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■超・極私的アート展覧会|Cragycloudのアーティスト宣言!? 愛はとこしえに…A Song For Two

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アーティスト宣言とは、これ如何に

アート=想像力、という大きな勘違い

「アーティスト宣言、なんてたいそうな、と我ながら想うなり」 cragycloud

「今日からは、アッア、アーティストだぞ」、かつて今日から電気屋になると決めて「キョーデン」と会社名をつけた人がいた。その人は、いまでは大江戸温泉などを運営する会社の経営者となっている。

 それに習えば、「今日からアーティスト」は、「キョーアー」となるが、なんとも語呂が悪いとしか言いようがない。

 それはさておき、アーティスト宣言であるが、なんだそれは?、一体お前は何様だ!、という人達が必ずいるに違いない。

 その反応は、ある意味では当然過ぎることであり、また言葉を変えれば「想定の範囲内」ということができる。(懐かしいなーこの言葉)

アーティストはならず者か
 ところでアーティストってなんだ、と思う人もいるに違いない。そんな人にお教えしましょう。アーティストとは、普通の生活ができない半端ものであり、異端者のならず者のことであり、口ばかり達者なごくつぶしのことである。

 そんなこと言って大丈夫かいなと思うが、個人的には、当たらずとも遠からずである、と感じている。(ほんとに大丈夫かいな)

 したがって、どこの誰だか知らない、ならず者のアーティスト宣言など、誰も知ったこっちゃない。さらにいえば誰もそんなことに興味もありゃしない。

 だいたい、すでにアーティストの人は宣言などしやしない。言ってみればアーティストではないし、誰も認めないので仕方なく宣言してみました、自分で言わずして誰がいうか、ということに他ならない。

 しかし、それゆえに、当方(cragycloud)は、あえてアーティスト宣言をしてみた次第だ。なぜなら、前述したように誰も気にしていないからだ。激安の殿堂「ドン・キホーテ」だって、殿堂かどうかなんて誰も気にしてはいない。

 誰も気にしないことを、あえて宣言してみる。それってアートだと思いませんか。たんなる勘違いともいえるが、なんだか紙一重の違いのような気もする。(それは勘違いだろう、という声がどこからか…聴こえてくるような)

アート=想像力=勘違い
 だいたいアートってなんだ。想像力という大きな勘違いが、そもそもの発端になってやしないか、と最近はつくづく思うのだ。

 しかし、一方では、その大きな勘違いを具現化するという途方もない行動力(普通はそんなことはしない)こそが、アートそのものではないか、とも感じている。

 そもそも普通人は勘違い(想像力)を具現化しようなんて思わないし、そもそも大きな勘違いなどせずに常識の範疇に止まるという選択をしている。

 それは別の意味では、想像力を閉じているということができる。ごく普通の生活をしていくには、想像力が過多でない方が何かと都合がいいからだ。異端視されることもないし、一定の価値観を共有してる方がずーと楽だし過ごしやすい。

 リア充となり、インスタグラムに写真をアップしてる方が楽しい、と普通は考えるに違いない。ところが、リア充にはなれず、というかまったく興味がない人達が一定数は存在している。共有意識や忖度し合うことに疲れるからだ。

 そんな人達は異端であることを隠しつつ、日常生活を過ごしているはずだ。

 そのような、普通ではつまらん、という人達は、いわばアーティスト予備軍であると言っていいだろう、その中から本物のアーティストがいずれ現れてくる。それは自明の理なり、ということができるに違いない。

 またアーティストは、時代の趨勢を予告する巫女ということもできるだろう。大きな勘違いという想像力を糧にして、誰も見ていない世界を覗いている。しかし、それはなかなか普通人には理解してもらえない。

 なぜなら、異端者であり普通人とは接点がないからだ。また普通人は異端者を忌み嫌うからだ。なにしろ巫女だから仕方がない、といえる。

 当方のアーティスト宣言は、たんなる思いつきではあるが、一方では勘違いを具現化していくぞ、という覚悟の表明でもある。より端的にいえば、なにかと重い腰をよっこらしょと持ち上げてみようということに他ならない。とりあえず。

 …とは言ったものの、いまだ完成したアート作品はない。いやはや。

追記:
 なんだか訳のわからんことをぐだぐだと書きましたが、ある意味ではそれこそアートである、と解釈して頂きたい。

アーティストとは
 一般には各分野の専門家のことを指すほか、一つの表現手法に拘らず、様々な形態で作品を制作している人物について使われる場合が多い。例えば、絵だけで表現する人に対しては「画家」という肩書きが用いられる。

 一方、絵のほかに彫刻や建築デザインなど、複数のジャンルを手がけている人物に対しては「画家で彫刻家で建築デザイナー」などというよりも、簡潔に「芸術家」や「アーティスト」と表現されることがある。(ウィキペディアより)

愛はとこしえに…A Song For Two(仮)


愛はとこしえにシリーズ 「募る想いは赤く染まる」

幾年月の夜をこえて

 cragycloudが、幾年月の夜をこえて、満を持して発表するアートの数々(実はちょっとだけ)を以下に御紹介いたします。

 実は以下に紹介する作品群は、まだ完成品ではなくアイデアを具現化する途中にあります。なぜ完成品ではない作品を公表するかといえば、それはアイデア一発勝負(コンセプトともいう)の作品だから、ということができます。

 なにしろ、アートはやったもん勝ちだからね。違うか。

 テクニックでもなく、表現した内容でもなく、そのコンセプトと過程こそが作品の意味するすべてを表しているといえる。(実はテクニックは無いに等しく、表現内容は前述したコンセプトが唯一の拠り所なり)

 そして、ネタ元を明かせばどーということはない。なーんだ誰にでもできるじゃないか、と思われることほぼ間違いない。ちなみに、そういわれるのは百も承知の上であり、また想定の範囲内でもある。

 やるか、やらないかの違いだけである。しかし、その差は大きいはずである。

 そのタネ明かしは最後にいたします。バカにするのは自由だし、また興味を持つのも自由である。それは、今更言うまでもないが…なにしろアートだから。

タイトル……愛はとこしえに(A Song For Two)

テーマ……通俗とアート、そして愛の関係式
・サブテーマ……本物の愛とアート、偽る愛とアート(本物と偽物)

コンセプト……愛と、とこしえ(永遠)というイメージを抽象化する。

・なぜ抽象化するかといえば、それは本物の愛は見えない中にこそある。すぐそこにある愛は偽りに通じている。端的にいえば、「その逆もまた真なり」かもしれない、ということを意味している。

表現手法……どこまでもアートの雰囲気が漂う、アートを装った擬似的イメージ

以上が、「愛はとこしえに」…コンセプト(素案)の概略であります。

 ちなみに、コンセプトワークは、これから企画書という形態にしようと考えています。20〜30ページのボリュームであれこれ訳のわからんことをぐだぐだと書き記し、それもまた作品とするつもりです。


愛はとこしえにシリーズ「二人のシーズン」全体


愛はとこしえにシリーズ「二人のシーズン」部分


愛はとこしえにシリーズ「わたしはわたし」全体


愛はとこしえにシリーズ「わたしはわたし」部分


愛はとこしえにシリーズ「恋におちて1」


愛はとこしえにシリーズ「恋におちて2」


愛はとこしえにシリーズ「気持ちは変わらない、いつまでも」


愛のテーマ1


愛のテーマ2

冒頭画像の作品:愛はとこしえにシリーズ「ふたりは、とこしえに」

cragycloud=アートのネタばらし

 この画像は、映画「花様年華(ウォン・カーウァイ監督)」のワンシーンです。赤いコートを纏ったチャン夫人(マギー・チャン)が、想いを寄せるチャウ(トニー・レオン)のいるホテルの部屋、2046号室に向かうところです。赤いカーテンが風に揺れる様子が、チャン夫人の心情を見事なまでに表していました。


 「募る想いは赤く染まる」

 上の画像をイラストレーター(グラフィックソフト)で、画像加工したものが、「募る想いは赤く染まる」になります。なーんだ、だれにでもできるじゃないか、と思ったはずです。まさにその通りです。

 これは美術につきもののテクニックを排除し、アイデアのみに重点をおいたと言って他ならない。

 これをアートといえるかどうか、それが問題である。作者は、この画像を元にペインティングの大作を制作するつもりだ。そこではじめて作品は完成するが、そのときには特定の空間で公開することが必要と考えている。乞うご期待ください!

 もうひとつ付け加えると、このペインティングには「カット(またはカットアップ)・ペインティング」という名称を付けました。

おまけ:現代美術の金字塔、「泉」でさえも

いわずとも知れた現代美術のはじまり、と言っても過言では無いデュシャンの便器、いや「泉」である。

 泉もかくの如し、もとの面影は皆目検討もつかなくなった。しかし、まぎれもなく「泉」である。

追記:
 しかし、まーほんとにこんなこと書いていいんかい、ということが頭を過っています。作品が完成するのか、それは神ではなく、自分自身に懸かっている。それは間違いない。

 冒頭の動画は、テーマ曲にした「a song for two」がYouTubeになかったので、その代わりとしてmondo grossoの「family」を掲載いたしました。この曲も当該テーマによく似合うと個人的には思っています。

デュシャンは語る (ちくま学芸文庫)
デュシャンは語る (ちくま学芸文庫)

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