専門家は意図的に嘘をつく
最近、専門家への信頼が揺らいでいるようだ。予想を外しまくるエコノミストやアナリスト、利益のためなら平気で嘘をつく金融投資家、客観的視点を忘れて偏った報道を続けるマスメディア、思惑を隠し利権と保身に走る政治家や官僚、顧客満足とは裏腹の商品を売りつける通信会社や保険会社、等々。
その他多くの機会で、専門家が介在して一般大衆をごまかし続けている。現代では、ありとあらゆる機会で専門家を疑ってかかる必要があるかもしれない。それもこれも、専門家が意図的に嘘をつくことが明らかとなったからだ。
それは、福島原発のメルトダウン以後はっきりしてきた。
なぜなら、原発は、安心・安全であると官民あげてアピールしてきたが、それが嘘だったことが露呈してしまったからだ。その裏で専門家は何をしてきたか、一部の専門家を除くと概ね一般大衆を騙すことに加担していた。
原発はひとつの例でしかない。現代では、現在進行形でたえず専門家の意図的な嘘が垂れ流されている。それを見極めるのは大変難しいが、それを重々承知のうえで対処するしか、いまのところ方法がない。
とにかく、何を信用し信頼していいか、それが益々分からなくなっている世の中となっている。繰り返すが「専門家は意図的に嘘をつく」、それは間違いない。
なお、専門家が社会に必要であるのはいうまでもない。その知識や経験が現代の歪んだ構造故に、ベクトルがねじ曲がってしまったようだ。
そこでいま注目されるのが、「ポスト専門家」の役割である。
ネットのなかった時代は、専門家の垂れ流す情報を信じるしかなかったが、いまではネットの意見が疑義を呈する役割を担っている。ネットからの意見は、専門家と非専門家が入り混じっているが、それ故に専門家のタコツボとはならずに、ベクトルを見直す意義があると思われる。
ただし、ネットのポスト専門家は、玉石混交であり見極めが難しい。だから、それらの情報を整理し、まとめ上げる機能が必要となるかもしれない。
とにかく、ポスト専門家の重要性が認知される日もそう遠くないはずだ。
予想を外すエコノミストと金融投資家の嘘
リーマンショックを世界中のエコノミストたちは予想できなかった。それ以前から、エコノミストは予想を外しまくっていたが、大きな問題とはならなかった。ある意味でいえば、問題にならないことが問題だったに違いない。
なぜなら、エコノミストは平気で嘘をついても誰憚ることもないからだ。たとえ予想を外しても、たいして非難されることもなく、専門家の肩書きも外されることはない。そして、また平然といい加減なことを言ってやまない。
エコノミスト、あるいはアナリストも、学者や金融、あるいは投資家であれ、あまり信用することはできないと言っても過言ではない。なぜなら、かれらはある思惑に基づいた論理を主張していると思われるからだ。
ある思惑とは、「確定すべき利益」に他ならない。したがってエコノミストとは、確定すべき利益から逆算して論理を構築し、自らの所属するグループを優位に導くことをしている、と言っても過言ではない。
それは、いわば認知された総会屋の如くと言ってもいいかもしれない。
世界には、莫大な資金を要する金融投資家がいる。著名投資家となれば、マスメディアを通じて、自らの市場予想を発信する機会が与えられている。その薀蓄に満ちた情報をマスメディアは、こぞって発信している。
しかし、投資家の目的が、自らの最大利益であるのは言うまでもない。確定すべき利益を前提にして情報を発信している。したがって、マスメディアはかれらの利益のために情報を流布する手助けをしているといえる。
端的にいえば、エコノミスト、金融投資家、マスメディアは一心同体であり、同じ穴のムジナということができるだろう。
「ブレグジット後」の経済予想が外れまくった理由は?
昨年11月、オックスフォード辞典は「post-truth(ポスト真実)」という単語を「2016年今年の言葉」に選んだ。その意味性は以下のとおりである。「客観的な事実よりも、感情や個人の信条に訴えるアピールのほうが世論の形成に影響を与える状況」
これが「今年の言葉」になったのは、国民投票によるイギリスのEU離脱(ブレグジット)の決定(と、その後に続いたドナルド・トランプの米大統領選勝利)のせいだ。つまりイギリスの有権者は、EU加盟国であるのはいいことだという「客観的事実」を拒み、代わりに無知な抗議に一票を投じた、ということらしい。
だが投票後の数カ月で、ブレグジットに関する多くの「公然の事実」が間違いだったことが分かってきた。たとえば、離脱を選べば確実に、イギリスは急激な経済ショックを味わう、と言われていた。実際に離脱する前でさえ、ミニ景気後退が起こるだろう、と。
この予想は、エコノミストや専門家たち(OECD、イングランド銀行、IMFなど)に広く受け入れられていた。当時、多くの国民がこれを大げさな脅しだと叫んで受け付けなかったが、彼らは都合の悪い現実を受け入れない狂信者として片付けられた。
ところが、ブレグジット決定後のイギリス経済は、驚くほどの耐性を見せている。株式市場は史上最高値をつけ、雇用は堅調が続き、消費は活発で、製造業は成長し、住宅価格は上り続けている(最後のは個人的にはいいことだと思わないが)。投票から7カ月後の今、イギリス経済は世界有数の好景気にある。
日本でも、エコノミストたちはイギリスのEU離脱は、世界の破滅だといわんばかりに騒いでいたと思うが、いまではそんなことは無かったように静かだ。
マスメディアの偏向報道は、いまや当たり前
かつてマスメディア(新聞、テレビ)が、信用、信頼されていた時代があった。しかし、ネットが登場し浸透してからは、マスメディアの嘘が次々と暴かれていった。そして、情報とは操作されるということが如実となった。
日本にはいまだに自虐的歴史観というものがある。これを流布し、浸透化させたのは言うまでもなくマスメディアだった。一説では、戦後の進駐軍=米軍が企画し各メディアに指導したものといわれている。
そしてA新聞社は、もっとも熱心にそれら情報の操作を行ってきた。それは、慰安婦問題を顧みれば一目瞭然である。それ以外でも数々の情報操作をしてきたはずだが、当のA新聞社はクオリティペーパーを自認にしてやまなかった。クオリティ=質が高いとは、情報操作の質が高いということかもしれない。
このA新聞社に限らず、多かれ少なからずどの新聞社も情報の操作に加担していたようだ。それが新聞社の社会的意義とは裏腹だったのは言うまでもない。
新聞社の役割は、客観的な報道にあるとされてきたが、ネット時代の到来とともにその嘘もまた暴露されてしまった。新聞社は、情報を自らの都合に合わせて発信していたのだ。そして新聞社が隠した情報は、次々とネットで晒されていった。
新聞社は、取材等で特別な既得権益を擁しながら、そこで得た情報を隠し自らの主義・主張に沿うように情報を加工してから発信していた。
この行為は、新聞社が客観的な視点を放棄し、社会の公器ではなく、自らの主義・主張に重きを置いたといえる。とすれば、それは政治政党などとなんら変わることはない。例え、それが他の新聞社との差異化を図るためであるとしてもだ。
共産主義や独裁政権化では、メディアをコントロール化に置くことが定番となっている。はたして日本の新聞社やテレビは、どこの国の支配下にあるのだろうかと思わざるをえない。そして、何を目指しているのか。それが気にかかる。
とにかく、もはや新聞やテレビからの情報を鵜呑みにする時代ではない。
マスメディアの情報を精査し、偏ることなく客観的視点に基づいたポスト専門家による提言や情報の見直しなどの重要性が増しているといえる。
ちなみに、戦前の新聞社は、軍門に下りこぞって鬼畜米英を唱えていた。日本の敗戦後、新聞社は一転してリベラルとなり、日本的なるものを非難していった。歴史を顧みれば、新聞社に信用、信頼を求めるべきではないのかもしれない。
一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)
“ビッグ・ブラザー”率いる党が支配する全体主義的近未来。アメリカではトランプ大統領が就任後、ベストセラーになっているとか。
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