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■社会|編集の時代 切り取る・集める・再構成する

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カットアップ、サンプリング、リミックス

音楽は不況だが、DJは莫大な収入を稼ぎだしている

■年間収入が78億円のDJがいるそうだ!

なんでも、現代は「編集の時代」だそうである。とはいえ、出版の編集はあまり関係がない。もし、そうだとしたら出版不況とは言われないだろう。ここでいう編集とは、その「考え方と手法」のことである。それが、現代を象徴しているとか。そして、それを代表するのが、音楽DJである。ただし、ラジオのDJではない。

音楽DJとは、クラブなどで流れる音楽を店の雰囲気や客層に合わせて選択する重要な役割を担っている。このDJは強者となると、幾千という楽曲に通じていて、それらの曲の一部を切り取る(カットアップ)、集める(サンプリング)、再構成(リミックス)して、新しい音楽を生み出してしまう。

そうして生み出された音楽は、引用、盗用、剽窃などとも言われるが、原曲のイメージがまったく残されていないことも珍しくない。日本のDJの草分け的な存在である藤原ヒロシと屋敷豪太(ドラマー)が造り上げた「ノルウェイの森」という曲があった。それは、ビートルズの同名曲をモチーフに再編集した曲であった。

しかし、その曲のどこにも原曲の面影はなかった。しかし、著作権の関係で廃盤となったようだ。以前は、YouTubeでも聴けたがいまではそれも削除された。個人的には、とても気に入っていたので残念である。僅かに残された中古盤は高値で取引されているとか。しかし市場にはあまり出回らないと聞く。

それはさておき、このDJであるが日本ではどうか知らないが、海外ではとてつもない収入を得ているそうだ。ある有名なDJなどは、年間の収入が78億円だそうである。どこから、その莫大な収入が発生してるかと思うが、とにかくそうであるらしい。日本の音楽家などは目が点になるに違いない。

経済誌フォーブスが14年に掲載した「Electronic Cash Kings 2014」によると以下のようになっています。(要するにDJの収入ランキング)

年収78億円、何故DJに高額が支払われる?(ビジネスジャーナル)

■Electronic Cash Kings 2014

No. 1: Calvin Harris $66 million(78億円)

No. 2: David Guetta $30 million

No. 3 (TIE): Avicii $28 million(同額二人)

No. 3 (TIE): Tiesto $28 million

No. 5: Steve Aoki $23 million

No. 6: Afrojack $22 million

カルヴィン・ハリス (英 : Calvin Harris)とは、スコットランド出身のDJである。MySpaceで自身の楽曲をアップロードし、注目を浴びた。カイリー・ミノーグやリアーナ、ケシャといったミュージシャンの楽曲をプロデュースしている。
ウィキペディア/カルヴィン・ハリスより

一位のカルヴィン・ハリスは、なんと6600万ドル(78億円)も稼いでいます。しかも、他のDJをぶっちぎっての堂々の一位です。なお、下位グループもみな数十億円単位の収入なのは、さすがというか信じ難い金額です。

なお、5位のスティーブ・青木は、アメリカで有名なレストラン「紅花」チェーンの創業者の息子であるとか。たしか、娘さんは女優でモデルもしていたはずだ。なんと一家総出で億万長者である。これこそまさにセレブ一家である。

かれらは、単にクラブでDJをするだけでなく有名アーティストに楽曲を提供したり、プロデュースをしたりすることで莫大な収入に繋がっている。いまや、海外の音楽界ではDJなくしては、成立しない状況のようである。

何故、DJがこれほど受けるのか?。それは、現在では音楽にオリジナルが生まれにくい状況があるからといわれている。リズムもメロディーもほぼ出尽くした感があるのは否めない。そこで、だったら過去の幾千、幾万とある楽曲を再編集して新しい音楽としてもいいじゃないか、と考えたとしても不思議ではない。

そして、そこで必要となる才能が「編集のひらめきと技術」であったという訳である。したがって、DJが莫大な収入を得るのもいわば必然でもあった。ただし、海外のことであり、日本ではまだそこまでいっていないようだ。

実は、この「編集の時代」という言葉は、90年代にも言われていた。それは、クラブシーン等が活況しはじめて、DJがクローズアップされた頃と重なっている。とすれば、もうかれこれ二十数年は、「編集の時代」にあると言ってもいいだろう。

現在は、それが深化、または進化した「編集の時代」ではないかと思われる。

編集という行為は、幕の内弁当を詰めるようなもの!

■すべてのモノ・コトは、編集に通じるか?

90年代初頭ですが、西岡文彦氏(ジャパネスクの生みの親)が「編集の学校」という本のなかで、編集とは「知の幕の内弁当を詰めるような作業のこと」と書いていました。なるほど、さすがです。ちなみにその本は、91年に発売されています。

幕の内弁当は、まさにカットアップ、サンプリング、リミックスの見本のようなものです。DJのエレクトリック・ダンス・ミュージックとは、だいぶ様相は違いますが、そこで行われていることは実に良く似ています。(たぶん)

厳選した素材を選び出し、それを分類・分別したあと、その中からメインとなる素材を決めて、彩りと味わいを深める脇役を添えていきます。そして、全体を整えて完成です。幕の内弁当もDJの編集も概ねこのような経過を辿ると思われます。

このようなことを考えると、インターネットの世界も同じだと気が付きます。ネットの世界には、無数の情報が溢れていて、それを利用して何かを生み出すことは、いまではなんの不思議もなく行われています。そこでは編集という概念さえないかもしれません。

そして、引用、盗用、剽窃と紙一重か、そのものズバリもおかまいなしである。その境界線が曖昧であり、誰もそこに線引きは出来ないに違いない。たとえ出来たとしても、その垣根はすぐに越えられてしまう。

それがネットの宿命であるかのように。

幕の内弁当、DJ、クラブミュージック、インターネットなどは、編集というキーワードで括ることができそうです。いや、それだけでなく、現在ではすべてのモノやコトが編集(カットアップ、サンプリング、リミックス)されて出来ていると言っても過言ではないかもしれません。

それがいいか悪いか、望むと望まないにも関わらず、どんどんと勢いを増して進展している。そんな気がしますがいかに。

ちなみに、アートの分野でもDJの行為と同じような動きがありました。たしか、90年前後だったと思われます。それは、シュミレーショニズム(またはネオポップ)と言われました。次回、または近日中にそれを取り上げたいと思います。

……….
なお、当方はカルヴィン・ハリスには、どこがいいか?である。あしからず。

編集の学校 (別冊宝島 134)
編集の学校 (別冊宝島 134)

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