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■小説自作|今夜は踊ろう 朝まで…

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あの娘と一瞬の時を過ごした頃…

 ちょっと気なる娘がいた。その娘の何がオレの心の琴線に触れたのか、それは不明だったが、理由なんかとくに必要とは思わなかった。

 その娘に「君の名は…」と問うたが、その娘は無言で下を向いていた。時計を指して、いまの時間は何時何分だ、そして今日は何月何日だと言った。

「いまこの時間、アナタとオレは一緒にいる。これはまぎれもない事実だ」

 そして、「この一瞬の時間をオレは忘れない」と言っていた。

今夜は踊ろう 朝まで…

作:cragycloud

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テレサ野田 「八月の濡れた砂」より

それは、ただの季節の変わり目の頃…

 時代は70年代のいつか、若い男子たちは長髪にベルボトムのジーンズという60年代後半のスタイルをまだ引きずっていた、一方、若い女子たちは60年代に流行ったミニスカートからロングスカートに、そしてパンタロンへと変わっていた。

 一世を風靡した映画会社の日活は、経営難からロマンポルノへと転向していた。60年代のポップ音楽の寵児だったビートルズも70年に解散していた。ジャニスもジミヘンも、ジム・モリソンもこの世を去っていた。

 そんな時代の流れにあったある日、早稲田にある名画座で藤田敏八監督の「八月の濡れた砂」をとっぽいインテリアデザイナーであるTくんと一緒に観た。Tくんはおしゃれな青年で才能もあり、それでいて二枚目だった。

 そんなTくんは、70年代の日活映画が好きだった。とくにお気入りが「八月の濡れた砂」だった。そんな映画の好みがオレと共通していた。ちなみに70年代の日活といえば、ロマンポルノだったのは言うまでもない。

「八月の濡れた砂」は、湘南を舞台に60年代の学園紛争敗退後の70年代のしらけ世代の気だるく無軌道な若者達の退廃を描いていた。1971年8月、旧体制日活の最後の作品として公開された。


【予告篇】八月の濡れた砂 投稿者 Rui_555

 映画の主人公は、大人なんて糞食らえとばかりに反抗する高校生だった。もう大人になった自分は、なんともやるせない想いに駆られていた。思い起こせば、自分の十代の頃は痛すぎることばかりだったな、なんて思い出しながら。

 そんなことを思いながらも、映画のラストシーンで石川セリの歌うテーマ曲が流れてくると、胸いっぱいにジーンと広がってくる、なんともいわれぬ想いに包まれてくるのを押さえることができなかった。

「八月の濡れた砂」は、たんなる映画を超えていた、それは時代を共有した作品だからであった。少なくとも自分はそうだった。永遠の反抗期、それこそ男の夢であるに違いない。少年の心を持った大人になりたい、などと常々思っていた。

 しかし、心のどこかではそれは叶わない夢と感じてもいた。

 それさておき、映画ではテレサ野田が眩しすぎた。あとから知ったが、映画撮影時のテレサ野田は、14歳だったそうだ。信じられない、そう感じて仕方がなかった。ハーフだから、そうなのかなーと思うばかりだった。

 映画を観たあとはTくんと別れてまっすぐ家に帰った。その日は「傷だらけの天使」が放映されるからだった。Tくんもきっと観るはずだ。この当時、土曜の10時頃になると夜の繁華街から男たちが消えたといわれた。

「傷だらけの天使」は、それぐらい神がかっていたドラマだった。

恋は熱くなっても、いずれは醒めるもの

 時は流れ80年代となり、70年代とはずいぶんと様相が異なってきていた。長髪はもはや時代遅れとなり、テクノカットが流行りはじめていた。音楽もロックからニューウェーブへ、そしてミニスカートが復活していた。

 いつの頃か、会社の近くにある喫茶店に通うようになっていた。なぜかといえば、そこに気になる娘がいたからだった。

 彼女のどこが気になったのか、はっきりとしたことは自分でも分からない。それでも気持ちは正直だから、彼女を想うとなんだか幸せな気分になった。これは、なんというか、恋なのかと自問自答してみた。

 そして、それはまぎれもなく恋であった。恋する男はなんとなくぎこちなく、そしてあきれるほどに従順である。毎日のように通いつめて話すきっかけを掴もうとした。その甲斐あって、いつしか僅かばかりの会話を交わすようになっていた。

 そこまでに時はずいぶんと流れていたが、恋する男はそんなことはちっとも気にならなかった。彼女は、スタイリストのアシスタントであった。それだけでは収入が少ないので、夜は喫茶店でアルバイトをしていた。

 恋する男は、彼女の生活環境に想像が及ばなかった。ただひたすらに彼女しか見ていなかったからだ。それが恋する男の弱点であった。

 忙しいはずの彼女を思いやる心を失っていた恋する男は、想い余ってラブレターを書いていた。そのラブレターを携えて、いつものように喫茶店に通いつめたが、なかなか手渡す機会がなかった、というよりも勇気がなかった。

 そのラブレターには、次のような内容が書かれていた。

「恋した迷惑な男より貴方へ」

突然ですが、貴方の迷惑を顧みずに手紙を書いてみました。

突然ですが、どーやら貴方に恋をしたみたいです。

突然ですが、貴方の笑顔が脳裏に焼き付いて離れません。

突然ですが、貴方を好きになりました。

いつしか、素敵な貴方とダンスが踊りたい。朝まで踊りたい。

失礼ですが、貴方をいつも想っています。

失礼ですが、もう一度繰り返します、貴方が好きです。

失礼ですが、一度、映画でも観にいきませんか。

失礼ですが、無理なお願いだったかもしれません。

いつしか、素敵な貴方とダンスが踊りたい。朝まで踊りたい。

追記:
もし、一度ぐらいならデートしてもいい場合は、同封した青い紙を同梱した封筒で送り返してください。おなじようにどーしても無理な場合は、赤い紙を同封してください。よろしくお願いいたします。

突然ですが、失礼ですが、貴方に恋した男より

 このラブレターは、なんとか手渡して運良くデートにこぎつけた。それから、何度も食事をし、映画を観て、お酒も一緒に飲んだ。しかし、どこか遠くにいる彼女を感じていた。それが何かは知る術もなかった。

 あるとき、彼女が相談があると言った。そして、彼女は妻子ある男性と付き合っていることを打ち明けていた。思えば、彼女はスタイリストであり、現場で出会う男性も数多いに違いなかった。それを恋する男は想像していなかった。

 それでも、彼女とはともだち的な付き合いを続けた。深い関係になることはついになかった。そして、そのような関係も終わりを迎えた。たしか、原宿にあったニューウェーブ系のクラブに一緒に行ったのが、最後のデートだった。

 それから、ずいぶんと時は流れて、彼女が結婚したのを訊いた。相手は、妻子ある男性ではないとだけ知ることができた。

 彼女に恋した男は、時の流れがすべてを洗い流したように感じていた。痛みはなかった。もう、あの時間はもどってこない。それでいいと感じていた。

 ともかく、一瞬の時を、一緒に過ごしたのは間違いなかったからだ。

空に星があるように、時はながれて

 90年代になっていた。80年代中頃から始まったバブルは崩壊していた。

 広告やイベントの仕事をしていた自分は、仕事の縮小を余儀なくされていた。とくに、デイズニー以外のテーマパークが淘汰されたことでイベントの仕事が急激に減っていた。広告も予算が縮小されていた。

 それでも、まだ景気のいい商売もあった。それがゲーム業界であった。そのおこぼれに授かって、なんとか一息つくことができた。

 ゲーム業界では、毎年新しい商品をお披露目する見本市が開かれていた。そのイベントの一部で企画と運営に携わっていた。そこである女性と知り合った。

 その女性は、ショーのコンパニオンだった。スタイルの良い彼女は、体にフィットしたピチピチのユニフォームが似合っていた。きっと誘惑も多いに違いないと思った。それは間違いない、なにしろ自分も誘惑していたからだ。

 何回か言葉を交わすうちに、「今度、食事でもいかないか」と言っていた。すると彼女は長めの髪を掻き上げながら言った。

「今日は、踊りたい気分なの」と。

「そーか、だったら今夜は踊ろう。朝まで…」と彼女に言った。

<今夜は踊ろう/おわり>

…イメージテーマ曲…

「今夜は踊ろう」作詞・作曲:荒木一郎

青い星の光が遠くに またたく 浜辺には

今宵も 今宵も 波のしぶきが さわいでいるぜ

星の光がステキな 夜空のシャンデリアさ

夜明けが 夜明けが 来るまで踊ろう…

参考1:「今夜は踊ろう」「空に星があるように」他、荒木一郎の楽曲
参考2:映画「欲望の翼」、冒頭の部分に一部引用
参考3:映画「八月の濡れた砂」、1971年8月に公開された旧日活最後の作品

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