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■80年代|80年代を駆け抜けた広告たち 広告クリエイターが一躍時代の寵児となった

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広告が時代を超越して文化となる

80年代(昭和後期)、広告が華麗に花ひらく

 80年代は、ある意味では日本の転換点だったのは間違いない。背景の詳細は省くが、日本は戦後の復興期、二つの戦争(朝鮮戦争とベトナム戦争)を経済発展のきっかけにして、高度経済成長を果たしたのは言うまでもない。

 アメリカナイズという目標に向かってひたすらに突っ走った結果、80年代にその頂点に達した。(異論はあろうが)85年のプラザ合意(ドル高是正)後、日本は金融緩和に踏み切り、銀行の貸出競争が始まった。そしてバブルが生まれた。

 空前絶後の好景気(バブルだったが)を背景に、企業も一般人も過去に経験しなかった市場や生活環境を手に入れた。企業は、次々と海外企業の買収を仕掛け、一般人はブランド品を携えて、海外グランドツアーへと旅立っていた。

 そのようなバブル全盛期以前に、広告業界では、80年代初頭にはその先行きを予兆するかのような広告イメージを打ち出している。

 80年代以前の広告では、機能や効能をメインに訴求するのが当たり前だった。80年代になると、それが一転してイメージという、いわば具体性のない曖昧模糊とした訴求を打ち出して、それが徐々に効果を発揮し始めていた。

 それはのちに「感性消費」といわれる現象にも繋がってゆく。

パルコが先駆けたイメージ訴求
 70年代中頃から、ファッションビルを展開する「パルコ」は、アートディレクター石岡瑛子ほかによる斬新なビジュアル訴求で一躍注目を集めた。


伊勢丹 1988年 「恋を何年、休んでますか。」 AD:戸田正寿 Copy:眞木 準
引用:https://ginzamag.com/lifestyle/ad-80s/

分衆、少衆、超大衆の時代

 80年代全体を通していわれた「大衆から分衆」というキーワードは、端的にいえば、一億総大衆から個性や感性、趣味趣向、生活環境などを背景に、分化した集団(分衆)が幾つもできたことである。(少衆、超大衆ともいわれた)

 それを考慮すると、もはや70年代までの一億総大衆を前提とした訴求方法では、もう意味がない、それは時代遅れとなっていた。

 そこで、それぞれの分衆に対応する、個性ある訴求表現が求められていた。

 過去のルール(広告の)はもう通じない。そして、広告人(企画、ディレクター、デザイナー、コピーライター、写真家など)は、より個性を活かしたクリエイター化が幕を切って落とされた。これが、広告人を時代の寵児としてゆく。

 その結果、スター・クリエイターが何人も誕生した。糸井重里をはじめとしたコピーライター、田中一光や浅葉克己、サイトウマコトなどのアートディレクターやデザイナー、それから写真家である。また、その他の領域では、インテリアやファッションでもおなじようにスターが多く生まれていた。

 そのような背景の中で、広告とその表現は、文化的な価値を高めていきサブカルチャーを構成する重要な要素となっていく。

 さらにいえば、この80年代を境に広告を内包するマーケティングの概念も大きく変わってゆく。端的にいえば、アドバタイジングやセールスプロモーションを一元化する、統合マーケティングという概念が徐々に拡まってゆくことになる。

 そしてマーケットインが定着し始めたのも、80年代だった。(ちなみにその意味は、顧客志向であり、その反語は製品志向となる)

 ニーズに基づいて、良いモノを作れば売れた70年代までと違い、80年代は、商品やサービスの良さだけでなく、売り方そのものが問われた。流通小売や飲食の業界では、盛んに業態開発(売り方革新)という概念がいわれた。

 ニーズからウォンツへ、そのような時代の背景が、個性あるクリエイターを望んでいたといえる。

 現在、ようやく日本でもデザインや表現訴求の重要性が認められているが、その転換期となったのが、80年代だったのは間違いないだろう。


サントリー缶ビール AD:戸田正寿 
引用:https://atiek.exblog.jp/7315302/

補足としてーー
 80年代では一部企業のイメージ訴求の印象が強く、まるでデザインの時代であったように見られるが、案外その底辺(とくに重厚長大企業)では、あまり代わり映えがしなかった。マーケティングもその概念が正しく反映していなかった。

 それが、のちに会計不正や数字を弄ればなんとかなる、という風潮を生み出すことに繋がったと思われるがいかに。これは余談であるが…。

80年代の広告表現 広告が時代をリードしてゆく


サントリーローヤル 1983年 「ランボオ」 AD:戸田正寿 Copy:長沢岳夫
引用:https://atiek.exblog.jp/7315302/

ハード(文明的価値)からソフト(文化的価値)へ

 80年代の広告とその表現は、70年代までの広告とは違う「脱広告というテクニック及び表現の多様化」によって、時代を象徴する「文化」に成り上がった。

 かつての広告は、機能と効能を訴求すれば事足りたが、80年代では顧客の心理に訴求し、共感を得ることが重要視されるようになった。それは、消費者の生活意識・価値観などがより向上してきたからに他ならなかった。

<80年代/広告の方向性>
前期=感性とトレンドを重視した情報的価値を訴求した。
中期ー軽薄短小、ネアカ、面白、パロディなど、端的にいえば軽さを訴求した。
後期=自己充足的な価値が高まり、いわゆる上質な生活志向を訴求した。

 実際には、これらの傾向から、さらに枝分かれし細分化していたのが80年代広告の潮流であった。80年代は、バブルばかりが注目されるが、その奥は意外と深いものがあるのだ。クリエイターにとっては、ある意味ではアイデアに溢れた時代だった。

 2011年、宣伝会議では『日本のコピー/ベスト500』を発刊し、日本を代表するコピーライター、CMプランナー、クリエイティブディレクター10人が、日本のコピーベスト500を選出している。

 以下に見る通り、80年代の名作コピーがベスト3に選ばれている。ベスト10には5本が、ちなみに90年も一緒にしてもいいかもしれない。それはさておき、00年代の不甲斐無さには、いったいどーしたんだと思うしかないが。

 00年代の広告表現がいまいち面白くないのは、新聞やテレビ、雑誌というメディアの衰退が背景にありそうだ。00年代に台頭したネットの世界では、まだ広告クリエイターの創造性が十分に活かされていない、そのように思うがいかに。

<日本のコピー/ベスト10> 2011年版
第1位 おいしい生活 1983年/西武百貨店/糸井重里
第2位 想像力と数百円 1984年/新潮文庫/糸井重里
第3位 おしりだって、洗ってほしい。1982年/TOTO/仲畑貴志

第4位 男は黙ってサッポロビール 1970年/サッポロビール/秋山晶
第5位 モーレツからビューティフルへ 1970年/富士ゼロックス/藤岡和賀夫
第6位 触ってごらん、ウールだよ。1975年/国際羊毛事務局/西村佳也
第7位 好きだから、あげる。1980年/丸井/仲畑貴志
第8位 なにも足さない。なにも引かない。1990年/サントリー山崎/西村佳也
第9位 恋は、遠い日の花火ではない。1994年/サントリーオールド/小野田隆雄
第10位 すこし愛して、なが~く愛して。1983年/サントリーレッド/村山孝文

1980年 広告がカルチャー化する

<広告表現>
・好きだから、あげる。(丸井)
・少し愛して、ながーく愛して(サントリー)
・それなりに(フジカラー)
・いまの君はピカピカに光って(ミノルタ)
・時代が僕を生んだ(キリン)

<メディアほか>
・「ブルータス」「とらばーゆ」「写楽」「ナンバー」「コスモポリタン」

<社会事象>
・ジョン・レノン暗殺
・カルチャーブーム
・モスクワ五輪

1981年 夢とロマンの旅路へ

<広告表現>
・不思議大好き(西武百貨店)
・カンビールの空きカンと破れた恋は、お近くの屑カゴへ(サントリー)
・夢街道(サントリー)
・振り向けば君がいて、フルムーン(国鉄)
・よろしいんじゃないですか(キンチョール)

<メディアほか>
・「フォーカス」
・レーザーディスク発売、ファクシミリ開始

<社会事象>
・「なんとなく、クリスタル」
・タレント本人気

1982年 広告コピーが主役化する


西武百貨店 1982年 「おいしい生活」 AD:浅葉克己 Copy:糸井重里
引用:dento-house.com

<広告表現>
・おいしい生活(西武百貨店)
・おしりだって、洗ってほしい(TOTO)
・デリーシャス(キッコーマン)
・色つきの女でいてくれよ(コーセー)
・いけないルージュマジック(資生堂)

<メディアほか>
・「スコラ」「マリクレール」「エルジャポン」
・ニューメディアブーム

<社会事象>
・コピーライターブーム
・ホテルニュージャパン火災
・日航機逆噴射墜落

1983年 ファンタジー世界をゆく

<広告表現>
・ランボオ(サントリー)
・君に胸キュン(カネボウ)
・タコやってくのも大変なんだよね(サントリー)

<メディアほか>
・女性誌創刊ラッシュ
・平凡出版がマガジンハウスに改称

<社会事象>
・東京ディズニーランド開園
・小劇団ブーム
・カフェバーブーム

1984年 エキゾチックの発見と発掘


国鉄 1984年 「エキゾチックジャパン」
引用:https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=54649073

<広告表現>
・エキゾチックジャパン(国鉄)
・うれしいねサッちゃん(西武百貨店)
・エリマキトカゲ(三菱自動車)
・私はこれで会社を辞めました(禁煙パイポ)

<メディアほか>
・「フライデー」創刊
・ NHK衛星放送開局

<社会事象>
・ロス五輪
・グリコ森永事件
・女子大生ブーム

1985年 実証広告の登場

<広告表現>
・誇大広告(としまえん)
・実証広告(同上)
・ヤリガイ(リクルート)
・カエルコール( NTT)
・ベンザエースを買ってください(武田薬品)

<メディアほか>
・レディスコミック創刊ブーム

<社会事象>
・つくば科学博
・ファミコンブーム
・おニャン子人気、女子高生ブーム
・新人類
・円高に突入

1986年 軽薄短小、ネアカ、面白い


としまえん 1986年 「プール冷えています」 AD:大貫卓也
引用:tsurumaki-office.com

<広告表現>
・プール冷えてます(としまえん)
・幸せってなんだっけ(キッコーマン)
・亭主元気で留守がいい(キンチョー)

<メディアほか>
・「メンズノンノ」「ターザン」「ダイム」
・広告トラック登場
・使い捨てカメラ人気

<社会事象>
・バブルはじまる
・地価高騰
・財テクブーム

1987年 ロマンチックなストーリーに共感する

<広告表現>
・シンデレラ・エクスプレス(JR東海)
・男も妊娠すればいいんだ(オカモト)
・ウォークマンをつけるサル(ソニー)
・通勤快足(レナウン)


1988年 クリスマスエクスプレス JR東海

<メディアほか>
・「レタスクラブ」「日経トレンディ」
・通販カタログブーム
・CIブーム

<社会事象>
・東京の地価狂乱
・国鉄分割=JRスタート
・マイケル・ジャクソン、マドンナ来日

1988年 自分なり価値が高まる


西武百貨店 1988年 「ほしいものが、ほしいわ」 AD:浅葉克己 Copy:糸井重里
引用:cdn-ak.f.st-hatena.com.

<広告表現>
・ほしいものが、ほしいわ(西武百貨店)
・川崎事件(西武百貨店)
・みなさんお元気ですか(日産)
・くうねるあそぶ(日産)
・5時から男(中外製薬)

<メディアほか>
・「Hanako」「アエラ」
・女性誌創刊ラッシュ

<社会事象>
・天皇重体に
・地方博覧会ブーム
・F1ブーム
・リクルート事件

1989年 パロディ企業戦士現る

<広告表現>
・24時間タタカエマスカ(三共)
・わたしがいちばんかわいい(リクルート)
・わたしゃ愛より金が好き(キンチョー)
・デューダする(学生援護会)

<メディアほか>
・「デューダ」「サリダ」
・転職情報誌ブーム

<社会事象>

・天皇崩御、昭和の終焉

・冠イベントブーム
・イカ天人気、バンドブーム

 80年代の最後であると同時に、昭和の最後ともなった89年に登場したのが、バブル戦士のパロディである「24時間タタカエマスカ」であった。

 ちなみに89年はバブルの限界頂点となり、翌年には崩壊する。なんとも皮肉なもんである。奢るもの久しからず、という言葉が思い出される。

冒頭画像:パルコ 1981年 「ROCKIN’ ROLLIN’ PARCO」 AD・D: 井上嗣也 Photo: 浅井愼平 Copy: 下村紀夫 PL: 對馬壽雄
引用:https://ginzamag.com/lifestyle/ad-80s/


参考:ファッションビルが牽引した80年代の広告

傑作!広告コピー516―人生を教えてくれた (文春文庫)
80年代、あの時代はコピーの黄金期だったーー
「おいしい生活」「一緒なら、きっと、うまく行くさ。」「恋は、遠い日の花火ではない」……糸井重里、仲畑貴志、真木準らが活躍した、あの時代の傑作コピー516本!
人生を教えてくれた 傑作! 広告コピー516 (文春文庫)

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