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■アート|現代美術の地平線 アートの価値は何処に有りや無しや

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日本人アーティスト、世界へ

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 日本人で世界のアートマーケットで通用する作家は数が少ないといわれる。そのようななかで、唯一の例外となっているのが、村上隆である。

 村上隆は、世界の現代美術作家をランキングした場合、かなり上位に食い込んでいるといわれる。ちなみに本人は、上位10位〜20位以内と言っている。(2010年発売の著作のなかで述べている)

 ダミアン・ハーストやジェフ・クーンズなどと同等に扱われる、稀有な日本人アーティトとなった村上隆であるが、かつてはコンビニ弁当ばかりを食べて過ごしていた時期もあったそうである。

 村上氏は、芸大を卒業したあと、海外(ニューヨーク)に留学している。そのとき、自らの信じた価値感を見失ったそうである。日本では通じたものが、まったく役に立たなくて、何をしていいかも分からなくなったとか。

 アメリカでは、とにかく絵がうまいとかではなく、アイデアやコンセプトが重視されて、作品の動機、その意味性などがやかましく議論された。

 日本の美術教育では、まずデッサンがうまくないと始まらないが、そんなのはある意味では、どーでもよくて、とにかく面食らったそうである。

 日本では通じても、アメリカでは、欧米の流行を真似してもなんの評価もされない。とにかくオリジナリティが求められていた。

 アイデンティーを喪失する一歩手前までいって、ようやく自分の存在意義をどこに見いだすかのヒントにぶち当たった。それが日本のアニメだった。村上氏は、宮崎アニメのファンだったそうである。

 村上氏は、現代美術には文脈があり、ルールがあるということに気がつく。その価値基準は欧米にあり、日本にはない。いかにして、そのアートの文脈に食い込むかを考え抜いた末に、日本特有の文化を活かすことにした。

 それがアニメや漫画という日本特有の土壌で発展した文化であった。一般的にはサブカルチャーといわれるものである。日本では当たり前であるが、海外では新鮮に映るということは、よくあることだ。

 そこから発想された初期作品が、アニメ風に描かれた少女像であった。これが、思いのほか評価されて、以降の村上作品の方向性を決定づけていった。

 村上氏は、いわゆるエキゾチシズムというものを利用したといえる。かつて、フランスでジャポニズムというブームがあり、日本人作家はそれを踏襲するように海外に売って出たが、あまり成功しなかった。

 それらに対し、村上隆がなぜ海外で評価されたか。アニメや漫画が、伝統美ではなくサブカルチャーという土壌にあったことも要因かもしれない。

 日本の伝統美では、いまさら新しくもなんともない。海外でも新鮮には映らないのは言うまでもない。しかし、村上氏の作品には、アニメや漫画を題材としながら、そこはかとなく漂う伝統美も密かに忍び込ませてある。

 なぜなら、村上氏は、日本画を専攻していたからに他ならない。日本の伝統美には、詳しい専門家でもあるはずである。

 欧米基準の現代美術に挑戦して、日本人としてまれな成功を収めた村上隆であるが、なぜか日本ではあまり評判が宜しくない。

 アニメや漫画をパクっただけとか、ミッキーマウスをパクってんじゃねーよとか、その他にも散々なことを言われている。ミッキーマウスは、村上氏の「DOBくん」という作品が、ミッキーのシルエットそのままだという指摘である。

 映画評論家の町山知宏氏が一時期、村上氏を揶揄していたのは有名である。

 村上氏に関しては、まだ書きたいこともあるが、今回はこのくらいにしておきたい。より詳しいことは、以下の村上隆氏の著作を読んで頂くのが一番です。

 なお購入は、当サイトのリンクからすることを推奨いたします!。

 ということで、分かったような、そうではないような、未消化のまま現代美術に関する一考察を、これにて終わります。

作品:村上隆

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DOB君

 村上氏の出世作のひとつ、シルエットはミッキーを彷彿させる。このキャラクターを使って、ウォーホルばりに多種多彩な作品を作っている。

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Miss ko2

 Miss ko2は、2003年にオークションで6700万円の価格がついて話題となりました。村上氏の初期のフィギュア作品であり、海洋堂とコラボして制作した。当初は、初の等身大フィギュアとして企画されましたが、海洋堂が綾波レイの等身大を村上に内緒で作り上げ、販売しています。

村上隆の作品は、以下のサイトで見ることができます。
http://www.kaikaikiki.co.jp/release/jp/20131118_1.html

芸術起業論 村上隆
芸術起業論

芸術闘争論 村上隆
芸術闘争論

追記:
 日本では、自由に発想し、そして描くことが重要視されています。漠然としたイメージを衝動的に作り上げる、というようなアーティスト像も根強くあります。しかし、現代美術では、描かなくてもいいし、形を作らなくてもいい。

 ピカソは日本でも有名ですが、アートの文脈を一回壊して、新しい地平を開いたデュシャンは、ピカソほど認知されていません。なにしろ、「泉」とタイトルされた記念すべき作品は、既製品の便器でしたから無理もないかもしれない。

 そんなデュシャンの「泉」から、すでに一世紀が経ちました。いまさらながら、デュシャンの凄さを感じざるを得ません。しかし、現在の現代美術作家は、たいへんです。それを超えていくことを宿命付けられているからです。

 村上隆氏が、自らを鼓舞するかのように、「芸術家闘争論」を書かざるを得ない心境は、なんとなく判る気がします。なんとなくですが。

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