MBA経営学修士は、無敵なのか?否や!
いつ頃からか、日本の大企業の経営幹部のなかでは必然ともいえる資格がある。それが、経営学修士といわれる通称「MBA」である。これが注目されはじめたのは、80年代後半から90年代はじめ頃かと思われる。たしか、ソニーがカンパニー制度等の欧米流経営手法を取り入れた頃と合致するのではないか。
(ちなみに欧米流とは、主にアメリカのことである。またMBAとは、Master of Business Administrationの略である。)
MBAとは(ウィキペディア)
あまりたしかではないが、そのように記憶している。それ以後は、大企業各社はこぞってアメリカのビジネススクールに社員を送り込んだ。そして、多くのMBA資格者を日本の企業にもたらしたのである。しかし、当初はその扱いに困って、必ずしも有効的な活用とはならなかったとか。
したがって、MBAの初期獲得者(日本人の)の多くはコンサル業界に転職したものが多いとか。当時(80年代後半から90年代初頭)の日本企業ではまだ日本的なしがらみ経営が幅を利かせていて、ドライな効率経営が馴染まなかったのではないか。
90年代後半から2000年代になってようやくかれらMBA資格者の時代がやってきた。欧米に遅れること何十年か?である。そして、2000年代は、かれらMBA資格者が多くの企業で経営トップとなっていた。とはいってもその多くが外資であったり、一応グローバル企業を標榜する会社であった。
代表的な企業には、マクドナルド、ソニー、一時期のユニクロなどがある。後はIT企業の経営者にも多かったはずである。たしか、DeNAの創業者も元コンサルのMBA保有者であったと思う。そんな訳で、2000年代の日本では多くのMBA保有者が経営トップおよび幹部となっていた。
そんなかれらは、どんだけ凄いかである。例えば、マクドナルドはMBAの流儀である効率優先のアメリカ流経営を押し進めて一時期は最高益を出した。しかし、その後は日本流サービスの良さを失って右肩下がりが止まらない。
マクドナルドの凋落は、今後経営スクールの悪い見本として教材になるかもしれない。効率を優先すれば、そのしわ寄せはどこに行くかで有る。数字を見るに長けていても、人間を見るのに疎くては経営者の資格が無いとしか言いようが無い。
ソニーも同じく、数字と効率優先で凋落の一途が止まらない。人件費の削減と資産の売却しかしていない経営陣とは何だである。効率優先(合理化)しかできないのが、MBAかと思わざる得ない。何とかメソッドとか、手法のあれこれ、効率的な?仕事の進め方などを勉強したはずである。
しかし、端から見てると人件費削減と不動産売却しかしていない。そんなことならMBAの資格なんて必要とも思えない。単なる英語ができるだけの通訳でしかない。外国人株主との意思疎通のためであるなら、なにもMBAは要らないと思う。もしかしたら外国人株主がそれを求めているか?。
DeNAはご存知のように携帯ゲームで当てた企業である。ここの創業者は、たしか有名なコンサル会社出身である。当然、MBA保有者である。その優秀な人が成功したビジネスは、子供達の無知につけ込んだゲーム課金ビジネスであった。無料ゲームで釣り上げて、後には有料ゲームに誘い込む。この手口は、出会い系サイトと何ら変わりはないと思う。違うか。
そんなビジネスしかできないのが、MBAかである。なんとも寂しいかぎりだ。これを参考にすると、やがて反社勢力と手を組むMBA保有者が現れても何の不思議も無い。そんな気がするが如何に。
上記したのはほんの一例であるが、MBAという経営学修士の凄さがお分かり頂けただろうか。なお、お断りしておきますが、なんら悪気はありません。皮肉と思われたらそれは気のせいです。あしからず。
ソニーが陥った短期利益追求の罠 効率&数字至上主義が企業を滅ぼす?(ビジネスジャーナル)
経営学の本末転倒とは、如何に!
日本の経営に風穴を開けてブイブイ言わせたMBAであるが、どうやら昨今では事情が違ってきたようだ。効率優先で短期利益を追求するMBA流は、所詮は、実務能力以外の何者でもなく、真に企業に求められるイノベーションを阻害していた。
それによって企業に未来を形成する価値を生む事は無く、ひたすらに効率化を押し進めてゆくだけであった。製品およびサービスの価値は、時代とともに変化するが、それに対応することも効率化の果てに成す術も無くなった。
MBAを極論すれば、企業の利益の本末転倒を押し進める手法ではないか。そのように感じる昨今である。
何故ならば、MBAという教育がめざしてきたのは以下のようなことであるからだ。
「こうした教育がめざしてきたのは、会計、財務、コスト管理、サプライチェーン管理、オートメーションなど、いずれも経営実務能力の養成ばかりだった。簡単に教えられることばかりが重視され、歴史的データの分析がないがしろにされてきたのだ。」(ビジネスジャーナルより)
「これまで米国は、実に多くの国民に、コストや経営効率の計算方法をはじめ『いかに効率よく』企業を経営するかを学ばせ、つねに『数字を向上させる』ことに努めてきた。」(上に同じく)
しかし、上記した内容は安定成長期には有効でも、市場が変化すればたちどころに行き詰まるそうである。市場の変化に対応する手法ではないということだ。
要するに数字がすべての根源に有り、それを元に経営を行うのがMBA流である。そう言っても過言ではないはずだ。しかし、そこにはビジョンがない。あるのは数字だけである。経営者がビジョンらしきことを言っても、それは建前でしかない。
数字は大切であるが、それが全てではないはずだ。企業は何らかの製品、サービスの提供で利益を得ている。しかし、その製品やサービスも永遠のものではない。絶えず変化する市場に対応するには、なんらかの無駄を覚悟のうえで新しい何かを生み出す努力と覚悟が必要である。たぶん。
しかし、効率優先しか考えないMBA経営手法では、それは望むべくもない。さらに短期利益を考えれば、それは無駄な投資と判断されるに違いない。
MBAとは優秀な経営実務能力ではあっても、もしかしたら経営トップや幹部にしてはいけない能力の持ち主なのかもしれない。その理由は、判断が一面的に成り過ぎて時代に残されたら、それこそ目も当てられないことになりそうである。
しかも、自らのMBAという資格に甘んじて、経営が硬直化する傾向が顕著となりそうである。つまり、自らとそのグループに所属する人材以外の意見をないがしろにすることが想像される。
現在、アメリカの経営者には財務畑出身者(日本もそうかも)が多いとか。損益計算書やバランスシートを詳細に把握し、そのうえで経営の改善を図るそうである。そこで重要視されるのは、数値の向上と短期利益の追求である。目的がそこにある限り、イノベーションは二の次になりかねない。
したがって課題は先送りされて、短期の数字だけが目標を達成する。しかし、その先の未来がどうなるかは誰にも分からない。いやはやである。違うか。
ところで、アメリカでジョブズ以来の経営者として話題のイーロン・マスク(電気自動車と民間ロケットの経営者)は、どうなのか。かれがMBAを取っているかは知らないが、その事業ビジョンには近来にはなかった夢がありそうである。以下の記事がたいへん興味深いものがあった。
ちなみに、イーロン・マスク氏は、なんとアイアンマンのモデルだそうである。
イーロン・マスク/世界に役立たないなら、会社の存在意義はない(日経BP)
冒頭写真:ソニー本社ビル ウィキペディアより
<MBAが会社を滅ぼす>
ダメな会社ほど、ビジネススクール出身者が目立つのはなぜだろう?それは、MBAが“時代遅れ”の経営技術だからです。
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