■時代と流行|男のTHE美学 ダンディズムという生き方

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時代に同化しない生きざまの美学

 現在の世の中に、特定の美学にこだわり、それを生きざまとする男がいるかどうか。もし、いるとすれば、かなり希少な存在であるに違いないだろう。

 なにしろ、現代はあらゆる欲望に満ちた時代であり、それを享受することで人々は繋がっている。また、それを共有し共感することが求められている。

 美学にこだわり、それを生きざまとする生き方は、そのような時代の趨勢に反すると同義である、と言っても過言ではない。

 しかし、かつて美学にこだわり、それを貫いた男たちがいた。ダンディズムという美学を実践した男たち、かれらは「ダンディ」といわれた。

ダンディは、徹底して差異にこだわる

 ダンディが誕生した時代には、18世紀後半から19世紀にかけて起きた産業革命という背景があった。その時代には王侯や貴族ではない、新しい富裕層が生まれていた。かれらは、旧体制の規範ではない、独自の規範を作ろうとした。

 新しい富裕層=中産階級は、王侯や貴族、大地主のジェントリでもない、工業化という新しい時代の特権階級の誕生を意味していた。

 そのような時代背景のなかで、ダンディズムという考え方は生まれていた。

<ダンディが実践するダンディズムとは何か>

 一般的にダンディといえば、ダンディ坂野である。というのはジョーダンであるが、しかし、どーしても想像してしまうのは仕方がない。

 それぐらい「ダンディ」という意味も形骸化してしまったからだ。

 それはさておき、本題である。一般的に使われるダンディといえば、洒落れた衣装にこだわっている男性を指している場合が多いと思われる。要するにファッションという見てくれを表した言葉として使われている。

 しかし、それはダンディの本質を表していない。前述したように意味が形骸化したからに他ならない。たしかに見てくれも一面を表しているが、本質はその概念にあるのは言うまでもないことである。

 ダンディの本質である概念、ダンディズムの意味とは…。

 ダンディの本質を端的にいえば、画一とか平均という社会の流れに反し、徹底して差異と、個のアイデンティーにこだわる存在といえるだろう。

 かれらは、ファッションや作法の定則をきらい、商業主義にも背を向ける。ものに動ぜず、品位を重んじ、何よりも単純さと無意味さを好む。近代(当時は19世紀)という化け物を批判し、そして揶揄して抵抗する。

 それはある意味では、叶わぬ理想を追い求めている。かの有名なドンキホーテとどこか相通じるものがあるかもしれない。

 したがって、ダンディは、集団化することを忌み嫌っていた。

 近代以降の社会は、集団でものを考えたり、集団で楽しんだり、集団で小便にもいく、まさに集団が行動の規範となっている。そのような規範に依存しない人は、異端として除け者にされるしかなかった。これは現在でもおなじである。

 ダンディとは、そのように人と一致(同化)しないこと、集団から退け者とされることも覚悟の上で、独自の美学を貫く人たちのことを指している。

 けっして、ファッションという表層のことを意味している訳ではない。それは、美学を貫く精神性の結果として表現されたものである。ダンディのファッションは、地味でシンプルだったといわれる。意外だが、目立つことを良しとしていなかった。

 一方では、ダンディに憧れる層によって、ダンディ教則本のようなものが登場している。それは、主にファッションに関してのものだった。それを真似れば、誰でもダンディのような装いができた。現在にも通じる、見かけだけの似非ダンディである。

 しかし、それで真のダンディになれる訳ではなかった。言うまでもなく、ダンディの本質は、美学の底流にある考え方、そのものだったからだ。

 真のダンディは、そう多くはいなかったといわれる。他人の目も省みず、独自であることにこだわり、異質として生きることを恥としなかった。そんなダンディに誰でもがなれる訳はなかったのは言うまでもない。

 ダンディとは、独自と同義であったからに他ならない。

 19世紀、すでに社会の均質化という波は嫌が応もなく訪れていた。それに抗ったダンディは、やがて静かに退場を余儀なくされた。20世紀初頭には、真のダンディはこの世から消えて、形骸化した表層的な意味だけが残された。

ダンディの元祖、ブランメル

 ダンディは、英国に発しフランスや欧州の一部に広がったといわれる。そして、そのダンディの元祖と呼ばれるのが、ブランメルである。

 ジョージ=ブライアン・ブランメル(1778-1840)は、英国社交界の名物男であり、伊達男として知られていた。ジョージ四世に寵愛されたが、後に疎んじられている。その後は、フランスに渡り、人知れず死んでいる。ダンディズムの創始者といわれる。

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ジョージ=ブライアン・ブランメル

 このブランメルに端を発したダンディは、英国のみならず、フランスでも注目された。とくに上流階級であるブルジョワジーのあいだで、ブランメルを手本とした俄かダンディが生まれていた。それは、ファッションと同義と化していた。

 外見や言動、そして生態を学べばダンディになれる、という流行様式の一種となっていたと思われる。しかし、そこでは本来のダンディが有していたはずの、独自性という本質が抜け落ちていたのは言うまでもない。

 流行とは無縁だったはずのダンディが、いつのまにか流行という一過性の罠にハマってしまったといえる。それは時代の成せる技といえるかもしれない。

 そのようななかで、ダンディズムおよびダンディは定義されて、そして通俗化してゆき、偽りのイメージが広く浸透していった。それが、現在に通じるダンディのイメージを形成していると思われるがいかに。たぶん、当たらずとも遠からずのはずである。

<ブランメル以外のダンディたち>

バイロン男爵/ジョージ・ゴードン・バイロン(1788-1824)
 イギリスの詩人。ロマン派を代表し,社会の偽善に対する反抗精神を基盤に近代的自我意識を強烈に表現した。英国を去りヨーロッパ各地を遍歴したのち,ギリシャ独立戦争に参加,戦病死した。代表作「チャイルド=ハロルドの遍歴」「マンフレッド」「ドン=ジュアン」など。

シャルル=ピエール・ボードレール(1821-1867)
 「悪の華」で著名なフランスの詩人、評論家。またエドガー・アラン・ポーを翻訳、フランスに紹介した。ダンディとして知られ、亡父の遺産をもとに散財の限りを尽くし、準禁治産者の扱いを受ける。その後は、死ぬまで貧窮に苦しむこととなる。

モンテスキュー=フェザンサック伯 (1855–1921)
 フランスの唯美主義者、象徴派詩人、美術収集家、そしてダンディズムの体現者である。プルーストの「失われた時を求めて」におけるシャルリュス男爵らのモデルであり、インスピレーションを与えた人物とされている。最後の「ダンディ」といわれてている。

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モンテスキュー伯爵

 ブランメルは、中産階級の出身であり貴族ではないが、裕福であったようだ。他のダンディたちも、貴族や中産階級であり、裕福な身の上にあった。ダンディという独自性は、経済という背景があってのものだった、といえるかもしれない。

 ちなみに、ボードレールは、ダンディの信条ゆえに資産を使い果たしたそうである。21世紀の現在、一般大衆の均質化は広がって定着化している。それは、ある意味では、一部の資産家の思い通りに進んだ結果といえるにちがいない。

 ダンディの精神や考え方は、誰でも真似はできないが、時代の不条理に疑義を唱え、風穴を開けるには打ってつけかもしれない。

冒頭動画:The美学 松浦亜弥

参考文献:ダンディ―ある男たちの美学 (講談社現代新書)
ダンディ―ある男たちの美学 (講談社現代新書)

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