■映画|パルプフィクション 低俗も極めればクールになる

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一言でいえばクールな映画、それがパルプフィクション

「レザボアドッグス」で一躍脚光を浴びたクエンティン・タランティーノ監督が、その本領を思う存分に発揮したのが、「パルプフィクション」であった。

 パルプフィクションとは、パルプマガジン(20世紀初頭から1950年代まで出版されていた)に掲載された作品のことを意味している。ちなみにパルプマガジンとは、安物の紙に刷られた安価な雑誌の総称である。

 そこに掲載された作品の多くは、通俗的であり、くだらない話とされていた。しかし、一方では大衆文化の一翼を担っていたのは言うまでもない。

 現在では、有名となった作家も、かつてはパルプマガジンに多くの作品を掲載していた。探偵小説のダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラー、SF小説に新たな世界観を創出したフィリップ・K・ディックなどもそうである。

低俗な話も、それを極めれば粋でクールになる

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 映画「パルプフィクション」は、パルプマガジンに掲載された作品が持っていた通俗的であるが故の魅力に対して、敬愛の念を捧げた作品といえるだろう。

 なぜなら、この映画では細部へのこだわりが随所に見られるからだ。タランティーノ監督は、この作品をまるで愛おしむかのように丁寧に、ときに大胆にストーリーと映像を紡いでいる。その結果、実に粋で格好いい作品となっている。

「パルプフィクション」を端的にいえば、それはクール(格好いい)な映画といえるだろう。テーマは、タイトルの通り(くだらない話)であり、けっして社会派の映画ではないが、こっそりとアメリカの裏側にあるタブーを描いている。

 映画のストーリーは、マフィアの商売に絡んだ日常が綴られていく。しかし、そこにある日常は、くだらない=パルプフィクションどころか、アメリカにある真実の姿を映しているからに他ならない。

 パルプフイクションとは、単に荒唐無稽な話ではなく、それは反対の意味であり、アメリカの姿を皮肉っているように思える。

 しかし、タランティーノ監督は、社会派映画ではなく、あくまでエンターティメントとして、ユーモアも交えて描いていく。そのあたりが実にクールとしか言いようがない。その才能と卓越したセンスには脱帽するしかない。

 なお、上記および以下に書く内容は、あくまで個人的見解であり、職業批評家の見解とは相違があることをお断りしておきます。

クールの意味性=冷静であるさま。物事に感情が動かされないさま。俗語として、「かっこいい」という意味で使われる。

マフィアの殺し屋とボクサー、そして強盗が交差する

「パルプフィクション」は、時間軸通りには進んでいかない。登場人物と出来事が交差して、シャッフルされて進行していく。この映像のシャッフル具合が実に絶妙であり、まるで現在の音楽の聴き方を彷彿させるかのようである。

登場人物1:黒いスーツを着たマフィアの殺し屋二人

 この二人の殺し屋は、ボスの命令でトラブル処理の仕事を担当している。ヴィンセントは白人の殺し屋、ジュールスは黒人の殺し屋である。なぜか、二人とも黒いスーツを着込んでいる。この「白と黒」という殺し屋コンビは、漫才師さながらの言葉の応酬を繰り返しながら一緒に仕事をしていく。

 ヴィンセントを演じたのは、かの”ジョン・トラボルタ”であり、かれは「サタデーナイトフィーバー」で一躍スターになったが、その後低迷していたのを、この役柄で見事にカムバックを果たしている。

 ジョンは、かつてのスマートな体型ではなく、でっぷりと太った体型を晒しているが、それゆえに犯罪者でありながら、どこか憎めない役柄となり新境地を切り開いている。これ以降のジョンはこの持ち味をさらに深めていく。

 もう一人の黒人の殺し屋ジュールスは、”サミュエル・L・ジャクソン”が演じている。この殺し屋は変わっていて、とにかく饒舌であり、聖書の一節を唱えてから銃をぶっ放すことを流儀としている。

 サミュエルといえば、饒舌な役柄をやらせたら右に出るものがいない。とにかく語りだしたら止まらない、と言っても過言ではない。そんなかれの持ち味もまた、この映画あってこそ広く認知されたのは言うまでもない。

登場人物2:変態の白人に犯されるマフィアの黒人ボス

 殺し屋ヴィンセントとジュールスのボスは、マーセルという恰幅のいい黒人である。この黒人のボスは、ひょんなことから白人の変態に囚われてしまう。そのあげくに、その変態に犯される(当然バックから)という醜態に陥ってしまう。

 このあたりの演出は、実にタランティーノ監督らしい。まさに面目躍如と言ってもいいに違いない。白人が黒人を犯すという行為は、後に「ジャンゴ」などでも描かれたようにアメリカの黒歴史を意味していると思われるがいかに。

登場人物3:クスリでぶっ飛んだ、マフィアボスの白人情婦

 黒人のボスには、白人のミアという情婦(妻)がいた。ボスは、自分の代わりに部下であるヴィンセントにミアの遊び相手を命じる。ミアとヴィンセントは、1950年代風の珍妙なレストランで食事とダンスをする。

 食事をする50年代風のレストランが実に変で面白い。フロアースタッフは往年のスターのそっくりさんであり、内装はもちろんフィフティーズデザインとなっている。特等席は、50年代の名車をそっくりそのまま使用している。

 食事を終えて家に戻ったミアは、ヴィンセントが持っていたヘロインをコカインと間違えて鼻から一気に吸い込んで卒倒してしまう。

 情婦ミアを演じたのは、”ユマ・サーマン”であり、後に「キルビル」で主役を演じたのは言うまでもない。ヘロインで卒倒したあとに息を吹き返すが、そのあたりの演出と演技振りは、なかなか秀逸でありブラックなユーモアに満ちている。

登場人物4:ピークを過ぎたロートルのボクサー

 すでにピークを過ぎたボクサーであるブッチは、マフィアのボスであるマーセルから八百長を依頼される。それを受けたボクサーのブッチは、密かにボスの依頼を裏切ることを企んでいた。そして、それを実行した。

 ブッチは、依頼に反して自分の勝ちに自らで賭けていた。自らの賭けに勝ったブッチは、当然のように殺し屋に追われる羽目となった。忘れ物を取りに自宅に立ち寄ると、そこにはすでに殺し屋ヴィンセントがいた…。

 このブッチというボクサー役は、”ブルース・ウィルス”が演じている。それは、まさに打ってつけの役柄といえる。ボクサーらしく、男くさくて、どこか世を拗ねたような趣をうまく醸し出している。

 ブッチには恋人がいて、純真であるが、どこか間の抜けた雰囲気のする子供ぽい彼女である。ブッチとこの恋人の非対称性もまた面白い組み合わせである。

登場人物5:強盗を生業とする若いカップル

 ファミリーレストランで食事をする若いカップルがいた。男が、彼女と思しき女性にやたらと語りかけている。その内容は、強盗に関するものだった。

 この若い二人の男女は、どーやら強盗を生業としているらしい。そして、いままさにこのレストランで強盗を働こうとしていた。

「パルプフィクション」は、このシーンから始まる。そして、日常の出来事はシャッフルされて交差しながら繋がっていく…。

<次ページに続く>

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