■80年代|日本のゴールデンエイジ ’80s(上篇)80年〜84年

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日本の黄金時代は、夢幻の彼方へと消えた…

80年代を顧みて、時代の変遷の構造を再検証してみる

 1980年(昭和55年)、時代の神は日本に微笑み懸けていた。そして、やがて風は強まり嵐のような怒濤の時代が始まっていた。それはある意味では、日本に訪れた黄金の時代であったが、裏を返せばやがてくる苦難の道筋も用意されていた。

 80年代が、日本の黄金時代といわれる由縁は、言うまでもなく”バブル経済”にある。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれたのも、おなじくである。アメリカを追いこす勢いを得た日本は、海外の多くの不動産、企業などを買い占めた。しかし、それが長く続かなかったのは今更言うまでもない。

 バブル景気があまりに強烈なのでそこにばかり焦点が当てられるが、実は社会、文化、生活、意識・価値観などが大きく変化を見せた時代でもあった。90年代以降には定着化して、いまでは当たり前のことが80年代に多く誕生している。

 90年代になってから、文化人たちは80年代は”スカだった”と決めつけたそうである。それはある意味では正解かもしれないが、すべてがそうであったとは思えない。なにごとも、過ぎ去った近い過去のことは、早く忘れたい想いが強いからに違いない。また、バブル崩壊の痛手が強かったともいえる。

 しかし、あれからすでに四半世紀が過ぎた。偏見を捨てて冷静に80年代を俯瞰して見るのも悪く無いと思われるがいかに。

 大衆から分衆の時代へーー80年代を代表するキーワード「感性」という、あいまいな言葉が象徴していたものは何だったか。70年代には「ナウ」という言葉が、若者だけでなく一般にも浸透していた。しかし、80年代では、流行現象を一括りにするその言葉はあまり使われなくなった。

 それは感性という、やわらかい個人主義が始まっていたからである。人と同じである事が価値を失って、感性という基準で差異化される時代となっていた。それは、カッコイイいい基準が他人と違う”何か!”と言っても過言ではなかった。

 80年代は経済のバブルという背景もあり、文化は爛熟化していった。そして、それは昭和が最期に見せた戒めの時代でもあった。89年(昭和64年)、昭和天皇が崩御、昭和から平成の時代へと移行した。

 80年代を象徴するキーワードには以下のようなものがある。(なお、政治や経済よりも、社会事象や消費者の変化に重点を置いています)

<日本の黄金時代ーゴールデンエイジを構成する要素>
※バブル経済については、あえて省きました。ご了承ください。

・感性消費、消費者から生活者へ
・やわらかい個人主義
・ポストモダン思想(近代を超えたスタイル?)
・軽薄短小、アンモラル、おたくの誕生
・ミーイズム、たこつぼ化(特定領域に閉じこもる)
・ディスコ

・山口百恵(70年代)から松田聖子(80年代のアイドルアイコン)へ
・ニューウエーブという新しい音楽性
・村上春樹(79年にデビュー、名作の多くは80年代)
・なんとなくクリスタル=ブランドの記号化
・ゲーム機が注目される
・女子大生、オニャンコなど集団アイドルの誕生

・クリエイティブの夜明け(文化としての広告表現)
・アート=カッコいい、イカす文化となる
・アートシネマ、マイナーこそカッコいい
・クラブ、DJの誕生(ピテカン)

・DCブランドの隆盛、日本人デザイナーの海外進出
・オシャレが一般化、個性と同義語化する
・海外ファッッションブランド
 ※モノ=ブランドという認識が広がった
・高級ブランドの一般化

 上記キーワードはかなり省略しているが、それでもいかに現在に繋がる事象が多いかが判るはずである。まったくおなじではないが、本質的なものが脈々と受け継がれている。それを考えると90年代に文化人が80年代をスカとしたのは、現在もスカであるということと同義と思われるがいかに。

1980年 黄金の幕開け

マンザイとテクノ

 ベトナム戦争も終結し、激しい反戦の季節も記憶の彼方となっていた。そして、2回のオイルショックを乗り越えて、80年代はいよいよ幕を開けた。

 70年代という、ある意味では真面目な時代を経て、80年はいきなり不真面目?ともいうべき傾向を表していた。マンザイブームが起きていた。それは80年代を通して共通する享楽的なムードを象徴するものであった。やがて、某テレビ局は”楽しくなければテレビじゃない”とまで宣言していた。

 さらに、おなじバカなら踊らなソンとばかりに踊り狂う、竹の子族が原宿の歩行者天国を占領していた。ファッションでは、保守層にはニュートラ、先端層にはモノトーンが流行っていた。そして、音楽のテクノから発生したテクノカットという新しいヘアースタイルも現れていた。

 YMOという音楽ユニットが海外での成功を引っさげて登場し、あっという間に人気となった。ニューウエーブ、またはテクノと呼ばれたその音楽は、まだJPOPのない80年代音楽の大きな潮流となっていた。

 一方、まだ歌謡曲と呼ばれた一群の音楽も健在だった。そこでは山口百恵が結婚、引退し、松田聖子が変わって登場していた。アイドルアイコンが80年を境に入れ替わったのである。

 この年、日本の自動車生産数がアメリカを超えた。

 1980年12月8日、かつて日本が真珠湾を攻撃したのと同じ日に、元ビートルズのジョン・レノンが暴漢によって銃殺された。ビートルズ解散から10年が経っていた。ひとつの時代が終わった象徴的な出来事であった。

<流行事象>
ポカリスエット。とらばーゆ。青い珊瑚礁(松田聖子)竹の子族。ホワイトデー。漫才ブーム。ガンダムプラモデル。校内暴力急増。テクノカット。

<その他>
テクノミュージック。ニューウエーブ。YMO。プラスティックス。

<映画>
「地獄の黙示録」ベトナム戦争を見せ物的に描いた傑作。
「影武者」実在の戦国武将にまつわるエピソードを描いたスペクタクル巨編。

1981年 感性の時代はじまる

不思議大好き

 80年代は、いよいよ本領を発揮し始めた。西武百貨店は、この年の広告キャンペーンで「不思議大好き」というフレーズを大々的にアピールしていた。これこそ80年代を代表する”感性消費”の幕を開けた根源と言っても過言ではない。

 そして、「なんとなくクリスタル」というスノッブ臭の小説が注目を集めた。小説に登場する高級ブランド品やレストラン、流行現象など、それぞれに注釈がついていた。これは、現在に続く日本人の海外ブランド品への過剰な価値観を広めて、カタログ文化の先駆けとなった。

 日本のファッションデザイナーが海外で注目され始めた。山本耀司、川久保玲、島田順子がパレコレに参加した。とくに川久保のアシンメトリーで黒ずくめの衣装が評判を呼んだとか。日本では、それを模倣した安価な製品が出始めていた。

 川久保や山本のファッションに端を発した「カラス族」が大量に発生していた。しかし、みんなが本物(川久保などの)を着ていたかは知る由もなかった。

 渋谷パルコ・パート3に生活雑貨店「アフタヌーンティー」がオープン。雑貨とカフェが融合した新しい業態として注目を集めた。何よりも、雑貨を単なる家庭用品ではなく、ライフスタイルを構成する重要な要素としたところが新しかった。

 従来の家庭雑貨に変わって、”生活雑貨”という名称が80年代に誕生したと言っても過言ではない。そして、この頃から雑貨ブームが起きていく。

 80年頃から始まったレンタルレコード屋という新業態が人気を集めていた。あまりに人気があったため、レコード会社から違法として訴えられる。そして、双方が話し合い権利を許諾したものだけがレンタルされることになった。

 街中では、新手の風俗が発生していた。それが「ノーパン喫茶」である。いま思えば、なんともはやであるが、当時は隆盛を誇ったものである。風俗というカテゴリーは、この頃から勢いを増してアンモラルに突き進んでいく。

 この年には他にも面白いモノ、コトが発生しているが、それらを「不思議大好き」というワードで一括りにしても可笑しくは無い。それぐらい、不思議大好きは時代を表していたと思われます。

不思議大好き01

<流行事象>
オレたちひょうきん族。ノーパン喫茶。キャプテン翼。スペースシャトル初飛行。ルビーの指輪。なめ猫。窓際のトットちゃんがベストセラー。校内暴力史上最高に。

<その他>
DCブランド。雑貨とカフェ、アフタヌーンティー。なんとなくクリスタル。貸しレコード店大流行。

<映画>
「ブルース・ブラザーズ」ジョン・ベルーシとダン・エイクロイドが主演した音楽バンドものコメディ映画。

1982年 アナログからCDへ

おいしい生活

 この年の西武百貨店は、またも不思議なフレーズでキャンペーンを行った。それが、あまりに有名な「おいしい生活」である。おいしい生活とな何だ?、なんとなく感性で捉えろと言われているのは判る、それは不思議大好きとおなじ路線といえた。また、やわらかい個人主義とも無縁ではないと思われるがいかに。

 なお、個人的には、「画一化した生活ではなく、個々の趣味趣向に合わせた生活を豊かに過ごす」という意味だと解釈しています。違うか。

 ソニーはCDの生産を開始し、CDプレーヤーを発売した。音楽はアナログからCDの時代に突入した。ソニーはこの頃は、いまのアップルみたいな存在だった。ちなみにこの頃のアップルは、初代マッキントシュの開発をしていた。

 タモリが「笑っていいとも」の前身となる番組を開始した。この番組が、つい最近まで続くとは、その頃には誰も思わなかったはずである。当時のタモリさんは、とにかく危ない雰囲気を醸し出していたからだ。

 日本発のクラブ誕生。ピテカントロプス・エレクトスという不思議な名前のクラブが原宿にオープンした。音楽プロデューサーの桑原茂一とミュージシャン中西俊夫の共同作業で造られたといわれる。

 このクラブの誕生は、DCブランド「バツ」のオーナーから、いい場所があるから何かやらないか、と誘われたことから始まったそうである。通称ピテカンでは、ニューウェーブ系のバンドが数多くライブを行った。80年代を代表するカッコいい場所として伝説的なクラブとなった。

おいしい生活01

<流行事象>
笑っていいとも開始。ミニスカート。レッグウォーマー。タッチ(あだち充)。テレホンカード発売。パーソナルコンピュータPC-9801を発売。待つわ(あみん)。コンパクトディスクプレーヤー発売。

<その他>
日本初のクラブ「ピテカン」オープン。おいしい生活(西武百貨店)。無印良品(西友)。

<映画>
「遊星からの物体X」クリーチャーが見所のSF映画の傑作。
「ブレードランナー」SF映画の潮流を決定付けた不朽の名作。
「ET」スピルバーグ監督の大ヒット作。

1983年 ゲームの時代はじまる

ゲームとおたくの出会い

 ニンテンドーが「ファミコン」を発売、ここからゲームの時代がはじまった。やがてゲームが単なるおもちゃを超えて、一大事業になると予想した人はあまり多くないに違いない。しかし、ゲームは80年代を通して拡大し、90年代にはさらに大きく花開いたのは今更言うまでもない。

「おたく」という言葉と意味性が、中森明夫(ライター)によって発見?および定義された。その呼称は、コミックマーケットで参加者たちが、相手の事を”おたく”と呼んだことに由来していた。現在は、おたくからオタクへと変わっている。

 テーマパーク「東京ディズニーランド」が千葉舞浜にオープンした。施設の概算費用は約1600億円といわれた。既存の遊園地が一気に陳腐化したのは言うまでもない。これを機にテーマパークという娯楽施設の概念が、日本中に広がっていった。そして多くの類似施設が誕生することになった。

 女子大生を主役にした番組「オールナイトフジ」が放送を開始した。この番組によって、女子大生がクローズアップされて一大ブームとなった。やがて、海外高級ブランドを身に纏う女子大生などが、やたらともてはやされた。

 この頃から高級ブランドと女子大生は密接な関係になっていた。そして、バブルはすぐそこまで迫っていた。女子大生はバブルに準備万端整えていた。

 そうだ、思い返せば、80年代は女子大生の時代でもあったのだ。しかし、この後には協力なライバルが現れてくるが…。

<流行事象>
インターネットが誕生。東京ディズニーランドが開園。北斗の拳。スチュワーデス物語。「おしん」が最高視聴率62.9%。ファミコン初発売。積み木くずし。

<その他>
コムデギャルソン/ワイズ日本でも流行。ヨーロッパインポート物のスーパーカジュアル人気。女子大生人気。六本木WAVE、オープン。おたくの発見。

<映画>
「フィツカラルド」アートシネマで人気のカルト映画。
「ランボー」スタローン主演のヒーローアクション映画。

1984年 バブルまであと少し

お金が降ってくる

 1984年といえば、思い出されるのがジョージ・オーウェルの小説「1984年」であるのは言うまでもない。1949年に書かれたものである。市民生活がほぼすべて当局に監視されている世界を描いている。

 で、実際の1984年はどーだったか。日本ではバブルまで後少しと迫った時期であり、すでに若干浮かれぎみだったのは否めない。監視社会とは違ったが、もっと恐ろしいものが迫っていたともいえるだろう。
 
 まだバブル期にはちと早いが、ディスコ「マハラジャ」が麻布十番にオープンした。80年代後半のバブル全盛期には、アルマーニを着た男とボデコンのミニスカおねーさん達で店は一杯であったといわれる。とにかく繁盛したディスコとして名を轟かせた。多店舗チェーン化したディスコとしても有名である。

 この年には、日経平均株価が1万円を超えた。しかし、まだまだだ。やがて天井知らずに株は上げていくことになるからだ。

 音楽では、レベッカがデビューしている。ロックで女性がボーカルをとるのは当時はまだ珍しかった。ボーカルのNOKKOさんは、女性ロックボーカルのはしりとなった。海外では、ソロでマドンナが活躍していた。

 80年代は、テクノの印象があるがそれは一部の間のことであり、多くの音楽ファンは日本製ロックを聴いていた。日本のロックシーンが一番熱かった時代でもあった。そして、90年代になり、JPOPと呼称を変えて引き継がれていく。

 一方、80年代の幕開けと共に登場したニューウェーブの活動の場であったクラブ・ピテカントロプスが閉店を余儀なくされた。尖った時代の申し子であり、カッコいい象徴でもあったが、僅か3年余りしか続かなかった。

 米アップルコンピュータがマッキントッシュを発表した。このコンピュータの登場によって、コンピュータの未来はパーソナルユースへと大きく舵をきっていった。

<流行事象>
マハラジャがオープン。ドラゴンボール連載開始。カラムーチョ。風の谷のナウシカ。新紙幣発行。グリコ森永事件。スケボー。エリマキトカゲ。
 
<その他>
ディスコの大型化、マハラジャ誕生。レベッカ、デビュー。マッキントッシュ誕生。日本初のクラブ、ピテカン閉店。

<映画>
「スカーフェイス」キューバ移民がマフィアとして成り上がり、転落していく様子を描いている。カポネを題材とした映画のリメイク。

1980年代/前半期のまとめ

 80年の幕開けは、テクノとマンザイとダンスとアイドルが混在して登場した。どれも新しい潮流であったが、どれが主流となるかは不明であった。なんとなく、80年代の文化爛熟の傾向が垣間みえていた。

80年…どのジャンルもニューではじまった。音楽はニューウエーブ、漫才からマンザイへ、ダンスは街中へ、アイドルは新規へ。
81年…不思議=感性という曖昧さが時代に躍り出る。
82年…不思議からおいしい生活へ。ますます感性主体の志向が強まってくる。
83年…ファミコン発売。やわらかな個人主義が静かに広がりをみせる。一方、感性=ブランド、さらに高級志向が垣間みえてくる。
84年…オーウエルの「1984」は、日本では現実化しなかった。バブルを前になんとなく浮き立つ気分が蔓延していく。

 90年代に発売された「別冊宝島/80年代の正体!」という本で、80年代は「スカだった」と決めつけられた。しかし、上記したとおり80年代には後に繋がっていく多くのトレンドが生まれていた。

 80年代のティストそのままではなく、当時生まれたモノやコトが90年代、00年代に進化、進展したものが数多くあるのも事実である。「スカだった」と決めつけたのは、偏った見方しか出来なかったサブカル文化人と思われる。

 かれらは、きっとYMOやピテカン、岡崎京子などを理解できず、遠く離れた無縁の人達ではなかったか、と思わずにはいられない。

下編はこちら:■80年代|日本のゴールデンエイジ ’80s(下篇)85年〜89年

参考文献:東京大学「80年代地下文化論」講義 決定版
東京大学「80年代地下文化論」講義 決定版

西武のクリエイティブワーク―感度いかが?ピッ。ピッ。→不思議、大好き。

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