老いも若きも、人のふり見て我がふり直そうホトトギス!
SNS界隈で中高年が、若い人たちに迷惑をかけているとか
これは聞き捨てならない、何故ならば当方も中高年のお仲間だからである。ちなみに当方は、SNSを4つもやっている。ただし、当該サイトの更新をお知らせするだけに使っている。なお、個人的には面倒くさがりなので、SNSとはあまり相性がよくないと思っています。
昨日、インスタグラムの年齢問題という話題を取り上げて、若い人を若干非難するようなことを書いたばかりである。ところが、それから一日も経たないうちに、中高年のSNSでのストーカーやマウンティング行為が記事となっていた。
いやはや、というしかない。しかし、帳尻を合わせるには丁度いい塩梅だと思って、この話題を取り上げる次第である。
若い人たちにいわせると、中高年のSNSでは、自己主張の押し付けや、自分の過去自慢、それからストーカー的行為が多いそうである。それには、当方も思い当たる節が無きにしも非ずだったので、なんとなく納得である。
それは自分自身も、やったことがあるような記憶があるからだ。
SNSではないが、当該サイトの記事のなかには、過去の自分を省みたものが含まれている。そこでは、主に自虐的(または反省的)な内容ではあるが、同時にどこか自慢も含まれているようだった、といまでは思われます。
「人のふり見て、我がふり直せ」という格言を肝に銘じて、以後は気をつけていきたいと思うばかりです。
というか、もうあまり自分のことは書かないようにしていきたい。当該サイトの基本は、個人の主張ではなく情報サイトである。そこに忠実にやっていきたいと思いますが、しかし、先のことは判らないのもまた事実である…。
Facebook老害事件簿、思想のおしつけ、ストーカー、マウンティングも(SPA!)
Facebookで絡んでくる老人世代がウザい。
「ホント、勘弁してほしい……」と、呆れ顔で溜め息をつくのは、21歳のケイコさん。ケイコさんの溜め息のワケは、彼女が通う大学のゼミの担当教授(60代)だ。
この教授、とにかく絡んでくるし、上から目線。しかも学生たちのプレイベートな情報をかなり詳細に自身のFacebookに書き込んでいたという。Facebookでこうした老人世代に頭を悩ませる人は、彼女だけではなく意外と多いようだ。それらを分類化してみた。
<Facebook老害事件簿>
―思想信条系老害―学生運動など政治の季節を過ごした団塊世代に多いのが、このタイプだ。
30代の会社員男性に聞いた。
「60代後半の方でやたらと政治や市民運動に熱い人がいるんですよね。安倍首相とか、原発問題とかの記事のリンクを貼って延々と持論を展開してるんです。まぁ、実害があるワケじゃないからいいやってほうっておいたんです」
だが、ある日その矛先がこの男性に向かった。
「『保育園落ちた死ね』で盛り上がったときに、ウチも息子が待機児童になったことがあるから、記事のリンク貼って『行政はもっと保育園問題に取り組んでほしい』って書き込んだら、すぐに飛んできて、行政の悪口から安倍政権の悪口までものすごい長文をコメントしてきてドン引きましたね。適当にコメントを返したら『子供たちの未来のために、もっと考えて行動するべき』ってコメントが返されて、呆れてそのままブロックしました」
SPA!の記事では、他にも「ストーカー系」「マウンティング系」の事例が紹介されています。それらは、前述したように自己主張、過去自慢、つきまとい、という行為が微妙に絡み合っているように見受けらます。
これらを老害特有の行為として紹介していますが、案外と若い人たちのなかでも、おなじタイプの人たちがいるように思われますがいかに。
はたして、これは老害特有なのか、実は若干疑問に感じています。年齢でなんでもタイプを分類化するのは、便利ではあるが実態をどこまで表しているか。それはずーと前から疑問を感じていました。
仕事柄、ターゲット分類などをしてきましたが、個人的には年齢区分よりも感性区分で分類することの方が的確ではないか、と思わざるを得ません。
何故なら、多くの事例を分類する際に、「所詮それって性質の問題じゃねーの」という事例が度々ありました。若いとか、年寄りとかはまったく関係なく、単なる個人の性質の問題であり、一概にこのタイプは特定の年齢層という決め付けはできないと思われましたが、どーでしょうか。
年齢区分ではなく、感性区分で分類するとだいぶ様相が違って見えます。
上記にある老害事例の「思想信条系」の場合でいえば、感性区分=自己主張タイプとすれば、老いも若きも含まれてきます。
自己主張とは、人間が社会において、自己の意見や考えや欲求などを他人に伝えるということであり、けっして悪いことではありません。しかし、それが強すぎると軋轢を生み出してしまう。感性区分=自己主張タイプとは、強すぎることを意味しているのは言うまでもありません。
そのように考えると、「なーんだ所詮性質じゃん」となります。
少子高齢化のなかで、なにかと世代間の格差をはじめ、諸々の問題が生じています。それはまぎれもない事実ですが、SNSのこのような問題は所詮は、老いも若きも一緒の類いの話としか思えませんがいかに。
ようするに「老いも若きもどっちもどっちだ!」ということにあります。
なお、当方はこの考え方を強く主張するつもりは、まったくありません。とくに深い考えをもって論理を展開した訳でもなく、単なる思いつきでしかないからです。
追記:
当方の、つまらん主張をお読みになって頂き有難うございました。
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