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■社会|数値至上主義の行方はいかに 人間の心は数値化できるか

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すべての物事は数値化できる、それはありか否か?

■数値至上主義は、どこで生まれたか

 現在、企業に留まらずあらゆる組織体では、数値によって管理・運営されていると思われる。企業を例にとれば、各年度、中期、長期などの経営計画は数値で示される。目標は、まず数値で示されてそれを達成することが目的となる。

 そこでは、本来あるべき姿(マーケティング上)である顧客満足を満たすことは、それほど重要視はされていない。違うだろうか。目的のためなら手段は問わない、そんな風潮にあるのが昨今の企業および組織風土ではないか。

 いまさらであるが、そんな気持ちがする次第である。もちろん、そうでない企業や組織もあるが、大半の企業群は数値市場主義で経営しているはずだ。

 なぜ、数値がそれほど幅を利かすか。それは経営していく上で目安となるし管理もしやすいからに他ならないだろう。また、それがいつの間にか常識となっているからである。しかし、経営の収支を把握するのは数値しかないのは言うまでもない。損益計算ができなければ、経営は危ういというしかない。

 数値市場主義の問題は、目前の損益計算ではなく、未来の収支計画の方にある。何故なら、まずはじめに目標が数値で示されることに違和感があるからだ。目標数値を達成するために新製品などが開発されていくのは、何処か矛盾が生じている。目的が数値達成という本末転倒に陥っている。そうとしか思えない。

 企業は、本来であれば特定のビジョンに基づき、想定される顧客に新たな便益をもたらすことで利益を得ることを目的としているはずだ。しかし、現在の大概の企業群では、数値がはじめにありきとなっている。

 したがって、数値達成のためなら何でもありとなるのは自明の理である。

 売上不振の企業がやることは大概決まっている。まず、コストを削減する、これには人員整理も含まれる。そして、不採算事業を整理する、工場や店舗などを閉鎖または売却して負の部分を清算していく。

 その結果、売上高は減るかも知れないが、経営指標上の数値は向上する。要するに損は出したが、事業自体の損益計算はプラスに転化した訳である。これが、数値だけで行う経営戦略の基本であり、プロ経営者?の得意技である。

 プロ経営者とは何か、それを端的にいえば大学で MBAを取得し幾つかの会社で経営幹部を経験し、ある時点で経営トップに就任する。そして、その後も数値管理能力を買われて幾つかの会社で経営トップになるような人達である。

 プロ経営者とは、要するにコストカッターのことを言うらしい。違うか。言葉を変えれば、数値至上主義者ともいえるだろう。かれらは、何かを生み出すより、何かを壊すことの方が得意なようだ。たぶん、当たらずとも遠からずだろう。かれらが、新しいモノやサービスを生み出したとは聞いたことがない。

 2000年代前半の米ヒューレット・パッカード(HP)では、過去最高益を達成したあと直ぐに人員整理を実施した。何故なら、株主利益をさらに高水準にしようとした結果であった。そのときの経営者はカーリー・フィオリーナ氏という外部からやってきたプロ経営者であった。

 日本マクドナルドでは、トップに就任した元外資系のプロ経営者が、合理化を推進して急失速してしまった。どうせ客は来るからと、顧客を家畜の頭数扱いしてコスト削減にせいをだしたからだ。顧客=人間を、餌場にくる家畜として計算したのだろう。数値至上主義は行き過ぎるとまるで全体主義のようだ。

<全体主義とは>()内は後から追加
 個人の利益よりも全体(企業)の利益が優先し、全体(企業)に尽すことによってのみ個人の利益が増進するという前提に基づいた政治(経営)体制で、一つのグループが絶対的な政治(経営)権力を全体、あるいは人民(組織)の名において独占するものをいう。

 プロ経営者は、顧客の利益ではなく、また社員の利益でもなく、なにより株主の利益を最重要視して経営していく。それこそが自分の利益(高い報酬)に繋がるからだ。そして、そのような経営者が優秀とされて引く手あまたとなっていく、それが現在である。

「数値至上主義」とは何か?。

 ところで、「数値至上主義」とは何かであるが、これを端的にいえば世の中の出来事やその解決方法まで、すべてを数値化できるという考え方である。これを極めると人間の心(行動など)まで数値化?できるそうである。

 そして、それを開発したのは、どうやらシンクタンクという化け物らしい。


博士の異常な愛情 予告編

この映画に出てくるストレンジラブ博士(冒頭写真)は、以下で紹介するランド研究所をいわば揶揄したような人物像となっている。正確なことは分からないが、当たらずとも遠からずと思われます。

元は「ランド研究所」にあり!?

■ドクター・ストレンジラブたちが集まった研究所?

 数値至上主義という考え方を発明?したのは、戦後のアメリカに誕生したシンクタンク「ランド研究所」であるとか。この「ランド」はシンクタンクの先駆けであり、アメリカだけでなく各国(西側)から最優秀と思われる科学者、物理学者、経済学者、数学者、歴史学者、政治学者などを集めていた。

 ちなみに「ランド」とは、リサーチ&ディベロップメントの略だそうだ。

 何を研究していたかといえば、はじめは空軍の戦略開発を主に研究課題としていた。要するに軍事戦略の研究である。戦後の東西冷戦期において、いかにアメリカが優位に立てるか、それが課題であった。その結果、開発されたのが原爆の数千倍の威力とされる「水爆」であった。

 そして、後の軍産複合体(軍と兵器関連企業の利益集団)の要となり、その方向性を決定付ける存在となっていく。

 「ランド」が関わった多くの事案では、実際に戦争も行われていた。ベトナム、そしてイラクなどが有名であるが、その他の案件にも関わっていたといわれる。ネオコンと呼ばれる新保守派、また市場原理派の多くがランドから参加していた。

 あのキッシンジャーもそうした一人であった。他には、ラムズフェルド元国務長官、ライス元国務長官などもそうであった。ランドは、戦後のアメリカの政府中枢に影響を与え続けてきたと言っても過言ではない。

 そんな「ランド」が、もっとも研究対象として重要視したのが「人間」であった。人間の研究なくして、戦略を決定付けることはできないということだ。なんせ、軍事であれば敵がいるのは当然であり、そこには人間が決断する何かが重要であるからだ。それが、分かれば打つ手も考えられるという具合である。

 そして、人間研究の一環から生まれたのが「ゲーム理論」というものだった。これは、戦前からあった理論を発展させてできたといわれる。この理論自体は有名であるが当方は、よく理解していないのでここでは省きます。

 この理論の一部に「囚人のジレンマ」というのがあります。これは、究極の選択を問われた場合、人間ははたしてどんな合理的な判断をするかを提示するものであった。そこには、協調か、裏切りかのどちらかを選ぶしかない。

 これを国家間に当てはめれば、平和か戦争か。企業に当てはめれば、競争か撤退か、などの判断における応用となるといわれている。しかし、当方はあまり理解していないのでこれ以上は説明できない。あしからず。

 話しは前後するが、ゲーム理論の前には「アローの定理」というものが、ランド研究所の概念を支配していた。このアローの定理は、これまでの常識を覆すものだった。人間の行動は、特定の行動を数値化して確率を計算すれば予測可能とした。人間の行動は、確率論であるという考えをもたらした。

 そして、ある意味では、この世の中に数値化できないものはない。という誤った認識を広めてしまった。

 また、アローの定理では、人間は合理的な思考に基づき自らの利益の最大化を図るとした。要するに合理的とは、イコール利己的ということだ。この考え方の影響は、後に企業によって実証されていく。

 アメリカでは、社会的な存在である企業であるにも関わらず、株主以外のなにものにも責任を負わない、という考え方が支配していった。これは現在にも通じる企業の考え方ではないかと思われる。

 なによりもまず株主の利益が優先される、したがって社会的には不都合があっても利益のためなら何でもするという具合である。いやはや。

 上記したプロ?経営者の考え方の根底は、ここにあるような気がするがいかに。

 ここまで長々と書いてきましたが、テーマである「すべての物事は数値化できる、それはありか否や?」の結論は、現在のアメリカの現状が示していると思われます。

 それがどういうことかといえば、ランドが密接に関わったベトナム、イラク、アフガニスタンでのアメリカの失敗は言うまでもなく、最近では中東でのISISの台頭、そして中国の大国化によるごり押しとアジアの不安定化、さらにギリシャ問題など、アメリカの戦略はうまく言っているとは言い難い。

 唯一成功しているのは、日本に対するバブル崩壊以降の仕掛けのみである。それは、円高は言うに及ばず、最近の円安もそうである。

 したがって、ランドを顧問としたアメリカの目論んだ「人間の心を数値化」して、それをあらゆる問題に応用することは失敗したと言っていいだろう。たぶん。
 
 それともストレンジラブ博士が、どこかに隔離されて研究しているのかもしれない。そして、それは無きにしも非ずと思われる。

 最後に、スターバックスの創業経営者が、拡大路線が行き過ぎて失速した会社に復帰した後に総括した一言を以下に紹介致します。

「成長は戦略ではない。戦術である。それを私たちは十分に学んだ。
規律のない成長を戦略としたために、スターバックスは道を見失ってしまったのだ。しかし、過去の過ちはもう繰り返さない」ハワード・シュルツ氏

 これは成長至上主義、数値至上主義の反省であるのは言うまでもないだろう。

ランド 世界を支配した研究所 (文春文庫)

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