場した無数のアプリによって、それは加速度的に拡大した。いまや、LINEやツイッターなどのSNS、無料もしくは課金性のゲームなどが世を席巻している。

スマホ所有者では、これらのアプリを利用しない人を探す方が難しいくらいではないか。それぐらい普及しているのが現状である。

とくに、若い人達のあいだではLINE(SNSアプリ)は必需アイテムである。中・高校生あたりでは、このLINEによって生活が支配されたかのようである。授業中であろうが、就寝中であろうが、それはおかまいなしにやってくる。「繋がれ、繋がれ」という脅迫観念を乗せてやってくる。

そして、繋がらないやつは、あとでバッシングの的となり除け者扱いをされるそうだ。LINEは、それまでのコミュニケーションツールと違って、繋がる間口が広く解放されていた。いわば友達の輪が無限にでも広がる様にである。(現在は、利用者が選択できる)したがって、嫌が応にも対処を迫られる。

そして、繋がらないと「既読」表示されず、送った側はそれに苛立つ。グループでLINEをしていれば、誰が繋がらなかったか一目瞭然となる。その結果、仲間たちから遠ざけられるか、いじめの対象になるということが頻繁に発生している。なかには、事件化するものまであり一概には侮れない。

学年の半分が参加する「学年LINE」

里中さんが受け持っている学年では、今年度、数名の中退者が出た。その中退理由は、健康上の理由や進路変更ではなく、インターネット、特にソーシャルネットワーキングサービス(SNS)にまつわる人間関係だという。

深刻化する学年LINEトラブルで中退者続出、生徒にストレスや不安蔓延

主要SNS及びコミュニケーションサービス/男女別利用率:2014年12月
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スマートフォン利用者の92%がSNSを利用~ニールセン

なんで、そこまでして繋がらなくてはならないのか?

日本人は、昔から集団が好きである。いわゆる「群れる傾向にある国民性」ではないかと思われる。違うか。そこでは、共通の認識や協調性が問われる。そこから、外れる人がいればそれを排除に掛かる。そんな傾向が、これまで顕著であったはずだ。いわば、集団に入らない人は異端として扱われる。

もっと簡潔にいえば、変人扱いだ。

仲間でいることが、そんなに大事なのか。集団に固執するのは、ある意味ではタコ壷に入っていると同じだと思う。異なる意見や社会、生活環境に触れる事も無く、したがって視野も狭くなってくる。

孤独を嫌い排除することで、孤独でいることの意味や、その効能を知る機会が失われる。考えてみれば、孤独は人間性を育む重要な要素であるに違いない。何故なら、そこでしか気付かされないものがあるからだ。

それは何か、一人の人間としての責任感を育むということではないか。

仲間や集団に頼る事無く、一人で解決する能力も大人になれば当然必要だろう。仲間とばかりいれば、きっと誰かが力になってくれる、助けてくれる。そんな仲間依存症に陥っても不思議ではない。

だからといって、引き蘢れという訳ではない。あくまで、過剰な「繋がりたい」ムードへの疑問に他ならない。コミュニケーションは、大切な人間形成の要素に違いない。しかし、その必要性を超えてまですることはないだろう。度を過ぎたコミュニケーションは、百害あって一理なしではないか?と思うが、如何に。

「絆」や「繋がる」ということを、一部のミュージシャン等がやたらと持ち上げているが、何かそれで解決するのか。そんな疑問を感じていた。その場では気持ちがいいかもしれないが、いったんお祭りの場を離れれば現実と向き合う事になる。そこでは、絆や繋がるだけでは解決できないことばかりだ。

個人的には、「仲間」や「友情」などは大切なものと思う。しかし、それがすべてではない。「絆」や「繋がる」もおなじくである。とにかく、すべてではない。

いまや、もっと違うことを考えてもいい頃ではないかと思う。

現在、大勢が「繋がる症候群」のなかで、そこから外れた異端者の中から時代を担う人材が現れるにちがいないと思う次第である。

「Think Different、何かもっと違う事をしよう!」

「Think Different」とは

Appleが1998年に行ったキャンペーン広告。マーチン・ルーサー・キング牧師やモハメド・アリ、ジャッキー・ロビンソン、ダライ・ラマ、ピカソ、ガンジーやアームストロング船長といった「世界を変えた人物」にフィーチャーして、「何か違うことをしよう!」と呼びかけた企業イメージ広告。

追記:ジョブズ氏のように(Think Differentの生みの親)と書いたのは、余計だったかもしれない。いまさらジョブズでもないだろうという意見もあるし、しかし、いまだに日本では彼に比較しうる人材が出現していないのも事実だろうと思います。

ある日本のIT関係者は、「学生に歴史なんか教えなくていい、プログラミングを教えろ」といったそうである。いわば、歴史や社会の仕組みなんか知らない人材こそ、日本のIT業界は望んでいるらしい。たぶん、企業にとって都合がいいからだろう。

これを聞いて、日本ではジョブズどころではないなと思いました。ジョブズは、たしかITやコンピュータとは関係ない事に夢中になった人でした。インドや禅、またデザインもこよなく愛した。カリグラフィーを習ったこともあった。

一見すると関係ない事からアイデアが生まれる。それを実証したのが。ジョブズだったのではないか。当たらずとも遠からずと思いますが、いかがでしょうか。

冒頭写真:「Think Different」の広告ビジュアルより

彼らは仲間を失うことを過剰に恐れているのです。SNSが広まったことでさらに加速されている(株式日記と経済展望より)

反〈絆〉論 (ちくま新書)
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