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■社会|高度な専門知識の人材に日給8000円 これではニッポンのオワコン化がとまらない

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高度な知識や経験に見合う対価を払う気なし

 日本では、専門職(エンジニア)より、総合職(マネジメント)の方がなにかと優遇されている。さらにいえば、プロパー(生え抜き)でなくては出世はできない。それは強引な決めつけであるが、案外当たらずとも遠からずである。

 最近、総務省のサイバーセキュリティ課が、高度な専門知識・経験を条件として人材募集したそうだ。しかし、その待遇があまりに酷いと話題になっていた。

 なんでも日給8000円(通勤手当なし)だそうだ。その待遇で、高度な専門知識・経験を有する人材が集まると考えたのだろうか。いまどき交通費も出さないで、採用条件だけはきっちり御託を並べるとはいい根性だろう。

 しかも日給8000円だ。政府は脱デフレを掲げているが、そのお膝元ではむしろデフレを助長するかのような待遇でしかない。

高度な人材に「日給8000円・通勤手当なし」

「日給8000円・通勤手当なし」総務省サイバーセキュリティ課の求人に衝撃走る
 この求人はサイバーセキュリティに関する施策で、人材育成や研究開発など高度な専門的知識を必要する非常勤の事務職員を募集するというもので、2月27日に総務省の公式サイトに掲載された。

 雇用期間は、2018年4月1日(または採用の日)から2019年3月31日までで、求める人材について以下のような条件を掲げている。

1)情報通信ネットワークの構築・運用に関する専門的知識、実務経験を有すること。
2)情報通信技術の動向に関する情報収集・分析に必要な知識、経験を有すること。
3)サイバーセキュリティに関する情報収集・分析に必要な知識、経験を有すること。
4)パソコン操作(EXCEL、WORD等による資料作成)ができること。

 最後のパソコン操作の条件こそ一般的だが、それ以外は確かに相当な知識や経験のある人材を必要としているように見える。

 注目が集まったのは、その賃金と手当。土日休日を除く週5日間の東京・霞ヶ関での勤務。勤務時間は午前10時から午後4時45分まで。日給は8000円。通勤手当は支払われない。

 時給換算だと1391円だが、勤務時間が短いため月給は約16万円、年収は約194万円程度となる見込みだ。

 ハフポスト日本版は、総務省サイバーセキュリティ課に問い合わせたところ、「エンジニアではなく、政策立案業務を主に担当する事務職員の募集です。『安すぎる』という反響があるのは承知していますが、日給は予算の制約の中で決めました」、ということだそうだ。

 予算の制約の中で決めました、ということらしいが、募集する前にその待遇で求める人材が集まるかどうか調べてみたのだろうか。

 上記にある求める人材の条件をみると、そうとう高度な知識・経験が必要なことがわかる。普通、日給8000円・通勤手当なしで求人する場合、業務未経験かつ男女年齢問わず、という内容(誰でもできる)でしか集まらないと思うがいかに。

 さらにいえば、東京などの大都会では、飲食などのバイトでもそれ以上の日給を出すところがいくらでもあるに違いないだろう。

 総務省では言い訳のように「エンジニアではなく、政策立案業務を主に担当する事務職員の募集です」と言ってるようだが、政策立案といえば、肝心要の部分である、それを日給8000円でやらせるのか、と逆に疑問を感じて仕方がない。

 政策立案は、企業でいえば経営企画室やマーケティング部門でやることが多い。それらの部署は、企業ではエリートと言っても過言ではない、高度な知識や経験が必要であり、当然のように給料は高額となる。

 日給8000円・通勤手当なしでは、せいぜいがパソコンのデータ打ち込み、あるいはコピー取り、資料集め程度の人材が関の山である。「政策立案業務を主に担当する事務職員」など、ちゃんちゃら可笑しいと言わざるをえない。

日本の裁量労働制の問題にも通じるか

 昨今、裁量労働制の問題が大きく取り沙汰されている。人件費をコストと見なした経団連企業を中心にしたロビー活動が功を成して、法案は成立目前となった。

 しかし、肝心のデータに不正(不備)が見つかり、法案成立は頓挫しそうな雲行きとなった。そもそもデータは、結論ありきで操作はいくらでも可能だ。目的のためなら手段は選ばずとすれば、数字は弄り放題となる。

 データを根拠にする場合、その正確性が求められるのは言うまでもない。

 ところがどうだ、昨今の大企業では次々とデータ不正が明るみとなっている。みんなで渡ればこわくない、といわんばかりだ。なんせ、国家中枢でもやってるから、企業も右へ倣えと考えたとしても不思議ではない。

人件費=コスト
 経団連企業は、人件費をコストとして抑制することばかりしてきた。その結果、非正規は増大し、日本全体が疲弊してしまった。少子高齢化もおなじ構造の下にあるのは言うまでもない。若い人がクルマを買わない、それは当然である。

 非正規ばかり増やした結果、近い未来に国家規模の縮小を招くに違いない。

 いや、もうすでにそうなっているか。高度な知識・経験を有する人材にも上記した総務省のように日給8000円しか払わない、そんな社会構造に発展する未来はない。高度な知識・経験がある人材ほど日本を見限っていくに違いない。

流出する有能な人材
 すでに中国企業は、そのあたりを見据えて日本の有能な人材を高額な報酬(能力に見合った給料)で引き抜こうとしているようだ。韓国企業が、以前から日本でリストラされたエンジニアを引き抜いてきたのは言うまでもない。

 どうにも、日本ではどこか本質を見過ごしている、または意図的にそうしているとしか思えない様相となっている。

 かつてマルクスは資本論のなかで、「資本主義は、その矛盾ゆえ滅びる」としたが、マルクスを批判したシュンペーターも、「資本主義の崩壊は、まさにその輝かしい成功のゆえにやってくる」と言っている。

 現在の日本を垣間見ると、企業は好業績を上げながら、従業員を低賃金で働かせてさらに利益の上積みをしている。その成果こそ企業の生き残る道とばかりに、ますます人件費=コストを抑制しようとしている。

 企業が生産する製品、あるいはサービスなどは、いったい誰が対価を出して企業の利益になるのか。たとえそれが企業相手でも、相手先のエンドユーザーは誰になるか。いわずとも、どこかで人が消費することで世の中は回っている。

 企業が目指す短期的利益のあとさきには何があるか、それを考慮すれば、いまこそ「急がば回れ」も、ひとつの道筋であるように思うがいかに。

急がば回れ(個人的な意味づけ含む)
 急がば回れとは、急ぐときには危険な近道(短期的利益)より、遠く(苦労は多い)ても安全な本道(本筋、長期的視点)を通るほうが結局早い。

 例えば、危険な近道=不正行為、人件費抑制=利益増大=開発・サービスの低下=売り上げ減少=さらに人件費抑制=事業が成り立たなくなる=滅びる!、という構図が考えられる。

いまそこにある価値を見極められるか否か


引用:https://japan.cnet.com/article/35043010/

 上記したことに一見すると関係なさそうであるが、どこか共通するものがありそうに思えることがある。それが、以下に列挙した事柄である。

ゼロックスは、パソコンの価値を認めなかった
 パソコン(パーソナルコンピュータ)は、アップルが産み出したといわれるが、その実態は少々違っていた。パソコンの生みの親は、ゼロックスだった。

 ゼロックスの「Alto」は、アップルのマッキントッシュに先駆けたパソコンだった。しかし、当時のゼロックスの経営幹部たちは、「Alto」の価値を認めなかった。それゆえについに製品化されることはなかった。

 ゼロックス「Alto」の機能をそっくり採用(パクった)したアップルは、それを製品化してパソコンの歴史に燦然たる輝きを残すことになった。

 ジョブズと当時のアップルは、その価値を見極めることができたからだ。

 このような例は、社会にはいくらでもあるようだ。しかし、案外見過ごしているのが実情ではないか。それが証拠にそれがいまでも続いているからである。

ネットで本を買う人はいないと高を括っていた
 アマゾンが日本に登場した際に、出版社や有名企業は、日本には本屋がたくさんあり、しかもコンビニでも本は売っている。だからネットで本を買う消費者はいないと、高を括っていたそうだ。

 しかし、それが固定観念であったのは言うまでもない。アマゾンはその後、本だけでなく、あらゆる商品やサービスに幅を広げて現在に至っている。

 その勢いはやむことなく、既成の枠組みを越えて新しい価値を創り出している。

進化をやめた「iモード」
 ドコモの「iモード」は、携帯端末とインターネットを繋いだサービスを世界に先駆けて提供した。しかし、その後はなんの進展もなく、iPhonenの登場以後、すっかり時代おくれとなってしまった、そして消えてしまった。

「iモード」が進化できなかった要因は、内部にあったそうだ。ゼロックスとおなじく、経営幹部たちはその価値を見通せなかったようだ。

 日本では、いや日本だけではないが、いまそこにある価値を見極められない経営者や経営幹部が実に多いようだ。かつてのソニーは、ロボットや有機ELで先行していたが、それらを事業性がないと見捨ててしまった。

 既存の価値を覆す、そのような新しい価値を前にしたとき、多くの経営者および幹部たちは、それを否定する傾向にある。なぜなら、自分の培った知識や経験を凌駕しているからに他ならない。自分が否定されるような感じがするのだろう。

 したがって、新しい価値を目の当たりにすると、重箱の隅をつつくようにその問題点を挙げては否定してやまない。少しでも製品化に支障が生じると、それ見たことかとばかりにその事業そのものを止めてしまう。

外部関連記事:将来つぶれる会社の発想 優れた技術も腐らせる

 いまそこにある価値を見極めるのは、並大抵の才能ではできないようだ。いまの日本に求められるのは、それができる人材(経営者)に違いないだろう。

 なぜなら、経団連に連なる大企業様を垣間見ると、いずれも右へ倣えばかりしているように見えるからだ。違うか。

オワコン(終わったコンテンツ)とは
 一時は栄えていたが現在では見捨てられてしまったこと、ブームが去って流行遅れになったこと、および時代に合わなくなった漫画・アニメや商品・サービスを意味するインターネットスラングである。

「オワコン」という言葉自体がオワコンに、2010年には読売新聞で、2013年には社会学者の古市憲寿が日本経済新聞で、2016年には、ITmediaが「オワコンという言葉自体が死語」であると報じている。

なぜ今、シュンペーターなのか
今日ではマネジメントの重点が、「モノ」や「カネ」から「ヒト」へ、
管理中心からイノベーション中心へ大きくシフトしています。
そのため、かつてないほど自律的な個人の創造性が重要視されるように
なったのが今日の経済社会なのです。
なぜ今、シュンペーターなのか

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