80年代では、MTVを原動力として、音楽と映像が結びつき、その相乗効果で数々の大ヒットを生んだ。またファッションやライフスタイルなど流行への影響も大きかった。
たかが流行、去れども記憶には残る!
久しぶりの80年代アンソロジーである。というのは、はっきり云えばネタがなかったのである。80年代のネタ本を買っていたはずなんだが、見つからないのである。以前にも書いた覚えがあるが、どこかに売った覚えはないのだが…。
ま、そんなところで、今回は参考になりそうなサイトからの引用も含めて、80年代のファッションについてご紹介したい。
80年代のファッション
80年代と云えば、ボデコンがあまりに有名であるが、実際には86年以降の流行でありバブル景気とともに登場し人気を博したのである。ボデコン発明の主であるデザイナーのアライアは81年のミラノコレクションで、このある意味では発明的なデザインを発表し好評を得た。
日本では、86年頃から日銀の金融緩和に伴う、金余り現象を背景としたバブル景気がはじまっていた。
これに伴って、ファッションは大人リッチがキーワード化してゆく。そして、大人の女性らしさを強調するボディラインをメインとする、ボデコンが注目されるようになったのである。それ以降は、ご存知の如く狂乱の80年代後半へと突入してゆく。そして、ボデコンは女性の戦闘服かの如く様相となったのである。
では、ボデコン以前はどうだったのか。70年代後半にはじまったデザイナーズ・ブランドは、この頃も隆盛を誇っていた。ビギ、ニコル、ピンクハウス、ケンゾーなどである。しかし、80年代に入るとこれらデザイナーズを模倣して起業した新興勢力が台頭してくる。
ファイブフォックスのコムサ・デ・モードなどである。他にも多数あるが思い出せないので省きます。ファイブフォックスの創業者は、たしか鈴屋にいたのではないか?。
余談であるが、ツタヤの創業者もこの会社にいたはずである。それはともかく、80年代に入ると台頭してきた新興勢力とデザイナーズを一緒くたにして、デザイナーズ&キャクターブランド、通称DCブランドと呼称するようになった。
売上的には、デザイナーズものより新興勢力の方が上回っていたと思うが、どうだろうか。その根拠は、デザイナーズより価格がお手頃だったからであるが…。正確にはよく分からない。
カラス族とは、何ぞや!
そんんなこんなで、80年代の前半、後半のファッションを紹介したが、実はまだある。カラス族という変なのが、現れているのである。これは、コム・デ・ギャルソンとワイズに代表される黒ずくめのファッションに由来している。
80年代は、DCブランドと海外の高級ブランドがファッションの中心であったが、そこに突然のように現れた現象であった。海外では、非常に評価の高かったコムデの川久保令やワイズのヤマモトなどは、その支持層にはヒーロー的扱いであった。
また、この背景には、ポストモダンというモダンの機能主義や、または権威主義に反発して起きた世界的な傾向と無縁ではなかった。建築、デザイン、文学などでも同様であった。
しかし、このカラス族であるが、その多くはコムデもどきの模倣品を着用していたと、思われる。何故か、コムデやワイズは高かったのである。価格がね。わたしが知っているのは、ラストシーンである。当時、よく通っていた知り合いの原宿にあった事務所の1階にそれはあった。
渋谷カジュアル
話が前後して申し訳ないが、80年代もかなり後半になってくると金ぴかにも飽きたのか、疲れたのか、それとも近い未来の崩壊を感じたのか。それは知らないが、何故かカジュアルな傾向が顕著となってくる。その代表が、渋谷カジュアルである。
そして、それは通称、渋カジと呼ばれた。白のTシャツやポロシャツ、ストライプシャツにインポートもののストレートジーンズ、紺のブレザー、ヴィトンのバッグに足元はモカシンというシンプルなスタイルが特徴であった。その主体は、比較的裕福な高校生たちであった。
これが、メディアで取り上げられると全国的に広がることになったのである。なお、この渋カジは90年代に入ると、よりドレスダウンしたカジュアルとして変化していくのであった。
余談ーー
いま、ビギとかニコルとかは健在であるのか。もちろん存在しているのは認識しているが、あまり話題もないし存在感もないのは、如何に。ビギは、やはり不動産屋になってしまったのか。最近は興味もないので情報がないです。以上
以下は、「バブルの肖像」都筑響一著
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