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■80年代|日本のゴールデンエイジ ’80s(下篇)85年〜89年

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加速する80年代、バブルと昭和の終わり

バブルは膨張し気分も高揚していくが…終幕も近づいていた

 80年代の気分を顧みると、こんな風なものかと思われるものが、以下に紹介する岡崎京子の作品に表現されている。

岡崎京子「東京ガールズブラボー」より…

 東京へ引っ越してきた主人公サカエは、次の様に言います。

「ハロー、ハロー、ハローみなさん、はじめましてよろしく、おめでとう。あたし、金田サカエ、フロム・サッポロ・シティ。」

 そして、東京にできた友達と遊びに行くときに、行きたい場所を溢れ出るかの様に列挙して言います。

「ラフォーレ、原宿プラザ、ミルクはもちろん、竹下どーり、キーウエストクラブ、サンドイッチのバンブーに、キディランド、カフェ・ド・ロペ、ハニワのお花屋さん、古着屋のフェイクにあかふじでしょ、ア・ストア・ロボットの近くにはピテカンがあるのよね。」

 さらに続けて…

「オンサンディーズもみたいし、佐賀町エキビジットスペースも」
「原美術館もいわさきちひろ美術館もいいわね」
「それから、ゼェェッタイ、ナイロン100%!!」

東京ガールズブラボー (上)
東京ガールズブラボー (上)

<注釈>
・オンサンディーズ…アートに特化した書籍、雑貨等を集積したショップ
・佐賀町エキジビットスペース…江東区佐賀町にあった食糧ビルを改装したアートスペース(1983〜2000年、2002年ビルは解体された)
・ナイロン100%…渋谷にあったカフェ、ニューウェーブ系のライブも行われた。

※参考/80年代地下文化論より

 これは、そのまま80年代の気分を表していると言っても過言ではない。ただし、すべての人々に当てはまる訳ではない。あくまで、80年代が発していた情報に敏感に反応した人達だけに共通するものだった。

 当然の様にこれらのワードまたは記号に対して、なんの興味も無い人も多くいたことは間違いない。それは、80年代の感性という曖昧な差異化の成せる技といえる。また、大衆から分衆へという80年代の大きな流れが影響していた。

 岡崎京子の「ガールズブラボー」は、リアルタイムではなく90年代になってから、80年代を顧みる様にして描かれたものである。80年代の表層を追いかけてるように見えるが、意外と中身は深いものとなっている。

 80年代には、「新人類(ニューウェーブ)」と「おたく」という大きな二つの流れがあり、「ガールズブラボー」は前者であるのは言うまでもありません。

 ちなみに、岡崎さんは1983年にデビューしている。岡崎さん自身は東京出身なので、主人公サカエとはかなり境遇が違いますが、それでも時代の息吹を体感した自叙伝的なものと想像できます。たしかではありませんが…。

1985年 新人類、現れる

 1960年以降生まれの若者たちを「新人類」とする呼称が広まっていた。なお、新人類といっても、生物学上の新種の人類ではなく、分類上の新種ということである。ちなみに現在では、ほぼ死語となっている。

 新人類という呼称は、「従来とは異なった感性や価値観、行動規範を持っている」と規定し、否定的にも肯定的にも幅広く使われた。80年以降の入社組、80年代サブカルの中心世代、当時の若手芸能人などが当てはまる。

「新人類」としてマスコミによって取り上げられていた代表的な人物として、秋元康、尾崎豊、北尾光司、石橋貴明、清原和博、戸川純、いとうせいこう、みうらじゅんなどが挙げられる。

 この頃には、「新人類(ニューウェーブ)」と「おたく」という、対極する2軸がなんとなく明らかになった。この二つの軸は同時並行していき、やがて大きな流れとなっていった。90年代に新人類は死語となったが、その精神性は「渋谷系」などに受け継がれ、またおたくは「オタク」となり定着化した。

 80年代はファッションが注目されたが、それは男性にも広がりを見せていた。「DCブランド(デザイナー&キャラクターブランド)」は、メンズ需要にも応えるべく積極的にアピールをしていた。そして男も女もブランド物づくしとなっていた。

 とにかくこの時期は、ブランドの価値が異常に高まっていた。単なる標章ではなく、イメージとして受ける印象が大事となっていた。言葉を変えれば、ブランドと同期することで自分も高まると錯覚していたといえる。

 さらには、オシャレが重要な価値として比重が大きくなっていた。若者達は、かっこいい自分をファッションで演出することを厭わなかった。

 芸能では、「おニャンコクラブ」というアイドルの集団が現れていた。いまをときめく秋元康が仕掛けた、女子高生を中心としたアイドル達であった。当時の中・高校生には、絶大な人気を博したのは言うまでもない。

 当方の甥も、ポスターなどを自室にたくさん貼っていた。これをいま言うと嫌がるはずである。ちなみに当方は、おニャンコにはまったく感心がなかった。

<流行事象>
神田正輝と松田聖子が結婚。ハンディカム。ショルダーホン。スーパーマリオブラザーズ。金妻ブーム。おニャン子クラブ大人気。ビックリマンチョコ。シャネル人気。メンズDC爆発的人気。コンサバティブ(保守的なスタイル)復活。

<その他>
・新人類が、注目される
・日本航空123便墜落事故(世界最大の航空機事故)
・プラザ合意

<映画>
ゴーストバスターズ…NYに現れたお化けを退治する荒唐無稽なSFコメディ。

1986年 バブルが膨らみはじめる

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「プラザ合意(1985年)」を受けて、日銀はお金を沢山刷って市場に流し始めました。その結果、銀行は貸し出し競争となり、貸し出された資金は不動産に集中し、土地価格を押し上げました。さらに、高くなった土地を担保に、またお金を借りるという無限連鎖的な錬金術が常態化していきました。

プラザ合意…ドル高是正に関して、G5(先進5か国蔵相・中央銀行総裁会議)により発表された、為替レート安定化に関する合意事項。呼び名は、会場となったアメリカ・ニューヨーク市のプラザホテルに由来している。

 バブルが膨らみ始めていました。土地や株があれば、いくらでもお金を借りられる。そのどこに終着点があるかも判らずに、多くの企業、人々が土地や株に投資しました。ババを掴むのは誰かなんてことは、まだ考えていなかった。

「NTT株」が、高値で売り出されるなど、株投資が話題になりました。

 この時期からが、日本が世界に名を轟かしたバブルといえます。(1987年からという説もあり)

 土地高、株高を背景に一種の金余り現象となり、それは企業だけでなく、一般人にもその恩恵は少なからずありました。企業は、多くの人材を採用し、また高い給料を払う様になっていました。それによって、消費活動も活発化していきました。

 人はお金が身の丈以上あると、決まって身の回りを高級化していきます。ファッション、自動車、住まい、遊びなどにです。まず、海外ブランドの高級品が売れていきました。クルマでは、ベンツ、BMWなどが売れて、日本車もシーマ(1988年)など高級車の需要に応えるものが発売されました。

 街中では、「ディスコ」が隆盛となり大型化していた。そこでは、「ボデコン(ボディ・コンシャス)」のミニスカートを着た女性が主役でした。このボデコンのミニワンピースは80年代後半を象徴するアイテムとなっています。(ボデコン自体は、80年代初頭にデザイナー、アライアによって発案された)

 ディスコなどの夜の社交場は、アンモラルな雰囲気に惹かれて、灯りに集まる蛾の如く、多くの人々で一杯となっていた。「お金と色と欲」が融合したバブル期ならではの特徴を色濃く表していました。

<流行事象>
写ルンです。テレクラ。つくば万博開催。天空の城ラピュタ。ボデコン登場。ミニスカート人気。金のアクセサリーブーム。

<その他>
・株価高騰でNTT株フィーバーなどマネーブーム高まる
・海外ブランド品、需要高まる
・ブラックマンデー

<映画>
バック・トゥ・ザ・フューチャー…タイムスリップを題材としたSFアドベンチャー。タイムマシンに改造されたデロリアン(クルマ)が注目された。 

1987年 上質な生活という風潮が広がる

 80年代後半は、バブルの勢いが年々増していくが、ここではそれに関する話題ではなく、別の観点で時代を捉えてみたいと思います。

 この年には、「渋谷にロフト(西武系の雑貨専門大店)」がオープンしています。東急ハンズ(70年代開業)と一見似ていますが、その成り立ちの背景を考えると似て非なるものでした。それは、80年代初頭から始まった「雑貨ブーム」と無縁ではありませんでした。

 雑貨ブームは、かつては家庭雑貨、あるいはガジェットなどと呼ばれた商品群が、「生活雑貨」という新しいカテゴリーになったことで生まれました。それは生活環境をより豊かにしたい、という80年代の感性消費を刺激しました。

 また、80年代の「大衆から分衆へ」という流れのなかで、個の価値基準が多様化していくことにも適合していました。

 無印良品、アフタヌーンティー、フォブコープなどの高い人気は、「生活雑貨」というカテゴリーの認知を拡大していきました。その延長線上にロフトは誕生したと思われます。”ドゥ・イット・ユア・セルフ”がテーマの東急ハンズに対して、ロフトは、”生活環境の充足感”に焦点が当てられていました。

 東急ハンズはニーズ(顕在化した需要)に、一方、ロフトはシーズ(潜在的な需要)に対応していたといえます。この違いは、意外と大きいはずです。もっと判りやすくいえば、カッコいいオシャレに対応したのがロフトでした。

 オープンしたときに、当方はすぐに行った記憶がありますが、いまと違ってかなり品揃えが先鋭的でした。アート、デザインにこだわりを見せていて、店内の各所には大きなオブジェが鎮座していました。

 やはり、バブル期の新業態です。お金が掛かっていたのは間違い有りません。商品の価格もけっこう高く、いまの感覚とはだいぶ異なっていました。その後は、価格帯はこなれていきましたが、当時は価格ではなく、生活の豊かさを生む、質やデザイン、希少性などに重点が置かれていたと思われます。

 ロフトの開業当時を思い浮かべると、80年代の感性消費は、明らかに上質志向へと向かっていき、生活環境にこだわることへの感心が高まっていました。

 80年代後半の日本では、デザインへ注目が集まり、やがて「デザインの百花繚乱」状態となりました。世界中から著名建築家、デザイナーが訪れ、建築、インダストリアル、インテリアデザインなど多くのプロジェクトを手掛けています。

「ポスト・モダン」のデザインが、もてはやされたのも80年代です。メンフィスというデザイングループの奇抜なデザインのインテリアは話題を呼びました。(なお、ポストモダンのデザインは、80年代後半には失速しています)

 アートの分野では、佐賀町エキジビットスペースで大竹伸朗の個展が開催されています。この展覧会は、いまでは伝説的なアートイベントとして語り継がれています。

 そして、バブル景気に湧くTOKYOが、パリやロンドン、ニューヨークと並ぶ現代的な都市として注目されるようになりました。

<流行事象>
朝シャン。ゴクミ。花キン。バブル。ねるとん紅鯨団。マドンナ、マイケルジャクソン来日。国鉄民営化。アメカジ。ボディコン大流行。ワンレン(ワンレングス)ヘアスタイル流行。

<その他>
・自動車Be-1(日産自動車)
・地上げ屋
・地価の異常高騰、財テクブーム

<映画>
トップガン…トム・クルーズ主演の戦闘機パイロットの成長物語。

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Be-1(日産自動車)

1988年 文化が爛熟化?する

 バブルは、加速化して土地は急騰し、株も上昇していた。「リクルート疑惑」が政界を揺るがしていた。ソ連ではペレストロイカが始まっていた。

 金余りを背景に、「文化が爛熟化」するかの様な呈をなしていた。建築やデザインには奇妙な傾向が顕著に現れた。例えば、奇抜さだけの建築に多くの資金が投じられていた。海外の有名建築家やデザイナーは日本をデザインの実験場としていた。

 村上春樹「ノルウェイの森」(1987年12月)が、大きな話題を集めてベストセラーとなっていた。政治や経済がアンモラル化するなかで、世相もそれに引き摺られていた。そのような背景のなかで登場したこの小説は、登場人物の死や失踪、過剰な性的描写などに溢れていた。

 したがって、けっして明るい内容とは言えず、世相の楽観ムードとは対極にあるものであった。まるで、この先を暗示するかの様にである。

 経済絶好調(バブルのおかげ)の日本は、海外ではやっかみも含んで揶揄されていた。当時のフランスの閣僚は、「日本はルールを守らず世界征服を企む敵だ。これを理解しないのは愚かだ」と言ったそうである。

 さらに、フランスのメディアでは、「貪欲ニッポンの抗し難い上昇」、「ニッポン、恐怖を巻き起こす国」、「日本は殺し屋」など、日本人からは理解し難い特集記事やヘッドラインが掲載されていた。

 なんだか人種的偏見も関係ありそうな気もするが。それにしては、現在同じ様なことをしている中国に対しては、何故か容認しているようである。

 とにかく、文化大国のフランスが危機を感じる程に、当時の日本のバブルが凄まじかったことを象徴していると思われます。

<流行事象>
東京ドームが完成。カラオケボックス。ダイ・ハード。明石家さんまと大竹しのぶが電撃結婚。ミニ四駆。ドラクエ3発売。リクルート事件。となりのトトロ。ノルウェーの森(村上春樹)。ティファニー現象。デュフュージョン・ブランド流行。

<その他>
・ニューリッチ
・渋カジブーム
・自動車シーマ(日産自動車)

<映画>
ラストエンペラー…中国最期の皇帝「溥儀」の生涯を描いた歴史大作映画。

1989年 バブルの頂点と昭和の終わり

 昭和から平成へ、昭和天皇が崩御し平成元年となった。平均株価が年末には、3万8915円の市場最高値まで上昇した。不動産価格も1990年まで高騰を続けた。

「リクルート事件」(「リクルートコスモス」の未公開株を、政治家や官僚、財界有力者に譲渡した)が世を騒がせた。政界、官界、財界では多くの人が収賄容疑に問われ、そのうち何人かは起訴された。

 バブルもいよいよ頂点に差し掛かっていた。しかし、それでもまだイケルという風潮もあり、三菱地所はロックフェラーセンターを買収、ソニーはコロンビア映画を買収した。また、芸能人の不動産屋までがハワイ等の不動産を買い漁っていた。

 それに対し、海外では非難の声が上がっていた。これも、いまでは中国が同じことをしているが、あまり非難の声を訊かないのは何故か?。

 若者の間では、「渋カジ」と呼ばれたスタイルが注目を集めていた。発生した渋谷にちなんだカジュアルの略であり、上品なコンサバを取り入れた着こなしがオシャレとされた。紺のブレザーなどの人気が高くよく売れていた。

 一方では、ラルフローレンに代表される伝統を下敷きとしたニュークラシックともいうべきスタイルも人気が高くなっていた。バブル景気を反映した高級、本物志向が影響していたと思われる。

 音楽では、FM局のJ-WAVEが「Jポップ・クラシック」というコーナーを始め、邦楽を流すようになった。この頃から「Jポップ」という言葉が使われるようになり、やがてそれは定着しました。

 海外では、ベルリンの壁が崩壊した。東西ドイツの壁が取り壊されて、翌年には東西統合へと向かった。中国では、天安門で騒動(天安門事件)があり数千人が犠牲となった。

<流行事象>
消費税スタート。ゲームボーイ。テトリス。ハンデカムTR-55。一杯のかけそば。(美談、後に嘘がばれた)横浜ベイブリッジ。

<その他>
・三菱地所、ロックフェラーセンターを買収
・ソニー、コロンビア映画を買収
・ベルリンの壁崩壊
・天安門事件

<映画>
インディ・ジョーンズ最後の聖戦…言わずと知れた、考古学者ジョーンズ博士のアクション&アドベンチャー映画!聖杯を巡る攻防を描いている。

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80年代後半まとめ/80年代は、現在のルーツなのか?

80年代に登場して、現在に続くものには以下の様なものがある。

 PC、スマホ、インターネットという現代の3種の神器の元が、発明、または誕生している。また、海外ブランド品への過剰な価値観は、いまも続いている。

 音楽のカテゴリーにJPOPを誕生させている。オタクは、80年代に”おたく”として発見、定義されている。現代アートやデザインが、表層に現れて注目され出したのもそうである。ブランドエクイティなんてのが流行りであるが、それもおなじくである。

 他にもあるが、とにかく多くの物事は80年代を起点として、90年代、00年代と進化、進展してきたのは間違いないと思われる。80年代を侮るなかれ、そのルーツは案外80年代かもしれないと、肝に銘じるべしである。

 一方で反省の材料に溢れた80年代であるのも、また事実である。

上篇はこちら:■80年代|日本のゴールデンエイジ ’80s(上篇)80年〜84年

参考文献:幻の黄金時代 オンリーイエスタデイ’80s東京大学「80年代地下文化論」講義 決定版
東京大学「80年代地下文化論」講義 決定版

参考サイト:年代流行 80年代
http://nendai-ryuukou.com/1980/

冒頭動画:「淋しい熱帯魚」wink 1989年

追記:上記内容に関しては、情報をかなり省略しました。したがって、まだ不十分な内容となっています。いずれ、情報を追加していきたいと考えています。

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