ポスト・モダンな空気が蔓延した!
バブル時代に建設された巨大博物館や美術館、モニュメントの数々。これらは、ローマ建築の如く後世に残るのか、否や。
80年代アンソロジー、今回は「ポスト・モダン建築」を中心に取り上げます。バブル、地上げ等と密接に関わりがある、この建築の流れは何だったのか?。
ポスト・モダン建築
ポストモダンとは、「モダン(近代)の次」という意味であり、モダニズム(近代主義)がその成立の条件を失った(と思われた)時代のこと。ポストモダニズムとは、そのような時代を背景として成立した、モダニズムを批判する文化上の運動のこと。
主に哲学・思想・文学・建築の分野で用いられる語。と云うことらしい。この用語自体は60年代からあった様であるが、80年代になりバブルと相まった建築の分野で、この影響を受けた奇妙奇天烈な造形物がひんぱんに作られた。
80年代に現れたポストモダン建築と称したその多くは、モダニズムを否定する方法として歴史様式を取り入れた。端的に云えば、近代&歴史折衷様式である。もちろん建築家はそんなこと云うはずも無く、小難しい理論を振りかざした。
しかし、出来上がった建築を見るとそうとしか思えないのが事実であった。極端な場合、四角いコンクリートの箱の正面部分にイオニア?様式を思わせる門柱や装飾物を無理遣りくっ付けた看板建築の様なものさえあった。
この建物は、マツダがかつて展開したユーノスという販売会社のショールームであったと記憶する。環八沿いの世田谷辺りにあったと思う。建築家は隅研吾?だった。彼にとっては思い出したくない仕事だろう、たぶん。
90年代に入るとポストモダン建築はバブル崩壊と共に消えていった。
インテリア、商業デザインのポストモダン
建築以外の分野でもポストモダンは流行した。こちらの方は建築と違い形状の単純化とカラフルな色彩が特徴となっていた。カラフルにするのがモダンを否定することだったのか、どうか良くは知らないが、滅多やたらに甘い色彩に色分けされていた。
そのデザインは、インテリア、家庭雑貨など生活周辺のあらゆる範囲に広がっていた。有名なのは、イタリアの「メンフィス」と云うデザイングループである。
なかでもエトーレ・ソットサスのデザインは当時話題を集めた。これもバブル崩壊と共に熱が冷めていき、あっと云う間に流行遅れとなった。
エットーレ・ソットサス
廃墟的建築
ポストモダンの範疇に入るか微妙であるが、80年代後半?から90年代始めにかけて見受けられたのが、廃墟的イメージを彷彿させる建築である。
有名どころは、ナイジェル・コーツである。西麻布のウオール・ビル、パルコのカフェボンゴ?のインテリアなど、バブル時代の日本各地に多数の建物、インテリアを設計している。特徴は、なんと云っても朽ちかけた中世を思わせる造形感覚である。
歴史様式を巧みに取り入れながら、独自の感覚でデジャブ感(既視感)に溢れた造形となっている。とても印象深いのであるが、これもまたバブル崩壊と共に姿を消していった。
ウォールビル 所在地:東京都港区西麻布4-2-4
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