■時代と流行|昭和のナイトクラブ ニューラテンクォーター

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赤坂の夜を彩ったゴージャスなナイトクラブ

昭和のセレブが集った夜の社交場ニューラテンクォーター

 ナイトクラブというカテゴリーはいまも存在するのだろうか。キャバクラ、クラブ、スナックなど夜の社交場はいまでも数多くあるが、ショー・エンターティメントを中心に据えたゴージャスな夜の社交場はきっと無いに違いない。

 昭和という時代には、ゴージャスな夜の社交場が存在していた。そのなかで、いまでも有名を馳せているのが「ニューラテンクォーター」である。場所は、赤坂(地番は永田町)にあり、その立地から政治家や経済界の重鎮をはじめ、その周縁にいる関係者も多く訪れていたとか。

 当然の様に、芸能界のスター、スポーツ界の大物などもいた。さらに、日本の裏社会を牛耳っていた反社勢力の大物もいた。いわば、日本の中枢を構成する縮図をここで垣間見ることができたと言っても過言ではない。

<ニューラテンクォーター>
1959年12月開業〜1989年5月閉店
場所/赤坂(永田町)、ホテルニュージャパン地下
面積/660坪
テーブル数/300
従業員数/200人以上

 欧米には、ショー・エンターティメントを中心とした社交場は数多くあるが、日本のそれは少し様相が違っていた。その一番の違いは、ホステスさんがいたことである。女性が客をもてなすことも日本のナイトクラブでは行われていた。

 きっと政治家や経済界の重鎮が、ホステスを間にして怪しい取引等をしていたかもしれない。場所は違うが、赤坂の有名高級クラブ「コパカバーナ」にいたホステスが、政治や経済界の思惑で当時のインドネシア大統領に紹介されていた。それが後のデビ夫人であるのは、あまりに有名な出来事である。

 とにかく、昭和のいろいろな思惑とともに夜の世界を彩っていた。それが「ニューラテンクォーター」であったのは間違いないだろう。

大人のムードが支配したナイトクラブの世界

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大人をその気にさせるムードとは

 ニューラテンクォーターでは、多くの海外著名アーティストが歌い、演奏している。その一部は以下のとおりである。

 ルイ・アームストロング、ナット・キング・コール、ダイアナ・ロス、パティ・ペイジ、サミー・デイヴィスJr.、トリオ・ロス・パンチョス、コニー・フランシス、パット・ブーン、ジュリー・ロンドン、ハリー・ジェームス楽団、トニー・ウィリアムズ、ヘレン・メリルなど。

 ニューラテンクォーターが、最も華やかだったのは1960年代(昭和35~44年)と思われる。それは日本が高度成長期にあった時代である。時代は、まさに激動(冷戦、ベトナム戦争など)していたが、日本は経済的にはその恩恵に授かっていた。

 60年代といえば、若者文化が花開いた時代でもあった。ロックが人気を集め、そしてサブカルチャーも夜明けを迎えていた。しかし、それはあくまで若者の文化であり、大人とは事情が異なっていた。

 ナイトクラブは、あくまで大人の夜の社交場であり、そこには若者文化とは違った趣があった。上記した海外アーティストの名前を見れば、それがよく分かるはずである。ニューラテンクォーターで奏でられた音楽は、端的に言えばムードのある音楽といえる。それは大人の音楽とも言うことができるはずだ。

<ムード(気分、雰囲気)mood>

 ムードとは何か?。「ムードがある」という言い方をする場合が良くある。しかし、それは何を指してムードがあるか、人によって捉え方が違うと思われる。直訳すれば気分、または雰囲気であるが、どちらも抽象的な意味合いでしかない。

 したがって、ムードとは人それぞれの感じ方に違いがあって当然である。それは別の意味では、大人にこそ相応しいムードもあることである。若者のムードと大人のムードではその感じ方が違っているのは、言うまでもない。

「ニューラテンクォーター」は、まさに大人のムードを堪能させたナイトクラブであったことは間違いないだろう。何か、現在の日本に欠落している部分がそこにはありそうに思うが、それは気のせいだろうか。

 しかし、当時のニューラテンクォーターは高級な場所であり料金も飛び抜けていた。だから、誰でも行けるところではなかったようである。ある意味、憧れの場だったと言っていいだろう。

 それにしても現在、中高年になってもその選択肢がAKB48ではなんだか悲しい想いがするがいかに。別にAKB48を揶揄する気はないが、何かもっと別のものがあってもいいはずと思うばかりである。

 そんなときに遭遇したのが、以下に紹介するトランスワールド歌謡曲の歌姫「なかの綾」さんの大人のムードが染み渡る楽曲の数々である。ラテンやジャズの匂いがほんわかと漂ってきて、それはまるで「ニューラテンクォーター」や昭和30年代の夜の世界の雰囲気を纏っているようだ。なお、あくまで個人の感想であるが…そうとしか思えない。

 ちなみに、ニューラテンクォーターをネタに何か書いてみようと思い付いたのも、なかの綾さんの楽曲のおかげである。

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なかの綾

昭和が愛したニューラテンクォーター/ナイトクラブ・オーナーが築いた戦後ショービジネス
高度経済成長期に大人の社交場として赤坂に君臨したナイトクラブ。政治家、実業家、大スターたちが、世界の超一流ミュージシャンのステージを鑑賞した伝説のショーの数々。当時の公演パンフレット、ホステスだけに渡された接客規則までをも収録した決定版!

昭和が愛したニューラテンクォーター ナイトクラブ・オーナーが築いた戦後ショービジネス 

■昭和の夜の社交場、その他
以下は、比較的大衆向きの社交場と思われます。なお、ニューラテンクォーターとはだいぶ異なっているはずです。

クラブハイツ 
日本最大のグランド・キャバレー「歌舞伎町クラブ・ハイツ」

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国内最大規模のキャバレー「ミス大阪」

歌舞伎町クラブハイツは閉店したようです。ミス大阪はまだやってるようですが、詳しくは分かりません。あしからず。

なお、お断りしておきますが、当方はニューラテンクォーターを訪れたことはありません。全盛期には世代的にも無理な訳であり、大人になってからも夜の世界には縁遠く、もはやファンタジーの世界と言っていいだろうと思います。

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