元文学青年の娘は、本を読まない
今日も夜は黄昏て、刻々と闇を深くしてゆく。そしてコンビニの明かりは煌々と周囲を照らし、それに誘われるように客がやってくる……
■コンビニの夜9「幾年月の夜をこえて」
作:cragycloud
登場人物:アタシ(元文学青年の娘だが、文学とは無縁の21歳)
アタシの家族
アタシには家族がいる。それは当たり前か、でなければこの世とやらにアタシは生まれていない。家族は、4人構成であるが、兄は結婚して実家の近くに住んでいる。だから、現在は父と母、そしてアタシの3人で暮らしている。
家は、小さな土建屋の社長だった祖父が、自分で設計し建てた築約40年は経とうとしている一軒家だ。祖父と祖母はなぜか、この家を出てマンションに住んでいる。たぶん、父が結婚し子どもが大きくなり狭くなったからと思われる。
アタシが、物心ついた頃には、すでにこの家にはいなかった。きっと、なにかしらの大人の事情がもっとあったと思われるが、いまだに尋ねたことはない。
父=元文学青年の土建屋
母=文学青年にキュンとして父と結婚
兄=マイルドヤンキー、できちゃった婚で娘が3人
アタシ=元文学青年の娘だが、本を読まない
ポン太=オスの犬(去勢済み)、父親を愛してやまない
父親は、元文学青年で、小説家になるといって大学卒業後も実家にはもどらなかった。しかしその夢も叶わず、傷心の身で実家に帰ってきた。そして、土建屋の2代目社長となって現在に至っている。
お酒を飲んで酔っ払うと、有名な小説家をやたらと貶しまくるのが悪いくせだ。まだ、どこかで小説家になる夢を諦めていないのかもしれない。
母親は、楽天家でおおらかな明るい性格の女性だ。父親とはお見合いで結婚した。父が、大卒で文学青年と訊いて、俄然興味が湧いたのだそうだ。しかし、結婚してから、父の細かい性格(繊細ともいう)にうんざりしたとか。
父は、物を置くにしても真っ直ぐにしないと気がすまないタイプだった。一方、母は、かなり大雑把で、多少雑然としても一向に気にしない性格だった。
アタシの性格は、母親のそれをかなり受け継いでいるようだった。だから、アタシの部屋が散らかっているのを母親から注意されたことがない。ちっとは片付けろと言ってくるのは、もっぱら父親だった。
兄貴は、アタシより6個年上で、すでに結婚して3人の娘がいる。中学まで大人しかった兄は、高校に入ってからなぜかヤンキー風になっていた。とはいっても、本物と違ってマイルドヤンキーだったようだ。
なぜマイルドヤンキーになったか知る由もないが、たぶん勉強ができなかったからではないか。勉強からの逃避が、マイルドヤンキーへと導いたとアタシは考えている。どこか頼りないが、アタシにはたったひとりの兄だった。
兄は、クルマが好きで何台も乗り換えている。そして、その度に車高を低くするシャコタンというものにしている。現在は、家族がいるのでワンボックスだが、それもまたシャコタンにしている。
アタシには謎だ。なぜシャコタンにする必要があるのかが…。
巨乳ソフトだと、ばっかやろー
引用:https://image.entabe.jp/imgs/16780/ministop-kyoho-softcream.jpg
今日も夜は黄昏て、刻々と闇を深くしてゆく。そしてコンビニの明かりは煌々と周囲を照らし、それに誘われるように客がやってくる。ついでに野良猫もおこぼれにありつこうとやってくる。
コンビニにはいろんな人がやってくる。様々な老若男女、若い人、子供、老人、そして中高年だ。中高年のなかには、恥も外聞もどこかに置き忘れてきたような人が少なからずいる。大抵は、男性であり加齢臭をふんだんに撒き散らしている。
アタシのいるコンビニでは、ソフトクリーム(冷凍では無い)を販売している。最近、その新商品として「巨峰ソフトクリーム」が販売されている。
それが販売されてから、あるフレーズを日に何度も訊くような日々が繰り返されている。ほんとにもう、「なんてことだ」と思うばかりだ。
「おねーさん、ソフトクリームちょーだい」と、50代と思わしき男性客がレジカウンター上の商品ボードを見ながら言っていた。
「種類は何にしましょうか」と、アタシは尋ねた。
「えーとね、えーとね、そう巨乳ソフトのバニラミックス、ひとつね」と、にやりとしながらアタシの反応を伺うように見つめていた。
「巨峰ソフトですね。はい。少々待ち下さい」と、アタシは巨乳をあっさりと受け流していた。またか、と思いながら…。
「あー、そうそう。巨峰だったね。おじさん老眼でね。巨峰が巨乳に見えたんだ。いや失礼、失礼しました」と、歯茎を見せて笑いながら言っていた。
いやー、ちっとも面白くねーんだけど、とアタシは思っていた。なぜなら、おなじようなフレーズを、毎日のように聴かされているからだった。
まーたく、中高年の男性は、どーしてこうも恥がないんだ。まーたく、おまえらは中二かよ、と思わずにはいられなかった。まーたく、ちっとは加齢臭を気にしろよ。まーたく、こういう大人にはなりたくないね、と思っていた。
そんなことを思いながら、巨峰ソフトクリームを用意していた。そして客のおじさんに渡すときに一発かますことを思いついていた。
「お待たせしますたー、巨乳ソフトのバニラミックスでーす」と、言ってやった。
「おっ、待ってたほい。巨乳ソフトだねー、バニラだねー。ところで、おねーさんナイスジョブだねー」と、言って大事そうに巨峰ソフトを持って帰っていった。
なんなんだろー、このやりとりは、と思わずにはいられなかった。それでも、ニコニコしながら、ジョーダンを言う中高年は案外可愛いかもしれなかった。理不尽なクレーマーよりだいぶマシなのはたしかだった。
ところで、なんでアタシが巨乳、巨乳といわれて、かちんと来ているかといえば、何を隠そう、アタシが貧乳だからだった。対外的には、Cカップで通しているが、その実態は限りなくAカップに近いBカップであった。
アタシと一緒に働いている麗しのともみさん(美人で熟女風)は、かなりの巨乳だった。夏が近づいて薄着になって、それが一目瞭然となっていた。不自然とも思える、胸の膨らみがアタシをいたく刺激してやまなかった。
それって反則でしょ、と思わず言いたくなる胸の膨らみにアタシは嫉妬していた。そしてアタシの胸はなんで膨らまないんだ、と思っていた。
「ともみさん、ともみさんって巨乳ですよね。Eカップですか」
「えっ、キョニュウって、急に何を言ってるの」
「いや、アタシ貧乳だから、なんで巨乳になれるのか不思議で…」
ともみさんに訊いたところで、問題が解決するわけはないが、なんだか訊かずにはいられなかった。興味本位とかではなく、切実な思いがそうさせていた。
貧乳は、女性として魅力がないのだろうか、なんて思わずにはいられない。せめて普通になりたい、それがアタシの願いだが、神様はちっとも叶えてくれない。
うちの母親は、かなりの巨乳だが、アタシには遺伝しなかったようだ。
あるとき、母親にいつ頃から胸が膨らんだか尋ねたことがある。母親は、中学時代にはかなり大きくなっていた、と言っていた。アタシの中学時代はなんの膨らみも感じなかったが…。くー、親と子なのに、違いがありすぎる。
「これから大きくなるかなー」と、駄目押しで母親に訊くと、
「どーかしらねー」と他人事のようにそっけなかった。
「おっぱいなんて、たいした問題で無いから」と、母親は言ってから、「でも、大きいに越したことはないかなー」と、相反することを言っていた。
それを訊いたアタシは、「く、くそー」と地団駄する思いをなんとか堪えていた。なんて母親だと思いながら…。
そして、「いまに見ておれー、巨乳になってやる。巨乳のばかやろー」という思いを、胸の奥に密かにそっと仕舞い込んだ。
恋(縁)は異なもの、デートにいざゆかん
ラブレター〜フロム〜カナダ〜と、母親がときどき歌っていたことがある。「カナダからの手紙」という歌だと知ったのは、だいぶ経ってからだった。
ラブレターをもらった。なーんとなんと。アタシにラブレターがである。
うれしいか、といえばそうでもないような、そうではあるような複雑な気持ちである。なぜなら、イケメンならきっと間違い無くうれしいが、相手がなんというか、微妙であるのが否めなかったからだ。
ラブレターをくれたのは、コンビニのお客さんであり、30歳ぐらいと思われた。ほぼ毎日だいたい決まった時間に来店し、おなじ商品を買っていった。いつもハットをかぶっていたから、他のお客さんより印象が強く残っていた。
なぜ印象が強く残ったかといえば、ハットはハゲ隠しだろうと想像できたからだ。そして、どのくらいハゲてるんだろうと想像したからだった。
まだ若いのにハゲてるのか、という思いを強くしていた。そしていつしか、そのお客さんはハゲという認識をアタシに植え付けていた。勝手な思い込みだが、仕方がない。だって、一度もハットの下を見たことがないから。
さらには、ラブレターの中身にも問題があった。アタシを揶揄ってるとしか思えない文言が多々見受けられたからだ。なんなんだ、こいつはと。ラブレター書くなら、もっと恋する想いに真摯に向き合えとダメ出ししたくなった。
幾年月の夜をこえて
突然ですが、このような手紙を出して失礼いたします。
お受け取り頂いただけでもうれしく思います。また、お仕事中にご迷惑をおかけしたことを申し訳なく思っています。
さて、本題ですが、これは間違いなくラブレターです。ラブレターの書き方が判らなくて、少し脱線するかもしれません。予めご了承ください。
思えば、いつごろからか僕はアナタに逢いたくてコンビニに行くようになっていました。この想いはなんだろう、恋かもしれないが、それも変なもんです。アナタとは、お話しもしたことがないのに、恋とは、やはり変ですよね。
しかし、恋とは変なもんだともいえます。だって、ちょっとこの気持ちは理解しがたいところがあるからです。なんで、ちっとも知らない人に心がざわめいて、落ち着かなくなってしまうなんて、なんとも不思議です。
アナタ様にはじめてお会いしてから、たぶん1年ぐらいは経つと思います。はじめは、つんけんとしたクールな女性と思いました。
それからしばらくした後、アナタが店内で空間のどこかに目線を合わせて、口を半開きにしてボーと立っている姿を拝見しました。何をしてるんだろう、とそのとき俄然興味が掻き立てられました。
まさか寝てた、なんてことはないですよね。いや失礼しました。
ラブレターをあまり書いたことがないので、実は戸惑っています。普通は、こういうものでは、なんて美しんだ、なんて可愛いんだとか、心を奪われた動機を具体的に書くべきだろうと思います。
しかし、僕がアナタに感じたものは、そうした美辞麗句では表すことができません。どうも違うと感じてしまいます。
なぜなら、美人ならもっと他にもいるだろうし、可愛い女性もおなじくです。
僕がアナタに恋したのは事実ですが、しかし、容姿が美しいからとか、可愛いいからとか、という理由とはだいぶ違うようです。
いつだったか、アナタがレジカウンターの中で、小顔エクササイズ(たぶん)をしているのを見たことがあります。目を吊り上げたり、口を大きく開いたり、一心不乱にしていました。まるで変顔の練習みたいでした。
そのとき、僕はなんて可愛いんだ、と思っていました。本当です。そして、変顔のアナタに恋をした、と言っても過言ではありません。
変顔のアナタに恋をした、なんてラブレターで書くのは変ですよね。しかし、いま振り返ってみれば、思い当たる恋の動機はそこにあります。
恋(縁)は異なもの、といわれますが本当のことのようです。
なんだか、書けば書くほどに女性の気持ちを動かす方向とは違ってくるようです。しかし、これが僕の正直な気持ちであるのは間違いありません。
そんな訳で(どんな訳で、という気持ちもあろうと思いますが)、結論ですが、とりあえずデートをしませんか。いやデートをしてくれませんか。
お付き合いしてください、と性急に申し込むつもりはありません。
お食事やお茶でもいいし、またはドライブでもいいですし、アナタの都合に合わせたいと思っています。なお、もちろんお断りすることも自由です。
王道のラブレターでなくて、申し訳なく思います。「恋(縁)は異なもの」というように、恋する想いは、人を多少変人にしてしまうようです。自分でも不思議に思うばかりです。その点何卒ご了承ください。
ご返事をいただけると幸いです。よろしくお願いいたします。
コンビニの花へ、恋する異邦人より
なんだこれは、「美人ならもっと他にもいるだろうし、可愛い女性もおなじくです」ってなんだよ。失礼にもほどがあるだろうに。それに恋する異邦人てなんだよ。お前はナルシシストかよ。でもコンビニの花はいいと思うよ。
たしかに、顔エクササイズはやっていたのは事実だ。ともみさんから、ビデオ写ってるよと言われて、あっそうかと思って自重しているが、いまでもときどき無自覚にやっていて、指摘されることがある。
なんだか、アタシのアホみたいなところが好きだ、なんて言われてるようで、なんだかムカつく。それに、たぶんこいつはハゲだし、それにイケメンでも無いし、好きじゃ無いし、どーしようかなー、デートか、どーしよー。
デートに行くべきか、行かざるべきか、悩むなー。
コンビニの夜は、さらに深い闇に覆われて、そして悩める乙女の気持ちも一緒に…やさしく包み込まれてゆく…。
<コンビニの夜9「幾年月の夜をこえて」/おわり>
掏摸(スリ)中村文則(河出文庫)
アメリカ「ウォール・ストリート・ジャーナル」2012年ベスト10小説、
アメリカ・Amazonのbest books of the month(March)に選ばれたベストセラーがついに文庫化。
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