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■80年代|堤清二と西武百貨店 奇跡の時代

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西武流通グループは、消費と文化を”融合”させた


西武百貨店の広告 1982〜83年

80年代の幕開けは、「不思議大好き」であった!

西武流通(セゾン)グループの創業者であった堤清二氏が、亡くなったそうである。たしか86歳であったと報道されていたはずだ。堤氏の創った西武流通グループが解体されてから、もうずいぶんと時を経た。しかし、あの西武百貨店をはじめとした流通グループが、一時代を築いたのは間違いないことである。

また、時代を切り開いた西武流通グループの戦略は行き過ぎたことはあっても、遅れたことはなかったと思うのである。ただし、行き過ぎが命取りであったのは、いまさら言うまでもないことである。

創業者(事実上の)の堤清二氏は、池袋にあった貧相な百貨店を後に売上日本一となるまでに成長させたカリスマ経営者であった。経営者としての彼の特徴は、文化を消費の場に取り入れたことであった。作家でもあった彼は、小売りの現場が単なる陳列の風景であることが、我慢できなかったようである。

そして「消費を文化に」「文化を消費に」を合い言葉に、百貨店の空間は文化の場として生まれ変わったのである。それは、80年代をリードした西武百貨店の誕生であった。

80年代初頭の西武百貨店の広告スローガンは、「不思議大好き」であった。これは、上記したように文化を消費の場に持ち込むことの意思表示のスローガンであったはずである。文化=不思議と置き換えることができる、違うだろうか。それは、地球と人間の営みすべてをひっくるめて愛すということの隠喩として理解したいと思うのである。

なお、これはあくまで個人的見解である。このコピーを書いた糸井重里の真意は、違うかも知れない。

80年代、堤清二は君臨する流通グループに対し、店をつくるのではなく街を創るのだと盛んに言っていたそうである。また、物を提供するのではなく、空間を提供するのだとも。これが何を意味するのか。それは彼が、究極的には自分が理想とする街を創りたかったに違いないということである。

それが故に、西洋環境開発という会社で不動産開発を押し進めたのではないか。しかし、それが後の西武解体に至る原因ともなったのであった。

それはさておき、当時の流通グループの会議では、堤清二の壮絶なまでの部下に対する叱咤激励が飛んだそうである。部下に灰皿や書類を投げつけ、テーブルをドンと叩き付ける場面など日常茶飯事であったそうである。彼は、何かに取り憑かれたようにかなり急いでいた。

それは何故か?、生い立ちのせいか。西武鉄道グループのドンであった異母弟に対する対抗心か。それもあったかもしれないが、それよりも当時の日本の環境を変えたかったという思いの方が強かったのではないか。

あくまで想像でしかないが、収益性を重視すればとてもできないことを次々と展開していく手法は、もはや普通の人間にはできない芸当であった。オーナーであり、カリスマ経営者であり、文化人であった堤清二は、何をしようとしたのか。本当のところは知る由もないが、少なくとも次代に継承する文化のいくつかは残したと思うが、如何に。


西武百貨店の広告 1981年

堤清二の理想は、凝縮されて「無印良品」となった!

現在、西武(セゾン)流通グループは解体されて、かつての輝きはどこにもない。西武百貨店はセブン・ヨーカドー傘下に、パルコは、森ビルを経て現在では大丸・松坂屋グループ傘下に、西友はウォルマート傘下にという具合である。他の企業群もいずれも同じようにどこかの企業の傘下にあるのが現状である。

西武百貨店が失速した後は、伊勢丹や高島屋が百貨店をリードしたが、昨今では郊外の大型ショッピングモールにその主導権を奪われそうである。店作りより街づくりをコンセプトとした西武流通グループが健在であれば、どんなモールを創ったか興味あるところである。

ちなみにモールを先駆けたと言える「つかしん」は失敗したが、いまではグンゼモールとなって営業しているそうである。

そんな背景から中心であった西武百貨店も現在では影が薄くなっている。しかし、それでも堤清二のコンセプトを具現化するブランドは生き残っている。それが「無印良品」である。元は西友から発生したプライベートブランドであった無印良品であるが、その後独立したブランドとなった。

流通グループ解体後は、企業としても独立して現在に至っている。

かつての西武流通グループの「文化を消費に」という合い言葉そのままに、無印良品は「食品・食材」「生活雑貨」「ファッション」「インテリア」そして「家」までも手がけるようになっている。その商品群は、ある種のこだわりをコンセプトにしているのは、いまでも変わっていない。

堤氏はどう思っていたか知らないが、「無印良品」ほど彼の理想(または思想)が具現化された事業はないのではないか、と思う次第である。みなさんは、どう思われますか。

追記:堤清二と西武流通グループは、その会社で働いた人達は苦難を歩んだかもしれないが、一般消費者には素敵な思い出をくれたグループであったと思います。そして、堤清二氏のご冥福をお祈りいたします。


上/無印良品 青山一号店 下/ホテル西洋銀座 1Fには映画館

かつて堤清二が満を持して創立した”高級”ホテル西洋銀座は、2013年閉鎖したようである、同じく1Fの映画館、テアトル銀座?も閉館だそうである。

個人的には、この映画館で93年か94年に「恋する惑星」と「欲望の翼」2本のウォン・カーワイ作品を観ました。なんともはや、20年前であったとは、そんなに時を経たかと不思議に感じる次第である。

以下は、80年代西武のクリエイティブワーク本!

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