細分化する分衆と村化する社会
村化したい人々
はたして人類は進化しているか否か。技術は絶え間なく進化してきたが、なぜか人間そのものは個を確立するどころか、依然として村化してやまない。
ITの進化は、人間に幸福な環境をもたらしたか。SNSでは毎日のように投稿を催促し、グループ化(仲間作り)に励むように促してやまない。
それはグループ化という村社会に入らなければ、時代に取り残されて、村八分になりますよ、と言ってるも同然である。半ば脅迫的にその観念を押し付けている。
それは、もはや同調圧力と言っても過言ではない。そのような人間のグループ化を推進するツールとして、LINEがもっとも活用されているはずだ。フェイスブックが先鞭をつけたが、いまでは若者離れが顕著といわれている。
したがって、LINEがもっとも使われているはずだ。(日本では)
このグループ化=村化に、なぜ人々は夢中になるのだろうか。それが個人的にはなんとも不思議である。人間は一人では生きられない(ある意味では正論)、とよくいわれるが、しかしそれだけが要因ではないと思われる。
グループ化という村社会を作らざるをえない、何かがあるはずだ。
技術は進化してやむことはなく、その恩恵に授かり合理性、効率性、利便性などを手に入れた人間は、何か進化してきたのか。
技術の進化とともに、人間はなぜか人との繋がりを一層求めてやまなくなった、そのように感じてしまうが、違うだろうか。
①人の集まり住んでいる所。村落。
かつて「村」は自然村ともいわれ、生活の場となる共同体の単位だった。江戸時代には百姓身分の自治結集の単位であり、中世の惣村を継承していた。
大衆から分衆へ
かつて80年代の意識・価値観は、「大衆から分衆へ」と定義された。
それは博報堂生活総合研究所が、1985年に「分衆の誕生」というレポートの中で発表したものであった。当時は、テレビも自動車も、冷蔵庫も各家庭に行き渡り、生活様式も嗜好も多様化しはじめていた。
そのような背景から生まれたのが、「分衆」であった。「一人一色」、または「一人十色」などということも盛んにいわれていた。
大衆という集団ではなく、個が確立された、パーソナルの時代の幕開けということもできた。はからずも、パーソナルコンピュータが大きく注目されたのもこの時代であった。(アップルのマッキントッシュほか)
しかし、この分衆とは、けっして個ではない。大衆より小さな集団として分離した、新しい集団といえる。それを新しい村ということもできる。
分衆とは瞬間的なネットワーク
人々は気体分子のように浮遊しており、その位置を確定できない。時々パルスが流れた瞬間、浮遊する個はネットワークを組む。分衆とは、いわばその瞬間的なネットワークである。
村化は、広がりがないと同義か
その後、この分衆は広がり細分化し、そして定着化していった。90年代以降、現代までそれは続いている。80年代にやはり定義された「おたく」は、その後「オタク」として、より細分化しながら現在に至っている。
そして、いまではオタク村の消費活動は、バカにできない規模にまで拡大している。分衆の、そして村社会の代表であるオタク侮りがたしである。
さらに、分衆は村化していく。ファッションでは、より細分化してカルト的な存在と村社会が形成された。おなじように、いくつものカテゴリーで村化が形成された。例えば、「金融」である、いまでは「仮想通貨」という村化もある。
もっと分かりやすくいえば、「音楽」である。いまや音楽は、大衆という広がりをみせるものは皆無となった。一部の固定ファンを獲得した音楽だけが生き残って、その他は淘汰されて消えていく。(安室奈美恵は生き残り)
一部の固定ファンとは、言うまでもなく村化した存在であり、そこには暗黙のルールがあり、それに異を唱えない人が参加できる。
さらにいえば、おやじバンドである。これは典型的な村化社会である。団塊世代を中心に音楽をやっているが、概ねコピーバンドである。そこでは狭い範囲で村化されていて、したがって観客はいつもおなじ人ばかりだ。
村化とは、いわば「広がりがない」と同義である。
音楽で言えば、アイドルグループが最大の村を形成しているが、それでもその実態は、巷で言われるほど多くはないようだ。(例えば、AKB48がCDを100万枚売っても、実際は固定ファンが数枚以上を購入している)
分衆のタイプ別概要
村化の先には何があるか
このように、現代社会は80年代の分衆から、さらに進展して細分化されている。分衆から、さらに村化した社会は、いったいどこに向かうのか。
この村化は、人々が欲求した末なのか、それとも逃げ道なのか、それが問われるに違いないと、個人的には思うがいかに。とにかく、大衆から分衆、そして村化と流れる現在の状況が、はたしていい方向なのか、それが問題である。
あくまで個人的見解であるが、村化はとても狭い領域で止まっている。したがって、そこからはあまり魅力的な未来が見えてこない。(新しい何かがない)
逆に企業のマーケティング的には、ターゲティングがしやすいのかもしれない。ただし、昔のように大量生産および販売は難しいはずであるがーー。
村社会の代表的事例として
考えてみれば、日本の社会はあらゆるところで村社会が形成されている。
ずーと昔から変わらないものも一定数存在している。その中からいくつかを事例として、以下に簡略化して紹介いたします。
国会議員村
国会議員に限らず、地方議員もおなじであるが、ともに2世や3世の議員が多くなっている。いったん議員となれば、その既得権益を一族郎党で手離さないようにする。それが、戦後とくに顕著となっているようだ。
選挙の背景を考えれば、村化したシステムから出馬する方が優位である。一定数の票が期待できるからだ。そして、それが繰り返されてやまない。
未来の日本では、いったいどのくらいの国会議員がその範疇にいるか、それを考えるとなんだか空恐ろしくなってくる。
経団連村
日本の代表的な企業の集合体であるのが経団連である。その代表者を務めるのは、概ねかつての財閥企業か、重厚長大企業の社長や会長である。
別の意味で言えば、参加企業は輸出関連企業が多くを占めている。したがって、国民の利益より、会社の利益(輸出に伴う利益)を優先してやまない。
裁量労働制を推進していたが、労働生産を上げるを根拠としたのは、あくまで詭弁でしかない。実態は、コストを下げたいのが本心であるのは言うまでもない。
文壇・画壇・デザイン村
文壇は、言うまでもなく文筆業をしている人が集まった村社会である。いまでは、かつてほどの力はないようだが、それでも存在はしているようだ。
かつては、文壇に君臨する有名作家(入れ替わりはあった)が仕切っていたといわれる。新人作家や売れなくなった作家は、文壇の意向(有力作家)次第で仕事を取れたし、また逆に干されたようだ。文学賞に影響力があるのは言うまでもない。
画壇は、美術関係の村社会である。あまりよく知らないが、日展とか二科展とかの公募団体を中心に、画廊と批評家で構成されているようだ。
いまどれだけ影響力があるのか、疑問であるが。というのは、現代では団体展などあまり評価の対象になっていないし、現代アートの世界とは隔絶している。日本だけのガラパゴスの世界と言っても過言ではない。
デザインの世界にも村社会はある。建築では業界の重鎮の弟子でなくては大きな仕事に有り付けないし、また評価される機会もない。
その他のデザインでもおなじく、有名デザイナーの弟子には、おいしい仕事が割り当てられるし、また機会を与えてもらえるようだ。80年代に活躍した某デザイナーの自著を読むと、そのあたりの背景が詳しく書かれていた。
マスメディア村
マスメディアは、新聞、テレビ、そして雑誌などを指している。この業界にはなぜか、リベラル(現在では左を意味するか)という思考性の人が多いようだ。そのことから判るように、集団で同調することが多い。もちろん例外もあるが。
マスメディアのなかでも、とくに新聞とテレビは権威付けと既得権益に敏感である。自らの存在が危ういとなれば、こぞって集団行動を辞さない。
芸能界村
芸能界村は、主に芸能事務所とそこに所属するタレントで構成されている。また、サブ的要素として芸能マスコミも含まれる。(テレビ局も同様か)
ここでは、毎日のように利権調整とタレントの押し込みが止むことなく行われている。芸能界村は、けっして一枚岩ではないが、有力な事務所の後ろ盾があれば、タレントは売れる可能性は高く、そうでなければ世に出ることもまれとなる。
昨今では、YouTubeなどの動画サイトから世にでるケースもあるが、まだまだ芸能界村に依存する体制に揺るぎはないようだ。
…その他にも取り上げれば、きりがないほどの村社会が日本には存在しているが、とりあえず、今回はここまでといたします。
なんだか、このテーマがまとまったのかどうか、少し怪しいですが、あとは見る人の判断におまかせいたします。あしからず。
おまけ/村化するファンがアーティストをだめにするか
矢沢ファンの村化はすんごいぞ
2018年3月11日、某地方都市で行われた東日本大震災のチャリティーイベントに参加する機会がありました。
当方は、スタッフ(無償で照明のお手伝い)として参加したのですが、思いがけない光景に遭遇することになりました。イベントは、矢沢永吉さんのファンが主催したものであり、出演陣(たしか6組)は概ね矢沢さんのカバーバンドでした。
イベント場所は、スタンディングで100名以上は入るスペースがあり、ステージ、音響、照明などの設備も整った本格的なライブハウスでした。
はたして客が集まるのか、という疑問がありましたが、当方は矢沢永吉ファンを舐めていました。開演までにスペースはあっという間に埋まりました。
その後も入れ替わり多くのファンが集まってきました。
このイベントの主催者はすごいなと関心したのですが、実はこのイベントは矢沢永吉さんの私設応援団のみなさんが主催したものでした。
ちなみに、本家の矢沢さんは私設応援団を公認していません。以下の文言を参照ください。
矢沢永吉氏のライブにおける運営サイドからの通達
・周囲を威圧する服装の方の入場はお断りします。(私設応援団等、団体を思わせる服装、日の丸の刺繍・扇子含む)
・通路に出たり、後ろ・横を向いての永ちゃんコール等の”強要””あおり”は周りのお客様のご迷惑となりますので、絶対におやめください。
・MCやバラード中の声援、大声は他のお客様のご迷惑となる場合がございますのでご遠慮ください。
当日のイベントは、上記した本家の注意事項にある、「団体を思わせる服装、日の丸の刺繍・扇子、後ろ・横を向いての永ちゃんコール等の”強要”や”あおり”、MCやバラード中の声援、大声」などが当然のように行われていた。
もっとも本家の矢沢永吉氏はいないので、だれも何も言わない。出演陣のカバーバンドもそれを当然のように受け止めていた。
その光景は、矢沢ファンでもないものには、ちょっとしたカルチャーショックだったのは言うまでもなかった。しばらくは、永ちゃんコールが耳について離れなかったぐらいだ。
本家のライブではなく、あくまでカバーバンドのライブだし、楽しければいいのかもしれない。しかし、本家は何を感じるかであるが…。
それにしてもファンが村化した例として、ある意味では見事な光景だった。
なにしろ、昼12時ごろ始まったライブは、終わったのが夜6時過ぎだった。延々と6時間あまり矢沢永吉のカバー曲が演奏され続けていたのだ。
なお、このイベントの主催者は、収益金(入場料の全額かどうかは知らない)を大震災の支援にあたるNPO法人に寄付していました。
ファンがジャンル、アーチストをダメにする
「矢沢永吉はいいけど、ファンが悪い」ということを、この頃、言われたことがある。当初、この言葉に対して疑問を抱いていたが、同意せざるを得ない部分もあると思う。たしかに、初めて行った時には暴走族の集会かと思い、カルチャーショックを受けた。矢沢永吉自身は、そう思われることを嫌っていて、粗暴な人たちにはライブでも「他に行け、他に」と言ったりするのだが…。
冒頭の動画:Havana(ハバナ)/Camila Cabello
今回のテーマとは、とくに関係なく最近気に入っているというだけです。あしからず。
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