冷戦激化、ベトナム戦争、フラワームーブメントと…
1960年代は、世界的に大きな変革期の時代でした
政治・社会では、冷戦が激化し、キューバ危機やベトナム戦争など、世界的に緊張が高まる出来事がありました。
一方で、公民権運動がアメリカで高まり、人種差別撤廃を求める声が高まりました。ケネディ大統領やキング牧師の暗殺など、衝撃的な事件も起こりました。日本では安保闘争があり、学生運動が盛んでした。
大衆音楽や文化の世界では、ビートルズ、ローリング・ストーンズなどの英国発のロックやファッションが世界を席巻し、若者を中心に大きな影響を与えました。(ブリティッシュ・インヴェイジョン=侵略)
さらには、ベトナム戦争を背景に反戦ソングを歌うフォークシンガーやグループ、モータウンをはじめとしたR&Bやソウルの黒人音楽も注目されました。
ファッションやライフスタイルにも大きな変化が見られ、ミニスカートやサイケデリックなスタイルが流行しました。カウンターカルチャーや反体制の動きも活発化しました。カウンターカルチャーとは、一般的に主流文化や支配的な社会規範に対して、対抗的・批判的な視点から生まれた文化や運動を指します。
現代アートでは、ポップアートという新しい流派が誕生しました。大量生産・大量消費社会を背景として、日常にあふれる商品や広告、漫画、写真といった大衆文化のイメージを、革新的な手法をもって表現しました。
フラワームーブメントがアメリカ西海岸を中心に広まりました。ベトナム戦争への反戦として「武器でなく、花を」というスローガンを掲げていました。
ヒッピーたちが、愛と平和、そして自然を大事にする彼らの主張の象徴として、花を身に着けていたことから「フラワームーブメント」と呼ばれました。
科学技術では、宇宙開発競争が進み、人類初の月面着陸という偉業が達成されました。テレビの普及が進み、情報伝達のあり方が大きく変わりました。
このように、1960年代は、政治的な緊張、社会的な変革、文化的な隆盛、そして科学技術の進歩が複雑に絡み合い、政治、経済、文化、科学技術など、様々な分野で大きな出来事があった激動の時代でした。
後の時代に大きな影響を与える出来事が数多く起こった時代と言えるでしょう。
日本では高度経済成長が本格化し、社会や人々の生活が大きく変化した時期でもありました。
南北に分断されていたベトナムで社会主義陣営の北ベトナムと資本主義陣営の南ベトナムとの間で勃発した戦争であり、冷戦中に起こったアメリカ合衆国とソビエト連邦の代理戦争とされる。
1950年代から60年代にかけてアメリカで起こった、黒人などの少数民族が、教育、雇用、住居、選挙、司法などの分野における人種差別を撤廃し、白人と同等の権利を求める社会運動です。
1960年代後半にアメリカで生まれたカウンターカルチャー運動、またはその運動に参加した若者たちのことです。既存の社会制度や価値観に反発し、自由や平和、自然回帰を重視するライフスタイルを特徴としました。
さてここで、60年代を代表する2大アーティストのヒット曲をお聴きください。
●「It’s Now or Never」エルビス・プレスリー
「It’s Now or Never」は、エルビス・プレスリーが1960年に発表した大ヒット曲です。この曲は、イタリアのナポリ民謡「オー・ソレ・ミオ (O Sole Mio)」を原曲に、英語の歌詞をつけています。彼のキャリアにおいて最も売れたシングルの1つとなりました。世界中で1000万枚以上を売り上げたと言われています。
エルヴィス・プレスリーは、20世紀を代表するアメリカの歌手であり、「キング・オブ・ロックンロール」と称される伝説的な存在です。
全世界で5億枚以上のレコード・カセット・CDなどを売り上げたとされており、史上最も売れた音楽家の一人です。
●「抱きしめたい I Want To Hold Your Hand」 ザ・ビートルズ
1963年11月にリリースされるやいなや、瞬く間にビルボード・ホット100で1位を獲得し、ブリティッシュ・インヴェイジョンの幕開けを告げました。
「ブリティッシュ・インヴェイジョン(侵略)」(British Invasion)とは、1960年代半ばにイギリスのロックやポップ・ミュージックを筆頭とする英国文化が、アメリカ合衆国で爆発的な人気を博し、大きな影響を与えた現象を指す言葉です。
ビートルズは史上最も売れたアーティストであり、全世界での推定売上枚数は6億枚以上とされています(アルバム、シングル、コンピレーション、ミュージックビデオ、ダウンロード、ストリーミングなどを含む総数)。
さて、ここからは1960年代を年代順に紹介していきます。
1960年 安保闘争
・日米新安全保障条約調印・安保闘争/新条約に反対する大規模な国民運動が起こりました。
・所得倍増計画/池田勇人内閣が経済成長を目指した政策を発表しました。
・ダッコちゃんブーム/ ソフトビニール製の人形「ダッコちゃん」が爆発的な人気を集めました。
・アフリカの年/アフリカの多くの国々がヨーロッパの植民地支配から独立しました。
安保闘争(あんぽとうそう)とは、1959年から1960年、そして1970年の2度にわたって日本で行われた、日米安全保障条約(通称:安保条約)の改定や、その存在そのものに反対する大規模な社会運動です。特に1960年の運動は「60年安保闘争」と呼ばれ、戦後日本最大規模の国民的抗議運動となりました。
ダッコちゃんは、1960年7月に発売されました。当時の日本は高度経済成長期に入り、テレビの普及やライフスタイルの変化が進む中で、新しい文化が次々と生まれていました。そんな時代に登場したダッコちゃんは、瞬く間に子どもたちの間で人気を博し、社会現象を巻き起こしました。
1960年代、日本は高度経済成長期にあり、とても好景気でした。この景気は1955年頃から1973年頃まで続きました。その一方では、体制や権力を批判する学生運動が花盛りであり、不穏な空気も漂っていました。
1960年のヒット曲紹介
●「恋にはヨワイ」 コニー・フランシス
コニー・フランシスは、1950年代後半から1960年代にかけて活躍したアメリカの女性歌手で、そのパワフルな歌声と幅広いジャンルの楽曲で世界的な人気を博しました。「Everybody’s Somebody’s Fool」は、彼女のキャリアを代表する曲の一つとして、今もなお多くのファンに愛されています。
●「ザ・ツイスト」 チャビー・チェッカー
チャビー・チェッカーの「ザ・ツイスト」は、1960年にリリースされたアメリカのロックンロールの楽曲で、世界中で「ツイスト」というダンスブームを巻き起こしたことで非常に有名です。
●「ビキニスタイルのお嬢さん」 ブライアン・ハイランド
1960年8月8日にはビルボード・ホット100で1位を獲得しました。
1961年 ベルリンの壁
・ベルリンの壁建設/東ドイツが西ベルリンを囲む壁の建設を開始しました。
ベルリンの壁は、東西冷戦におけるドイツの分断、ひいては世界の分断を象徴する存在となりました。約28年間存在したベルリンの壁は、東欧諸国の民主化運動の高まりを受けて、1989年11月9日に崩壊しました。
・ガガーリン、人類初の宇宙飛行/ソ連のユーリイ・ガガーリンが宇宙へ飛び立ちました。
アメリカとソ連は、冷戦構造を宇宙にまで持ち込んで、互いに競争し合うなかで、61年、ソ連がはじめて有人宇宙飛行に成功し、69年、アメリカは遅れてはならじとばかりに月面着陸を成功させました。
1961年のヒット曲
●「スタンド・バイ・ミー」 ベン・E・キング
「スタンド・バイ・ミー」は、ベン・E・キングの代表曲であるだけでなく、20世紀を代表する名曲の一つとして、今もなお多くの人々に感動を与え続けています。
●「悲しき街角ランナウェイ」 デル・シャノン
デビューシングル「悲しき街角」がビルボード1位を獲得するなど自作の曲で1960年代前半に活躍したシンガーソングライター。
1962年 キューバ危機
・キューバ危機/アメリカとソ連が核戦争の危機に直面しました。
キューバ危機は、1962年10月に、アメリカとソ連が核戦争寸前の状態にまで陥った、冷戦期における最も緊迫した出来事です。ソ連が核ミサイル基地をキューバに建設している証拠を発見したアメリカはそれを撤去することを強く要求した。
・初の国産旅客機YS-11が完成/戦後初の国産旅客機が完成しました。
62年、キューバ危機が勃発し核戦争一歩手前となる。(ソ連がキューバに核ミサイルを送り込もうとして、アメリカとソ連による核戦争危機の状態となる)
1962年のヒット曲
●「ロコ・モーション」 リトル・エヴァ
「ロコ・モーション」(The Loco-Motion)は、リトル・エヴァが1962年に発表し、大ヒットした楽曲です。キャロル・キングとジェリー・ゴフィンという、当時の著名なソングライターチームによって書かれました。
●「悲しき雨音」 ザ・カスケーズ
●「サーフィン・サファリ」 ビーチ・ボーイズ
1962年にリリースされたザ・ビーチ・ボーイズのデビューアルバムのタイトル曲。
62年、ザ・ビートルズが英国でデビュー(ラヴ・ミー・ドゥ)、63年アメリカでデビュー(抱きしめたい)、ビルボードランキング1位となる。64年アメリカ公演、世界中にビートルズ旋風が吹き荒れた。
1963年 ケネディ暗殺
・ケネディ大統領暗殺/アメリカのジョン・F・ケネディ大統領が暗殺されました。
ジョン・F・ケネディ大統領の暗殺は、1963年11月22日金曜日、アメリカ合衆国テキサス州ダラスで発生しました。この事件は、20世紀の最も衝撃的な出来事の一つとして、今もなお多くの議論と陰謀説を生んでいます。
・初のテレビ長編アニメ「鉄腕アトム」放送開始/日本で初となる本格的なテレビアニメシリーズが始まりました。
63年、アメリカのケネディ大統領がダラスで暗殺されました。彼の愛人であった女優マリリンモンローもその前年にベッドの中で不審死しています。
1963年のヒット曲
●「プリーズ・プリーズ・ミー」 ザ・ビートルズ
「プリーズ・プリーズ・ミー」は、ビートルズの音楽キャリアにおいて非常に重要な転換点となった曲であり、彼らが世界的な現象となるための扉を開いた一曲と言えるでしょう。
●「風に吹かれて(Blowin’ in the Wind)」ボブ・ディラン
1963年に発表された彼の代表曲の一つで、公民権運動や反戦運動の代表曲として広く知られています。シンプルなメロディーと力強いメッセージが特徴で、多くのアーティストにカバーされ、歌い継がれています。
●「パフ」 ピーター・ポール&マリー
●「Be My Baby」ロネッツ
プロデューサーのフィル・スペクターが創作した「ウォール・オブ・サウンド(音の壁)」と呼ばれる重厚なサウンドが特徴です。またガールズグループという地位を確立しました。
1964年 東京オリンピック
・東京オリンピック開催/アジアで初めてとなるオリンピックが東京で開催され、日本中が熱狂しました。
・東海道新幹線開業/世界初の高速鉄道が開業し、日本の交通網が大きく変化しました。
・みゆき族/銀座のみゆき通りに集まる若者たちのファッションが注目されました。
「みゆき族」とは、1960年代半ば、特に1964年頃の夏に東京・銀座の「みゆき通り」に集まっていた若者たちを指す言葉です。彼らは、特定のファッションスタイル(アイビールック)を共有し、当時の若者文化の象徴として注目されました。
「アイビールック」とは、1950年代から1960年代にかけて、アメリカ東部の名門私立大学(アイビーリーグ校、例えばハーバード、エール、プリンストンなど)の学生たちの間で流行したファッションスタイルを指します。
高度経済成長期にあった日本では、64年に東京オリンピックが開催されました。新幹線や首都高も開通し、現在の日本の基盤が整備されました。
1964年のヒット曲
●「ア・ハード・デイズ・ナイト」」 ザ・ビートルズ
ビートルズの3作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバムである。また初主演作となる映画『ハード・デイズ・ナイト』のサウンドトラックでもある。
●「マイ・ガール」 テンプテーションズ
1965年 ベトナム戦争激化
・日韓基本条約調印/日本と韓国の国交が正常化しました。
・ベトナム戦争本格化/アメリカ軍が本格的にベトナム戦争に介入しました。
ベトナム戦争が「本格化」したのは、1964年のトンキン湾事件を契機としたアメリカの本格的な軍事介入からです。特に、1965年の北爆開始とアメリカ海兵隊のダナン上陸によって、戦争は一気に泥沼化していきました。
1965年のヒット曲
●「サティスファクション」 ローリング・ストーンズ
ザ・ローリング・ストーンズの代表曲の一つで、社会やメディア、そして人間関係における不満や満たされない感情を表現しています。この曲は、当時の若者たちの不満や反抗心を代弁するアンセム(代表曲)となり、世界中で大ヒットしました。
●「ストップ・イン・ザ・ネイム・オブ・ラヴ (Stop! In the Name of Love) 」 ザ・シュープリームス
1966年 文化大革命
・文化大革命/中国で毛沢東の主導による政治運動が激化しました。
・ミニスカート流行/若者の間でミニスカートが流行し、ファッションに大きな変化をもたらしました。
1960年代は、戦後の復興を遂げた国々で若者文化が花開き始めた時代です。特にイギリスのロンドンは「スウィンギング・ロンドン」と呼ばれ、音楽、ファッション、アートが世界をリードしました。ミニスカートは、この活気に満ちた若者たちの自由で反抗的な精神を象徴するアイテムとなりました。
・ザ・ビートルズ日本公演/ビートルズが1966年(昭和41年)6月30日(木)から7月2日(土)にかけて東京・日本武道館において行なった公演(1回11曲35分・計5回)。
中国では、66年毛主席が主導する文化大革命がはじまりました。権力闘争に端を発したこの革命は、後に大きな失敗となって中国人民を苦しめましたが、いまだ、この革命の詳細は公にはされていません。
66年、ビートルズが来日して武道館でコンサートを行いました。これを機に日本でもバンドという形態の音楽が一大ブームとなっていきました。
ビートルズは、大衆音楽の世界に革命を起こしました。かれらは音楽を自作し演奏するスタイルを創造し、それがビートルズを時代の寵児として、その後の音楽世界に多大な影響を与えました。
1966年のヒット曲
●「グッド・ヴァイブレーション」 ビーチ・ボーイズ
ザ・ビーチ・ボーイズが1966年に発表したシングル。バンドにとって最大のヒット曲の一つである。
●「ペーパーバック・ライター」 ザ・ビートルズ
●「夢のカリフォルニア」 ママス&パパス
ママス&パパスの「夢のカリフォルニア」は、ニューヨークの厳しい冬の寒さから逃れて、暖かく心地よいカリフォルニアを夢見る心情が歌われています。この曲は、当時のカウンターカルチャーの象徴的な曲となり、カリフォルニアへの憧れを歌った名曲として知られています。
カウンターカルチャーとは、一般的に主流文化や支配的な社会規範に対して、対抗的・批判的な視点から生まれた文化や運動を指します。
1967年 ヒッピーとフラワームーブメント
・佐藤首相、非核三原則を表明/日本が核兵器を持たない、作らない、持ち込ませないという原則を表明しました。
60年代は、なんといってもベトナム戦争が思い出されます。当事者のアメリカの国民は言うまでもなく、その他の国々でも反戦ムードが徐々に高まり、それは大きなうねりとなって60年代後半を迎えます。
この頃から、ヒッピー文化を発祥とするサイケデリックアートが流行し、流動的な抽象柄や、原色、蛍光カラーをプリントに用いたサイケデリック・ファッションが大流行しました。
ヒッピーは、1960年代後半にアメリカ合衆国に登場した、旧来の価値観に対抗するカウンターカルチャーの一翼を担った若者たちを指しています。
アメリカ西海岸を中心に広がったベトナム戦争への反戦活動であり、「武器でなく、花を」というスローガンを掲げていました。
ヒッピーたちが、愛と平和と自然を大事にする主張の象徴として、花を身につけていたことから「フラワームーブメント」と呼ばれました。
LSDなどの精神展開薬によって引き起こされる心理的感覚や幻覚、特に極彩色の渦巻くような視覚体験や感覚を指す言葉です。
ファッションでのサイケデリックとは、原色や蛍光カラーを用いたカラフルな色使いが特徴的で、流動的な抽象柄が多用されました。
1967年のヒット曲
●「愛こそはすべて」 ザ・ビートルズ
「愛こそはすべて」は、1967年の宇宙中継特別番組『OUR WORLD 〜われらの世界〜』のために書き下ろされた楽曲で、6月25日にEMIレコーディング・スタジオから中継を結んでレコーディングを行っています。
●「花のサンフランシスコ」 スコット・マッケンジー
1965年頃より米国では、反戦の象徴として花を用いたり着飾ったりすることが若者たちの間で行われるようになっていた(Flower power と呼ばれた)。
●「紫のけむりパープルヘイズ」ジミー・ヘンドリックス
●「あなただけを」ジェファーソン・エアープレイン
「あなただけを」は、ジェファーソン・エアプレインの音楽的な深さと、サイケデリック・ムーブメントの持つ繊細な側面を象徴する、時を超えて愛される名曲となっています。
1968年 5月革命
・五月革命 (フランス)/フランスで学生や労働者による大規模な抗議運動が起こりました。
五月革命とは、1968年5月から6月にかけてフランスで発生した学生運動を発端とする社会運動のことです。伝統的な文化、社会、政治に対する異議申し立てとして、学生運動は労働者階級も巻き込み、大規模な社会変革闘争へと発展しました。
・キング牧師暗殺/アメリカの公民権運動の指導者、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが暗殺されました。
・プラハの春/チェコスロバキアで自由化の動きが起こりましたが、ソ連軍の介入により鎮圧されました。
・メキシコシティオリンピック開催/メキシコで初のオリンピックが開催されました。
1968年のヒット曲
●「ヘイ・ジュード」 ザ・ビートルズ
●「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」 ローリング・ストーンズ
「サティスファクション」と並び、グループの代表曲の一つとされる。ストレートかつハードなロック・ナンバーで、イギリスでは「黒くぬれ!」(1966年)以来の1位、アメリカでも3位に付ける大ヒットとなった。
●「デイドリーム・ビリーバー」 ザ・モンキーズ
●「ふたりのシーズン」ゾンビーズ
1969年 ウッドストック
・アポロ11号月面着陸/人類が初めて月面に降り立ちました。
・東名高速道路全線開通/日本の大動脈となる高速道路が完成しました。
・全共闘運動・大学紛争/日本の各地の大学で学生運動が激化しました。
・テレビアニメ「サザエさん」放送開始/長寿アニメ番組の放送が開始されました。
60年代は、ベトナム戦争への反戦ムーブメントとロックミュージックが結びつき、対抗文化(カウンターカルチャー)として大きなムーブメントとなりました。そして、69年、大規模な野外音楽フェス「ウッドストック」が開かれました。
「ウッドストック」は、60年代のカウンターカルチャーの総決算というべきエポックメイキングな出来事として、現在でも語り継がれています。
ウッドストックが開催された69年には、ロックと映画が結びついた革新的な映画が誕生しています。ハーレーの大型バイク(チョッパー)にまたがり、アメリカ大陸を横断する「イージーライダー」というロードムービーです。
1969年のヒット曲
●「Try (Just A Little Bit Harder)」ジャニス・ジョプリン
●「ホンキー・トンク・ウィメン」 ローリング・ストーンズ
●「カム・トゥゲザー」 ザ・ビートルズ
●「ワイルドでいこう」ステッペンウルフ
69年公開の映画「イージーライダー」のオープニングに流れた曲として有名となる。
エンディング
さて、60年代の時代と流行について、音楽と共にお送りしてきましたが、この辺りでエンディングといたします。それでは、最後の音楽をお聴きください。
シーユーアゲイン、アイルビーバック!
●「 Don’t Let Me Down」 ザ・ビートルズ
ビートルズは、1962年10月5日のレコードデビューから、1970年4月10日に解散するまで、わずか約8年で偉大な功績を音楽世界に残した。これは、まさに奇跡的なできごと、と言っても過言ではないだろう。
追記:ヒット曲およびエポックメイキングなできごとの選択は、あくまで極私的な判断にて行っています。あしからず。
@補足情報
※ページ冒頭/「急がば廻れ(ウォーク・ドント・ラン)」ベンチャーズ
ザ・ベンチャーズ
アメリカ出身のインストゥルメンタル・ロック・バンドである。1960年代を通して、数多くのヒット曲(特に日本では大ヒット)を発表している。日本ではエレキブームの火付け役となり、60年代の初期バンドブームを牽引した。




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