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■時代と流行|自分撮りは、いったい全体ダレトクなのか?

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誰も見たくない、しかし自尊心は満たされるか

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それは、まるでウィルスの如く世界に蔓延した!

いまや当たり前の行為である「自分撮り(英語ではセルフィー)」は、いつ頃から始まったのか。それは、携帯端末の普及と関係しているのは分かるが、それがいつだったか思い出せない。そこで調べてみたら、英語で自撮り写真を意味する「selfie(セルフィー)」という言葉は、2002年頃から使われ始めたそうだ。

「自分撮り」に必需であるカメラ付き携帯は、1999年にDDIポケット(現・ワイモバイル)より発売された携帯がその最初らしい?。しかし、爆発的にそれを(カメラ付き携帯)推進したのは、J-PHONE(現ソフトバンクモバイル)が写メールで一躍注目を集めてからだそうだ。それは1999年〜2000年頃のことである。

それを境にして、携帯端末はすべてカメラ付きになっていった。カメラのない携帯は、もはや携帯端末とは言えない?、そんなムードになった。

2000年代以降の携帯端末は、カメラと共に進化及び深化していた。そして2000年代半ばにはスマートフォンが登場し、そのだめ押しとしてiPhoneが市場を席巻した。そこから先は、もはや言うまでもない事である。

00年代は携帯端末とカメラの一体化、そして「自分撮り」に市民権を与えた。それは、総じていえば、ITの進化の賜物といえるだろう。しかし、「自分撮り」のために作られた専用の棒は、ITとは関係ないに違いない。(苦笑)

それはさておき、「自分撮り」が何故そこまで流行ったのか。そんなに自分に自信があるのだろうか、それが疑問である。大概の人々は、その画像をSNSなどでアップして、なんらかの関係者に送信している。そこで、何が生まれているか。楽しいのかもしれないが、何が楽しいのかがよく分からない。

これは、当方だけだろうか。そもそも、「自分撮り」する勇気がないからだ。それは、何故かと言えば、自分の容姿に自信が持てないからである。これは、ナルシシズムの裏返しかもしれない。いや、究極のナルシズムかも…しれない。はたしてどっちだ?。

ナルシズムは、一般には自分好きが高じたものといえる。しかし、究極?のそれは、自分のありのままの姿を受け入れられず、想像でそれを補うのである。したがって、鏡やカメラに映る自分を自分とは認めない。そんな訳は無い、オレの思い描く自分の姿とは違うという具合にである。

何を隠そう、当方はそんな気があるので間違いない。いやはや。

<自分撮り(じぶんどり、英語: Selfie)とは>
自撮り、セルフィーとも呼ばれる、撮影者が手持ちしたカメラにて自分自身を被写体として撮影する方法である。(ウィキペディアより)

自分撮りとナルシシズムの関係

携帯端末はその高機能とは裏腹に、自分撮りのためのツールと化してしまった。そこまでして「自分撮り」しなくてもという場面に、遭遇したことがある人も多いはずである。まるで脅迫観念に駆られたように、それが必須であるかのように、それを逃すと一生の損とばかりにである。

確かにその一瞬は、その人にとって二度と訪れる事のない時間である。そのときに何をしていたか、それを記録するのは悪い事ではない。しかし、一方では、そればかりをしていたら、まるで人生が「自分撮り」の記録でしかないだろう。うまく言えないが、なんだか本末転倒のような気がするが、いかに。

何故そこまでするかであるが、前述したようにナルシシズムと関係があると思われる。自分を晒しても何の恥じらいも無い、そんな気がするからだ。たぶん、それらの行為には、自分好きがあるのは言うまでもない。

オレ、アタシのカッコいい姿を見て!という思いが、根底にはある。または、こんなに楽しいぜ、こんなに充実してるわ、どうよ!という優越意識もあるはずだ。それを悪いとは思わないが、大概にせいよとは思う次第である。

そういえば、芸能人は「自分撮り」をセルフプロモーションのツールとして盛んに活用している。しかも、それは事務所公認で行われている。なんせ、コストが掛からずに顧客との関係式を深められるからだ。一石二鳥という具合だ。

最近では、寝起きのスッピンを公開するタレントが多い。これは、需要があるからそうしてる要素が大きいはずである。テレビ等では見られない「ここだけよ!」ということに意味がある。しかし、それも芸能人だからだ。

当たり前であるが、一般人は芸能人とは違うだろう。何か、一般人もセルフプロモーションしてるってか。誰が、それを望んでいるか?。誰もそんなの望んではいやしないだろうと思うが、いかに。

「じゃー、見なけりゃーいいじゃん」という意見もあろう。その通りである。しかし、ネットに繋げるといやでもそういった光景が目についてしまう。

ときどき、ネットで海外の写真等を探すと、そこには「自分撮り」された背景に美しい景色が広がる写真に遭遇することがある。そのときに感じるのは、あんたがいなけりゃいい写真なのに残念だと思うばかりである。

きっとそこにいた人にもなんらかのドラマがあったはずであるが、なにしろ想像を掻き立てるようなものが全くないに等しい。いずれの自分撮りもポーズやスタイルが似過ぎているからだ。なんかお約束事?でもあるのか…疑問である。

とにかく、そんな「自分撮り」には、見たくも無い結婚式や子供の誕生祝いの案内はがきとおなじ匂いがする。本人たちはよかれと思っているに違いないが、多くの人はそんなの見たくも無いはずだ。違うか。

幸せの押しつけほど、嫌みなことはない。そのように考えるのは、当方の被害妄想もここに極まれりかもしれない。しかし、案外と意見を同一にする人もいるのではないか。そんな思いがする昨今である。

ここまで、「自分撮り」に否定的ともいえる見解を述べてきましたが、最後に付け加えると、自分はしないが、「とくに問題はないのでどんどん好きにしてください」と言っておきます。その現象が興味深いのでネタとして取り上げましたが、その行為自体をけっして悪いとは思っていません。

そこになんらかの必要性があるから、その行為がこれだけ広がったはずです。時代と流行が織りなす、代表的な例として興味深い現象であるに違いないと思います。

なお、繰り返しますが、当方はそれに参加は致しません。宜しく哀愁、あしからず。

冒頭写真:これ誰??…と思いきや、なんときゃりーさんだそうです!

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