■デザイン|またパクリか?神戸の街おこしロゴが村上作品に酷似している!

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アーティスト村上隆氏が、似てると訴えて賛否両論に!

デザインの盗用、引用問題はどこまでも…?

 神戸が街おこしとして行っているアニメストリートのロゴが、現代美術家・村上隆氏の作品に似ているとして一部で騒がれていた。それに対し、村上氏は自らの作品の世界観に似過ぎていると訴えていた。その結果、神戸とアニメストリートでは、ロゴを差し替えることで村上氏の了承を得たようだ。

 この経緯に対し賛否両論が起こっているとか。賛成派は、当然のように「似過ぎている」「どうせパクっただろう」という認識にある。一方、否定派は「いいがかりだろう」「世界観が似ているって何だ」とばかりに憤っている。

神戸アニメストリートとは

神戸アニメストリートは2015年3月に設立。アニメに特化したまちづくりを進める神戸市と兵庫県が連携し、市営地下鉄海岸線駒ヶ林駅前の商業施設「アスタくにづか」の3番館、5番館にオープンさせた。普段は映像制作やフィギュアの製造販売を手掛ける。そのシンボルマークとして公式サイトや各種商品に使われたのが、目玉ロゴだった。(j-castニュースより)

 2020東京オリンピックのロゴパクリ騒動以来、デザインの盗用、または引用に対して一般人が敏感に反応するようになった。それまでは、どちらかといえばデザインは専門家のいうままにという、一種やりたい放題であった。

 デザインは専門家のものか否か、それが問われたのは言うまでもない。なにしろ日本ではデザインの目的がおろさかにされていた。それはデザインが一部の有名デザイナーによって神聖視された結果ともいえる。

 表現のみに視点が偏って、本来の目的が何かを失っていたとしか思えない。デザインは、作家=デザイナーのものではない。あくまでコミュニケーションの手段であり、一般人がそれを役立ててこそ意味がある。

 したがって、デザインの立ち位置はあくまで主ではなく、従であるべきと考えます。(そうでないデザインもあるが、それは特殊な例と思うしかない)

 そこがデザインとアートの違うところである。

今度は神戸「目玉ロゴ」が村上隆作品の「パクリ」? ネットで「似ている」「言いがかり」と議論噴出の騒ぎ

アートには覚悟と生き様が、それがデザインにあるか

 当方はデザイナーではありません。したがって、デザイナー諸子のみなさまの事情を考慮せずに失礼な物言いがあるかもしれません。とりあえず、ひとつの意見として広い心で受け止めてもらえれば幸いです。

 アート(村上氏はアーティスト)は、それのみで完結する表現行為である。しかし、デザインは前述したように一般人(それに類する人々)に伝えることを第一義として、表現行為はそれを補足するといっても過言ではない。

 アートには、いまではほとんど表現を規制するものがない。現代美術の父とも母ともいえるマルセル・デュシャンが、約100年前に既製品の便器をアートとして提示してから、それは脈々と現在に続いている。

 アートでは、盗用、引用、または剽窃までも表現行為としてありとなる。正確には、それがアートとして認められた場合に限るが…。例えば、ポップアートしかり、シュミレーションアートしかりである。

 とくにシュミレーションアートでは、引用することがアートの行為そのものとなっている。(各方面で問題を起こしているが、それも表現行為としている)

 では何故、同じような表現行為がアートでは評価されて、デザインでは非難されるのか。それは、デザインはアートでは無いとしかいいようがない。(ちなみに、当方の知識不足かもしれないが)

 今回のロゴパクリ騒動は、アートからの引用?が指摘されたからだ。しかし、その逆の場合は、作品として認められる場合がある。ウォーホルのキャンベルスープ缶を描いた作品は、いまではポップアートの記念碑的な位置づけにある。

 このように、デザインとアートを比較した場合、アートに分があるのは言うまでもない。何故なら、その表現の自由度が比べようもないからだ。いや、精神の自由度と言い換えてもいいかもしれない。

 さらにいえば、デザインは与えられた仕事であり、アートは自立した生き様ともいえる。アートには、デザインのような汎用性はなく、それのみで立って行くしかない。そのために壮絶な覚悟が必要となるはずだ。

 アーティスト村上隆氏が、今回あえて訴えたのはデザインにその覚悟があるかと問うたに等しいと思われる。なお、あくまで個人的な想像ではあるが。

パクリ騒動の感想として

 ちなみに当方の個人的な感想であるが、たしかに似ている、たぶん村上氏の作品を知った上で引用したと思われる(たしかではないが)。そして、担当したデザイナーは、いくらか表現内容を変えたから大丈夫と判断したに違いない。

 そのとき、デザイナーはデザインの本来の使命を考えていただろうか?。想像するに表現形態しか考えていなかったのではないか。表層ばかりを意識して意図を想像しなかった。それがパクリの主原因であると思われる。

 カタチにする前に目的を明確化し、考え方を整理しておけば違ったはずである。何故そのようにいえるか、それは当方も同じようなことを仕出かしたことがあるからだ。いやはや、「経験者はかく語りき」、「類は類を知る」である。

 したがって、実は”これぐらい大目に見てよ”という気もしている。あしからず。

冒頭写真:左/アニメストリートのロゴ 右/村上隆氏の作品

以下は、村上隆氏の目玉をモチーフにした作品

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シュミレーションアートの作品については以下をご参照ください。
<当サイト過去記事>
■アート|アートなう(5)ネオポップ/シュミレーショニズム「それは盗用か、芸術か、その境界線は何処に」

追記:なお、ここでのデザインは主にグラフィックデザインを指しています。ロゴデザインのパクリですので言うまでもありませんが、念の為付け加えておきます。

創造力なき日本/アートの現場で蘇る「覚悟」と「継続」 村上隆
創造力なき日本    アートの現場で蘇る「覚悟」と「継続」 (角川oneテーマ21)

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