■時代と流行|セレブリティの成り立ちとビジネス

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有名人でお金持ち、これは間違いなくセレブだ

セレブの条件は、ただひとつ有名か否かということ

日本では、ときどきお金持ち=セレブとして紹介する場合がある。とくにテレビではそうである。しかし、単なるお金持ちは、セレブではない。それは、成金と言った方が正確ではなかろうか。違うか。テレビの勘違い振りは、甚だ遺憾である。

セレブリティ(celebrity)著名人、有名人

セレブリティとは、有名人のことを意味する。この有名とは、一般に認知されていることである。したがって、いくらお金を持っていても一般人になんの認知もなければ、ただの人である。ところが、テレビ等では金持ち=セレブとして浸透させようとしている。この辺りいつから、そうなったのか。意味が分からん?。

日本でセレブという言葉が認識されだしたのはいつ頃か。意外と最近のような気がするが、いかに。1960年代にはなかっただろう。1970年代はいかに?。やはり、1980年代のバブル期以降に浸透したか。海外ブランド品が俄然注目された頃からではないか。一般人がブランド品を身につけることを覚えた頃だ。

<海外ブランド品とセレブの浸透>

ヴィトンだ、アルマーニだ、ロレックスだ文句あっか。という具合でブランド品が大量に日本国内に進出し席巻し始めたのが、1980年代だったと思うが、違ったか?。70年代にもすでにその傾向はあったようだが、より顕著となったのが80年代のはずである。

どこの百貨店も一階の目立った場所には、海外ブランド品の店舗が並んでいた。これは、今でも続いているようだ。日本人が、どんだけブランド品が好きかが推し量れる次第である。いやはや。

それはさておき、セレブリティーである。セレブになるには、概ね芸能人、エンターティナーになるのが手っ取り早い。なにしろ、テレビや映画、雑誌など人の目につくところに露出するからだ。それから、スポーツ選手もおなじくセレブの輩出率が高い職業である。しかも、成功すればお金持ちである。

あとは、アート系や文化系などの有名人である。いわゆる芸術家の方々である。こっち方面の人はかなり売れっ子でないと一般での認知度は無いに等しい。なんせ文化・芸術に関心を寄せる人は、案外少ないからだ。したがって、岡本太郎氏の様にテレビコマーシャルなどで顔を知られて、セレブの仲間入りする場合が多い。

一般の人々は、作品にはあまり興味・関心はない。テレビやその他媒体に出てたということだけが重要であり、それが有名人になる機会でもある。

<アンディ・ウォーホル>

こういう仕組みを芸術にした作家がいた。それが、かの有名なアンディ・ウォーホルである。ウォーホルは、有名になるために芸術作品を作ったように思えるぐらいだ。なんせ、作品のテーマが有名人ばかりである。人ではない題材の場合も、キャンベルスープ缶のように、アメリカ人なら誰でも知っている、いわば、モノ版のセレブリティーを扱っていた。

セレブリティーを扱った作品を作って、自らもセレブとなった訳である。ウォーホルは、やたらと写真を撮らせた。自らも撮ったし、有名人と一緒のところを撮らせてもいる。そして、それらの写真は、雑誌等で一般人に公開される。そして、有名人と一緒にいる有名人として、さらに認知度を高めていく。

それと共に作品の価値もなんだか知らないうちに高騰するという具合だ。なんだか良く出来た仕掛けのようでもある。これらの事をよく知った上で行ったのであれば、作品どころかすべての行いがアートと言っていいだろう。

ウォーホル、おそるべしである。そこが、現在でも評価される由縁かもしれない。時代を良く捉えていた、または人間の根源をよく見つめていたというべきか。

<セレブと写真は相思相愛の関係>

セレブは、よく写真に撮られる。言葉を変えれば、写真に撮られないセレブは、セレブじゃないとも言えるだろう。また、写真は、セレブがその存在を高める役割を担っている。写真によって情報が拡散されていくからだ。

写真に撮られて、常に近況を報告するのもセレブならではの役目だ。本人の思惑とは違う場合も多々有るが、見られたく無いところも晒してしまうのは、いわば宿命である。セレブとなった途端にそれはやってくる。もはや、自分であって自分ではなくなる。

ときに、芸能人などで何を勘違いしたか、自分の時間が欲しいという。それは、何のために芸能人になったのかをよく考えてみて頂きたい。有名人になりたかったからではないのか?。そうではなく歌が歌いたかっただけなら、場末のスナックでおじさんとデュエットでもしてればいいだろう。違うか。

セレブ=有名人となったのは、芸能人であればある程度売れた証である。それが迷惑なら、たぶん辞めた方がいいに違いない。芸能人セレブである以上は、プライベートはないと覚悟した方が身のためといえる。

日本ではまだパパラッチという職業は成立していないが、遅かれ早かれ、ハイエナのごとく芸能人を狙う職業写真家が現れるはずだ。そうでなくても、一般人もみなスマホを持ち歩いている。それが、いつ向けられるかはセレブの価値に掛かっている。セレブとしての価値が無くなれば、カメラも向けられなくなる。

したがって、セレブと写真は切っても切れない関係にある。いわば、相思相愛とも言っていいかもしれない。だから、ときに当人の思惑を超えてしまうのは、致し方がないといえる。セレブにとっては痛し痒しというところか。

<セレブリティ・ビジネス>

セレブ=有名人は、その価値をビジネスにすることができる。有名であることをビジネスに結び付けたのは誰であるか知らないが、これは天才かもしれない。なんせ、有名というおまけ的要素で商売ができるのは、なんともおいしいからだ。

簡単にいえば、名前だけで商売になるということだ。有名な名前に価値が有るということに気が付いた目敏い商売人は、次々と有名人の名前だけを借りた派生ビジネスを誕生させていく。

まずはファッションの世界でこれが顕著に行われた。有名人のデザイナーの名を借りて、サングラスや時計を売り出すなんてことは、いまでは当たり前である。もっと手がかかった場合は、有名人の娘の名前なんてケースもある。

例えばピカソは使えないが、その娘の名前なら使えるというケースなど典型である。たしか、パロマ・ピカソといったはずだ。なんとなく響きもいいし、しかもピカソだ。十分に価値があるという具合である。

神田うのなんてのも、そうに違いない。彼女は、なんのタレント性もないが、ただ有名であった。それを利用できるとした商売人がいた訳である。

セレブは、そうしたビジネスに直接に関与することなく利益だけを得る事ができる。ロイヤリティーを設定して、最初に払ってもらうか、売上に応じて払ってもらうかすればいいだけである。

有名人の余得といってしまえば、それまでである。しかし、その価値を維持および上げて行かねばビジネスも頓挫してしまう。いずれにしても、本業で活躍することが、余得にも繋がるということだ。

それにしても、なぜ一般人はそうしたセレブ商品を有り難がって購入するのか。それは、どうやら一般人の願望を満たすからだそうである。人々は、商品を選択することによって自分を表現したい、またはある一定層の仲間入りをしたいと思っているとか。そこで効能を発揮するのが、セレブ商品という訳である。

抱える願望と合致するセレブなら、迷う事なくその商品を選ぶそうである。いやはや、本当なのか。そういえば、ネットでは芸能人が詐欺まがいのステマをしていたはずだ。それに引っかかって多額のお金をどぶに捨てた人も多くいたとか。

他にも、怪しげな宝石を売りつける商売をしていた芸能人もいたね。そうか、セレブ=有名人は、詐欺にも効果大であった。それもまた、ビジネス成りか?。

カルト・ヒーロー―セレブリティ・ビジネスを読む
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