パスワードは一万年愛す。タイムレスなスタイルは、過去も未来も時を超えてゆく!

■マーケティング|女の時代、なんていらない? お仕着せはもうたくさんだ

この記事は約6分で読めます。

わたしは、私。に感じること

 日本の現政府は、「女性活躍社会」を重要な政治課題として大々的に喧伝してきた。その後、どのような進展があったか、それが問題である。

 2019年から、幼稚園や保育園にかかる費用が無料になるそうだ。その費用は消費増税分で賄うらしい、これも上記した「女性活躍社会」の一端なのだろう。それとも、たんに消費増税のために利用されたのかもしれないが。

 その一方で、女性が働き続ける土壌は改善されたのか。いつだったか忘れたが、某企業で広報として働く女性は、産後に職場に復帰したがすでに自分の居場所はなかったそうだ。そして、退職を促されて裁判沙汰となった。

 幼稚園や保育園が無料となっても、退職を余儀なくされては元も子もない。しかし、その辺りの労働環境が何か改善されたとは訊いていない。

「女性が輝く社会」をつくることは、安倍内閣の最重要課題のひとつです。すべての女性が、その生き方に自信と誇りを持ち、活躍できる社会づくりを進めてまいります。(官邸ホームページより)
女の時代、なんていらない?


引用:https://www.sogo-seibu.jp/watashiwa-watashi/share/img/graphic1.jpg

 それはさておき、西武・そごうの広告が話題(批判が多い)となっているらしい。「わたしは、私。」というキャッチフレーズを掲げたシリーズ広告である。

 現在放映および掲示されている広告には、安藤サクラさんが出演している。個人的には、久しぶりに広告の力強さを感じることができた。

 00年代以降、広告やCMの表現には、なんら面白さや興味を感じていなかったので、クライアントと制作者の考え方次第で、まだ広告やCMは魅力的な発信ができるんだ、ということを改めて認識できました。

 どうやら西武・そごうには、まだ西武百貨店のDNAが強く残ってるらしい。ちなみに、そごうには政治銘柄の百貨店というイメージしかない。

 80年代、西武百貨店は、感性イメージを強く打ち出して時代をリードした。「不思議大好き」「おいしい生活」などの広告は、唯一無二の独自性を表現していた。

「わたしは、私。」には、70年代のパルコ、80年代の西武百貨店の広告を彷彿させる何かを感じさせるものがある。

 それが何かといえば、時代に対する一種の「提言」のようなものである。かつての西武やパルコは、常に時代を切り開くことを厭わなかった。

 ところが、2000年代以降のネット社会の到来とともに、広告は売らんかなという即物的な表現に一直線となってきた。キャッシュバックやオフセール、とにかくクリックしろ、タップしろ、とまるで強迫観念となって押し寄せてくる、そんな広告ばかりとなった。

 ネット時代以降(2000年〜)の広告は、マーケティング(顧客創造)というよりも、セールス(販売優先)を重点としたものである。

 当該サイトにも広告が掲載されているので、痛し痒しですが、より魅力的な広告が今後は多くなることを切に希望いたします。

 この西武・そごうの広告には、賛否両論あるようです。ポスターやCM映像のなかで往年のお笑い番組でよく行われたパイ投げをされたシーンがありますが、それが古いとか、汚いとか、食品の無駄遣いだという指摘もあるようです。

 ちなみに、パイのクリームは本物ではないと但し書きがされています。したがって、食品の無駄遣いという指摘は間違いでしょう。

議論呼んだ「女性にパイ投げ」広告の真意 そごう・西武、「ご不快な思い」には謝罪も…
 パイ投げを不快に感じた人が多かったそうだが、個人的には、それはあくまで表現上の例えであり、メッセージ性の方がより強く印象に残った。

女の時代、なんていらない?

女だから、強要される。
女だから、無視される。
女だから、減点される。
女であることの生きづらさが報道され、
そのたびに、「女の時代」は遠ざかる。
今年はいよいよ、時代が変わる。
本当ですか。期待していいのでしょうか。
活躍だ、進出だともてはやされるだけの
「女の時代」なら、永久に来なくていいと私たちは思う。
時代の中心に、男も女もない。
わたしは、私に生まれたことを讃えたい。
来るべきなのは、一人ひとりがつくる、
「私の時代」だ。
そうやって想像するだけで、ワクワクしませんか。

わたしは、私。

 要するに、「わたしは、私。」であって、お仕着せの女の時代なんていらない。ということのようです。あくまで個人的な解釈ですが…。さらにいえば、女だから、男だからと区別するなと言ってるような気がします。

 そして、現政府が推進する「女性活躍社会」に対する一種のアンチテーゼ(反対の主張)ともいえます。しかし、それは穿ち過ぎかもしれません。アンチテーゼは大げさにしても、少なくとも「本当ですか?」という疑問は提示しています。

 とにかく、だいぶ前に炎上した「ルミネ」の広告と比較すると真逆のベクトルにあり、表現も段違いなのは言うまでもありません。ルミネの炎上したCMは以下を参照ください。

ルミネの炎上したCM


 ルミネのCMは、対象顧客である女性に対し、男ウケするファッションをしろ、男に媚びを売れ、と言ってるに等しいメッセージとなっている。違うでしょうか。

2019年元旦の広告表現/日経新聞より

平成の次はなんだろう?(文藝春秋)

コドモに進化しよう(集英社)

家に帰れば、積水ハウス(積水ハウス)

くらしを、世界にアップデート(パナソニック)

あらゆる「世界にたったひとつの旅」ほほえみで満たすために(プリンスホテル>

お客様に、安心と愉しさを(スバル)

あなたじゃないと困る。その言葉が宝物。(ヤマト運輸)

トヨタイズム(トヨタ)

今年はちょっとプレミアムなお正月(大和ハウス)

女の時代、なんていらない? わたしは、私。(西武・そごう)

 2019年元旦の日経新聞から引用しましたが、いかがでしょうか。ダントツで西武・そごうの「わたしは、私。」の表現力が抜群と思いますがいかに。顧客に媚びた表現が多い中では、視点が全く違っているのが、よく判ると思います。

 現在、百貨店という業態は岐路に立たされています。ZOZOのようなネットアパレル通販が市場を席巻し、百貨店は取り残されそうな雲行きにある。

 一方では、ドンキホーテのようにアミューズメントを切り口とした小売業態で一人勝ちともいえる増収増益を続けているツワモノもいる。

 ドンキはネット時代でも、リアル店舗の価値を創造していけば、生き残れるということを証明しています。ちなみにドンキは、ネットから撤退しリアル店舗に経営資源を集中するそうです。ユニーを買収し、ドンキ化を進めるとか。

 西武・そごうには、ぜひ次世代の百貨店の未来を作り上げてほしいと思います。「わたしは、私。」のごとく、けっして流されることなく…。(80年代の西武百貨店ファンより)


引用:https://www.sogo-seibu.jp/watashiwa-watashi/share/img/graphic2.jpg

セゾン 堤清二が見た未来

おまけ/70年代・80年代の西武百貨店のCM

1979年 西武百貨店「女の時代」


1980年 西武百貨店「じぶん、新発見」

 1979年に西武では、「女の時代」という広告を打ち出しています。それから約40年を経て、「女の時代、なんていらない?」となりました。なんだか意味深な趣がありますがいかに。

コメント