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■社会|賑わいの界隈はいま何処へ1 地方に未来はあるか、商店街に再生の道はあるか

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日本は地方をどーするつもりなんだ

地方の画一化は進み、どこも同じ光景が拡がる

 いま地方は、金太郎飴のような状況にあるらしい。金太郎飴は、どこを切っても同じような絵柄が現れる飴である。それが人が住む街(とくに地方)で起こっていることが不気味だ。それを不気味だと感じない人も多いが。

 地方は、90年代以降(バブル崩壊後)、街の景観がどこも似てきた。はじめに、駅前商店街の衰退と、シャッター街化が共通する現象となって表れた。とほぼ同時に、中心街が中抜きされるドーナツ化現象が顕著となってゆく。

 ドーナツ化とは、街郊外の開発、幹線道路の拡充、それに伴う車社会の進展によって、市の中心街が空洞化する現象のことである。

 郊外の開発が進むと、中心街では商業が消えて、同時に人口も減少した。郊外は開発に伴い、米国型の広い駐車場を完備した商業施設を誘致した。その結果、市中心街の商業地は、その存在意義を失ってしまった。

 90年代、00年代、そして現在まで、その傾向はやむことなく続いている。

 中心街の衰退、ドーナツ化は、なにも郊外の開発や幹線道路の拡充、大型商業施設のせいばかりではない。ましてや駐車場がない、というのは言い訳である。

 想像するに、行政および中心街商業地区には、ともに長期的な計画性がなく、合わせて商業政策が準備不足だったせいである、と考えられる。

 行政は、いわゆる箱ものといわれる施策を打ち出すことが定番となっている。それは、主にコンクリ建物を公共施設として作ることだが、それと同義なのが、実は大型商業施設や、大規模工場の誘致となっている。

 地に足をつけた地道な活動は、案外と行政は苦手である。それが証拠に、たとえば京都や倉敷など古い町家が多い地域でも、市民団体が街の景観を守る活動をしてはじめて行政も動いている。行政の条例はなんの役にも立ってない。

 その一方、商店街は、全体で商品政策を打ち出すなど到底無理な体制であり、せいぜいがイベントをしたりする程度でしかない。商業の基本は、マーチャンダイジング(商品政策と売り方)にあり、商店街全体で考えるべきであった。

 しかし、郊外の大型ショッピングモールには、到底太刀打ちできないと諦めてしまった。駐車場もないし、資本もないし、人も集まらないしと、ないないづくしの果てに、ついにシャッター街化するに至ってしまった。

 ところが、見方を変えれば商店街には、郊外のショッピングモールにはない特性と魅力が潜んでいた。それが、界隈である

商店街の再生 界隈を活かす賑わいづくり


千葉県木更津市 金田屋リヒトミューレ 撮影:村田賢比古

商店街がひとつになれば、新しい魅力が生まれる

 地方都市の郊外はどこでもナショナルチェーンの商業施設で埋め尽くされている。そこには言うまでもなく、クルマでゆくことを余儀なくされる。

 いま地方では、クルマは必需品であり、90歳になっても運転して買い物や病院などにゆく。それが当たり前であり、なんら問題とはされていない。(昨今、問題になっているか)

 うがった見方をすれば、そのような地方の現状は、自動車会社や関連部品会社を存続させるためにあるといえる。もしかしてだけど、地方をクルマなしでは不便な社会環境としたのは、国家の政策なのかもしれない。

 一方、人口が一極集中する大都市では、あまりクルマは売れていないし、一部を除いて必要とされていない。しかし、その大都市が経済の中心を担っている。

界隈の復活、クルマ禁止というのもありか

 そこで地方では、クルマは必需品という考え方を一旦やめたらどうか。それは、ある意味では固定観念であり、そこに固執すると先が見えてこないからだ。

 地方では中心街の商店街は廃れ、顧客は郊外の大型商業施設へと移ったが、そこはひとつのコンクリ箱物に収まった屋内型商業施設がほとんどである。屋内型は、便利ではあるが夜も昼も関係なく、ある意味では不自然である。

 一方、中心街の商店街は、屋外に点在してる。天気や温度の変化を肌で感じ、寒い、暑いもおなじく、また風に吹かれることもある。それは、人間とおなじく、屋外の環境が自然と共生している証拠といえる。

 そのような屋外にある商店街は、その活かし方次第でテーマパークともなる。ちなみに東京ディズニーランドは、屋外にあるのは言うまでもない。

 屋外にある商店街は、狭い地域に点在しそれぞれが違う商売をしている。もしも、商店街の各店がひとつにまとまれば、モールにも対抗できる魅力を顧客に提供できるかもしれない。ただし、ある方針に従うことが条件となる。

 それは、商店街をひとつの商業集団としてまとめるプロデューサーたちがいて、全体の商品政策、その他マーケティングの主導権を持つことである。

 なぜならば、たとえ商店街がひとつになっても、顧客に提供する商品や売り方が旧態依然ではなんの意味もないからだ。同時に、商店街全体でひとつの組織、または会社という機能を有することも必要になるかもしれない。

 テーマは、地域に根ざした歴史性や文化を基本に、遊び心を導入する。

 そして、最大のポイントが「界隈」のある街づくりである。

 界隈とは、通常では「近辺」「近所」などを意味している。ここでいう「界隈」の意味は、次のような意味を含んでいる。

<界隈が含む意味性>
・まちの営みが感じられる
・そぞろ歩きができる
・楽しい道がある
・回遊ができる
・人が中心にある
・そして、商業がある

 要約すると、「人間らしい街が感じられる」こと、それが界隈がある商店街となる。「そぞろ歩きができる、たのしい道がある」ことが重要な要素となる。

時流へのアンチテーゼ


千葉県木更津市 蔵づくりの商店 撮影:村田賢比古

 そして、さらに付け加えるとクルマ中心の生活環境へのアンチテーゼとなり、時流への挑戦ということもできる。したがって、この際思い切って中心街の一区画にある商店街は、クルマ乗り入れ禁止としてもいいかもしれない。

 ディズニーランドだって、クルマは乗り入れできない。一区画の商店街もそれに習ってもおかしくはない。あとは行政や警察次第であるが。

 実はこれには事例がある、実際に商店街へのクルマ乗り入れを禁止にした地方都市があり、軽車両である自転車まで禁止にした。このアイデアは当初危惧されたが、それに反して実施後には来訪者が増えたそうだ。

大いなる逆張り

「大いなる逆張り」こそ、廃れた商店街が再生する道かもしれない。目的をひとつに絞って、それぞれの店の思惑を一旦棚上げしないと再生は無理ではないか。

 数々のまちづくりに関わったあの浜野安宏氏(商業、建築プロデューサー)でさえ、現在の商店街再生には、手を焼いているといわれる。

 浜野氏は、ひとりの大金持ちに商店街一帯を買い上げてもらって、その上で再生するのがいいかもしれない、と語っている。たぶん、多くの権利関係者をひとつの意見に集約させる手間と時間が掛かることを想定したからに違いない。

商店街の活性化事例/川越・生きた蔵のまち


埼玉県川越市 蔵づくりの街並み ウィキペディアより

 埼玉県・川越市は、古い蔵のある街並みで有名ですが、そのまちづくりのコンセプトワークとその具体化に協力したのが、浜野商品研究所だそうです。以下にそのほんの一部を浜野商品研究所コンセプトワークより抜粋し紹介いたします。

 なお、実際のコンセプトワークは、ビジュアル化されています。

川越・商店街(街界隈)の活性化方策

テーマ「生きた蔵のまち」
象徴的存在としての蔵

・住を生かす ・商を生かす ・資産を守る、活用する

<3つの提案>
・蔵のあるまちの界隈の提案
・商いの提案
・生活の提案

<具体的方策>
・道路に対する意識変革→交通から人の路へ
・商店街の総合化→街区全体での顧客吸収と界隈演出
・店舗の近代化→現代の生活にあった商品とサービスの提供

 等々…コンセプトワークの一部を略したものです。実際はそれぞれの方策ごとに詳細な内容が記されています。また、街の色彩を調和させ、界隈を演出していくことを重要視していることが、見て取れます。


埼玉県川越市 蔵づくりの街並み ウィキペディアより

 川越はいまではすっかり有名となったが、1970年代には寂れた商店街でした。それをなんとかしたいと、80年代になって「川越蔵の会」という市民団体が設立(当初5人ほど)されて、具体的な再生に向けて動き出したそうです。

 その結果、問題になっていた蔵造りのバラバラなファサードも整えられ、高さや色合い、伝統的な蔵造りの風情が漂う町並みへと整えられて現在に至っています。

 川越は、元々資産(歴史や建物)があり、それを活用することで再生されましたが、その資産がない地方都市の方が多いのではないか、と思います。

 ちなみに昨今では、寂れた商店街を再生させる具体策が判ればノーベル賞ものだと、関係者の間では言われているそうです。

 以下は、まちづくりの参考資料として、浜野安宏氏の講演から一部を抜粋し紹介いたします。

浜野安宏かく語りき/2010年

<浜野安宏かく語りき/2010年>
第26回 NSRI 都市・環境フォーラムより、一部抜粋しました。

 地方自治体と仕事をすると、いつも交付金とか補助金とか、そっちのほうばっかり向いておられるので、なかなか我々の意見を聞いてもらえないんです。

 また、チェーンストア や、大企業を持ってきてくれとか、工場を持ってきてくれとか言いますが、そういう時代 が終わったというのははっきりしているわけです。超高層も終わりです。

 ここまで街が、巨大高層ビルと安物の郊外モールに支配されていいのでしょうか。

 日本の文化を何とかしなければいけないではないですか。例えば、市街地のシャッターだらけの商店街も、中には再生可能なところがあると思う

 宝の山がたくさんあると思うんです。イオンなどに崖っぷちへ追いやられた地方商店街をもう一度よく見直してみる必要があると思います。だから、歴史と伝統のストリートまでマネーゲームにするなと言っているわけです。

 モビリティ社会が都市をどんどん変えていくんですが、やはり人間の生活は、車というより基本は歩行者のレベルで考えていくべきだ。それが余りにも一方的に進化していったのです。

 一番問題なのはアーケードです。古い商店街ではアーケードがかかる。そしてはやらなくなって、最後はシャッター街になる。これを何とか食いとめなければいけないということをいってきました。

 行政の人とか政治家は、目立つことばっかりやっていますが、こんなに汚くて目立つものを消すということをしない。消しても手柄にならない。

 箱物をつくっていた方が手柄になる。安藤先生に頼んで駅をつくりましたとか、隈先生に頼んで市庁舎をつくりましたとか、子どもの楽園をつくりましたとか、そういう方が手柄になる。

 ショッピングモールです。この中にやった人がいたら申しわけないですが、やった時から失敗ですよと私は言っているわけです。

 今頃こんな郊外型の巨大タウンをつくって、どうなるんですか。みんなが都心に住んで都心の高層住宅に移っているときに、イオン様様でやって、歩き切れないぐらい長い商業街をつくって、周辺には大住宅開発をしようとしておられるけれども、あんなところ売れるんですかねと僕は思います。

 日本の街というのは本当に不満だらけです。世界から見て、本当に汚いと思いませんか。 電線を地に埋めたり、もう少し街並みを意識しながらいい建物を建てたり、どうしようもなくなった街を何とか再生させる。
http://www.nikken-ri.com/forum/266.pdf

 浜野氏は、上記のように日本の街並みや建物に対する現状に憤りを感じているようだ。

 例えば原宿は、同潤会アパートを壊して表参道ヒルズとなったが、浜野氏は失敗だとしている。原宿では、ヒルズ以後次々と海外高級ブランドのビルが建つようになった。

 かつて原宿は、若い人たちが起業(とくにアパレル)する場であったが、それとは相反する方向へと向かっている。原宿はシャンゼリゼでも目指しているのだろうか。

冒頭写真:千葉県木更津市 昭和初期の看板建築「安室薬店」
撮影:村田賢比古
撮影日:2017年11月

人があつまる―界隅の発見→情緒都市→棲息都市 浜野安宏ファッション都市論
人があつまる―界隅の発見→情緒都市→棲息都市 浜野安宏ファッション都市論 (1974年)

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