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■社会|文学振興会の広告のセンスが痛すぎる 文学界の本音が透けて見えるようだ

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文学が上から目線でアニメを見下す

 日本文学振興会が、芥川賞と直木賞のPRとして新聞に掲載した広告が話題を呼んでいる。「文学を知らなければ、どうやって人生を想像するのだ」という上から目線と、アニメを見下した広告のコピーがネットで批判を浴びたのである。

 その結果、日本文学振興会が謝罪する事態となってしまった。その後、そのコピーは公式サイトから削除されている。そのような事態を招いた広告は、以下のとおりである。ちなみに、この広告は電通が制作を担当している。

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人生に文学を

文学を知らなければ、目に見えるものしか見えないじゃないか
文学を知らなければ、どうやって人生を想像するのだ(アニメか?)

読むことは想像することである
世の不条理。人の弱さ。魂の気高さ。生命の尊さ。男の落胆。女の嘘。
行ったこともない街。過ぎ去った栄光。抱いたこともない希望。
想像しなければ、目に見えるものしか。
想像しなければ、自ら思い描く人生しか思い描きようがない。

そんなの嫌だね、つまらないじゃないか。

繰り返す、人生に、文学を。

(日本文学振興会の新聞広告より)

「文学を知らなければ、どうやって人生を想像するのだ(アニメか?)」という部分が、とくに問題視されていた。

 それはさておき、「いやーつまらん、じつにつまらないじゃないか」と言いたい。

 失礼ながら「なんてダサいんだ」と思うしかない。とにかくセンスがまったく感じられない、おなじく文学への愛情も感じることができない。単なる上から目線の偉そうなコピーが、時代錯誤的でありなんとも痛すぎる。

 多くの協賛企業があるが、非常に狭い視野にあるこのコピーを見たのだろうか。

 企業にはたくさんの顧客がいるが、文学至上主義の顧客ばかりとは限らないだろうにと思うばかりだ。小田嶋隆氏も指摘しているが、意味がわからないというしかない。

 本当にこれは電通が制作したものなのか。電通には、優秀なクリエイターが数多くいるはずだが、予算が少なかったのだろうか。

 例え下請けが制作したとしても、コピーライターは一流ではないだろう。電通が制作費をケチったか、または日本文学振興会が、その方向性を示したか。

 いずれにしても、文学の底辺を広げることも、あるいは既存の文学ファンを固定化させるにも、読者が共感を覚えない広告であるのは間違いないと思われる。

コラムニスト:小田嶋隆氏
この 『(アニメか?)』 を含む俗悪な広告文案に、どうしてこれだけの企業が賛同を寄せているのか、意味がわからない。この人たちの言う「文学」というのは、日本語の文章を読解する力とは無縁な何かなのだろうか。

アニメ評論家:藤津亮太氏
趣旨は結構だが、「文学を知らなければ、どうやって人生を想像するのだ(アニメか?)」というフレーズには若干の愚かしさがにおう。アニメや映画の中にも文学を見つけ出す視線こそ「人生に、文学を。」の実践ではないか?

日本文学振興会・広告コピー素案

by cragycloud 

 ところで、貶してばかりで能力がないと思われるのは癪なので、当方もコピー案を考えてみました。それを以下に掲載いたします。当方の案もたいしたことはないが、とりあえず、上から目線の逆バージョンで考えてみました。

 ちなみに、当方はコピーライターではありません。(しかし、広告のコピーを書いたことはある、予算が少なくて仕方なくであるが…)

■ロング・バージョン編

文学なんてくそくらえ

文学を読まなくても生きていける。
文学を知らなくても人生は謳歌できる。
文学を何か特別視するなんてちゃんちゃらおかしい。

文学が世界を変えたことなんてない。

文学なんて読まなくたって生きていけるし、人生を謳歌できる。
嘘ばかりの世の中で、さらに嘘ばかりの文学なんて必要はない。

物語なんて嘘のかたまり

物語なんて所詮は妄想でしかない。
物語なんて人ひとりの一生にはかなわない。
物語なんて人を惑わすばかり。

物語が何か世の中に豊かさをもたらしたことはない。

物語なんて嘘のかたまり、所詮は妄想の成れの果てだ。
嘘ばかりの世の中で、さらに嘘ばかりの文学なんて必要はない。

しかし、しかしである。

文学は少しだけあなたの人生を豊かにするかもしれない。
文学は少しだけあなたの想像の幅を広げるかもしれない。
文学は少しだけあなたの世界を魅力的にするかもしれない。

合理性や効率性、そして利便性ばかりの生活じゃ人生はおもしろくない。
無駄な時間も、いや無駄だからこそ有意義な時間となるときがある。

それが、文学にはあるはずだ、いやきっとある。

文学は、無駄な時間を有意義に過ごすために人間が発明した道具である。

そして、そこには人間のかけがえのない想像力が満ちている。

■ショート・バージョン編
上記したコピー内容の一部だけを使用したもの。

文学なんてくそくらえ

文学を読まなくても生きていける。
文学を知らなくても人生は謳歌できる。
文学を何か特別視するなんてちゃんちゃらおかしい。

文学が世界を変えたことなんてない。

文学なんて読まなくたって生きていけるし、人生を謳歌できる。
嘘ばかりの世の中で、さらに嘘ばかりの文学なんて必要はない。

しかし、しかしである。

合理性や効率性、そして利便性ばかりの生活じゃ人生はおもしろくない。
無駄な時間も、いや無駄だからこそ有意義な時間となるときがある。

それが、文学にはあるはずだ、いやきっとある。
文学は、無駄な時間を有意義に過ごすために人間が発明した道具である。

そして、そこには人間のかけがえのない想像力が満ちている。

………………
 以上、ど、どーであろうか。自信はないが、貶しただけでは後味が悪いので、当方も恥を忍んでコピー案を披露してみました。繰り返しますが、当方はコピーライターではない。だから、非難されても痛くもかゆくもない。あしからず。

コンビニ人間 村田沙耶香(著)
第155回芥川賞受賞作!36歳未婚女性、古倉恵子。
大学卒業後も就職せず、コンビニのバイトは18年目。これまで彼氏なし。
コンビニ人間

 なんとも痛い広告がある一方で、いい意味で話題を呼んでいる広告もある。それが、ポーラの「これからだ、私。」という広告である。

<次ページに続く>

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