東京への憧れの中心地?それが港区辺りか
憧れと実態のあいだには、たえず乖離がある
現在(5月4日)、世間はゴールデンウィークまっだ中にある。地方から東京へやってきた人たちも多いに違いない。最近では、地方よりも中国からの訪問者の方が多いとか訊くが、いかがなもんであろうか。
久しぶりの村田写真”感”であります。村田氏に月2回くらいは更新します、と言ったもののずいぶんとご無沙汰してしまった。あしからず。
さて、今回は「東京都港区辺り」をお送りいたします。もちろん、村田氏の界隈写真を中心にして、当方の勝手な独り言を付け加えていきます。視点はあくまで村田氏のものでありますが、掲載した写真は当方が選んでいます。
なお、けっして観光写真ではなく、界隈写真であることをお伝えしておきます。さらに、綺麗やオシャレとも関係ないことをご了承ください。
では、さっそく東京都港区辺りの散策をスタートいたしましょう。
港区青山辺り
2016年 MinamiAoyama, Minato, Tokyo
港区青山といえば、最近では海外ブランドの拠点となりつつある。日本のシャンゼリゼと言っても過言ではない。いや、それは言い過ぎだったか。とにかく、表参道辺りを中心に高級ブランドのビルがやたらと立ち並ぶようになった。
正確には青山だけでなく、原宿にもあるが、地続きであるから一緒にしても問題はないだろう。高級ブランドの自社ビルは、どの建築も個性的な趣にあり、建築デザイナーが世界にアピールする絶好の機会となっている。
青山といえば、オシャレ、上品、高級とかのキーワードが想い浮かぶに違いない。隣の原宿とは違って年齢層もだいぶ異なっている、それは歩いている人を見れば一目瞭然であるはずだ。青山には熟女、いや大人の女性が多い。
青山に憧れる場合、たぶんにオシャレな環境で格好のいい仕事がしてみたい、なんてのが動機になっているはずだ。しかし、青山といえど、オシャレで格好いい仕事をしてる人なんて、そう多くはいない。
それは、あくまでイメージでしかなく、実態とはかけ離れている。怪しい商売の会社などもいくらでもある。あのオウム真理教も青山に拠点を持っていたし、プロレス団体の会社もあったはずである。
2005年 港区北青山3丁目あたり
ちなみに当方も一時期(80年代)、青山にある広告代理店(正確には販促)に勤務していたことがある。会社が入るビルの向かい側にはコムデギャルソンが、隣にはイセイ・ミヤケ、その並びにはケンゾーがあった。有名なコピーライターが住んでいるマンションも目と鼻の先にあった。
そんなオシャレな場所にあった仕事場で何をしていたか。それはとてもじゃないが、憧れを満足させるものではなかった。どーでもいい販促の企画と制作をしていた。クライアントには失礼だが、当時の当方は何か勘違いをしていた。
それはあまりに大きな勘違いだった。若気の至りとはいえ、あまりに痛すぎたのは言うまでもなかった。青山がオシャレで格好いいというのは、あくまでイメージでしかない。それは作られた虚像による擦り込みであった。
どーでもいい販促の企画など、ばか高い賃料の青山でやる必要はない。当時は、青山という場所と自分の仕事内容に乖離がありすぎて落ちこんでいた。
(なお、いま考えれば、会社が悪いとかではなく、発想の転換ができなかった単なる実力不足だったといわざるを得ないが)
そんなときは、骨董通り沿いのパパスカフェに行っていた記憶がある。クラシックな雰囲気の店内は、1920年代のギャングスターが現れそうな感じがしていた。当時の青山では、一番落ち着けた場所だったかもしれない。
会社は、営業上の理由と対外的なアピールで青山を拠点にしていただけである。一見ばかばかしいが、それでごまかされる顧客がいるのも事実だった。現在でも、それは似たような状況にあると思われるがいかに。
それはさておき、青山が発する雰囲気は人の虚栄心をくすぐるものがある。それは、まぎれもなく欲望の表層を示している。
したがって、青山によく似合う言葉は、「ヴァニティー」である。
六本木が欲望そのものであるのに対し、青山はそれを隠しながら虚栄心を満たす場所であるに違いない、と思われます。
当たらずとも遠からず、そんなに間違ってはいない。そう思いますがいかに。
なお、あくまで個人的見解であり、当方が有名コピーライターのように大成功して、青山に住めなかった僻みも入っているのは否めません。いやはや。
2016年 Shiodome, Minato, Tokyo
時代の残酷なテーゼ
2008年 港区新橋1丁目あたり
新橋 十仁病院
ここは、ご存知の方も多いことと思いますが、新橋駅に近い場所で、手前に見える古い建物群は、美容整形で有名な十仁病院です。いつ頃からだったか記憶はありませんが、かなり以前から、再開発を待つばかり…という雰囲気を漂わせていました。が、つい最近、ついにフェンスの向こうに姿を消したようです。(村田氏サイトより)
村田氏は、いったいどこで情報を得るのか知らないが、とんでもない場所にある意外な建造物を多く写真という記憶に残している。
東京都港区といえば、スクラップ&ビルドが激しい場所であるに違いない。したがって、村田氏が記憶に残した多くの懐かしい建物も、現在ではすでに存在していないことが予想される。
そういえば、青山1丁目辺りの地上げがようやく終結したと何かで読んだ。伊藤忠ビルのすぐそばだった思うが、80年代から地上げが続いていたはずだ。かつては、イトマンをたぶらかした伊藤某が地上げをしていたと訊く。
2015年 Azabujuban, Minato, Tokyo
2006年 Shibaura, Minato, Tokyo
2009年 港区芝5丁目あたり
2010年 港区高輪3丁目あたり
写真:すべて村田賢比古
冒頭動画:土岐麻子「東京ドライブ」
村田氏の公式サイトは以下のとおり、多くの界隈の記憶が残されています。
Kai-Wai 散策
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