感性の時代はじまる バブルとともに
不思議大好き
劇的な進化と多様化の時代
1980年代は、日本が戦後復興し、その頂点を迎えた時代でした。日本独自の文化や価値観が生まれ、花開いた時代でした。そして、80年代中期からバブルがはじまり、日本が最も豊かな時代となりました。
1981年、西武百貨店は「不思議大好き」を、翌年には「おいしい生活」という広告キャンペーンをはじめました。これは、80年代を「感性の時代」とする象徴的な出来事でした。70年代の大衆の時代から、80年代は「感性=個性の時代」に変化したことを意味しています。
ファッションでは、「デザイナーズブランド」が一躍注目されて時代をリードしていきます。デザインでは、スーパーグラフィックやポストモダンという概念が注目されて既成概念を覆す斬新なデザインが生まれてきました。
広告表現では、夢と希望と不思議に満ちた「イメージ広告」が中心となり、デザイナーやコピーライターが一躍スターとなっていきました。特にコピーライターが俄然注目されて活躍の場を広げていきました。
アートの世界では、「ニューペインティング」という新しい潮流が一大ムーブメントとなり世界中を席巻しました。サブカルチャーも盛んになり、漫画やアニメの愛好者を呼称する「おたく」という用語が生まれました。
大衆音楽の世界では、テクノポップ、ニューウエーブ、和製ロック、アイドル、ガールズロック、和製パンク、パフォーマンス系、ビジュアル系などなど、多様な形式の音楽が登場しました。
日本の1980年代は、経済の好景気(バブル経済)を背景に、音楽シーンが劇的な進化と多様化を遂げました。「J-POP」という言葉が生まれる前夜、どのような動向があったのか、その潮流について以下に解説していきます。
1990年代以降に日本で主流となった、洋楽的な要素を取り入れた日本のポピュラー音楽全般を指す言葉で、「Japanese Pop Music」の略称です。1988年にJ-WAVEが新しい邦楽を表現するために作った言葉ですが、現在では多様なジャンルを含む日本の大衆音楽の総称となっています。
シティ・ポップの隆盛
都会的な洗練されたサウンド
70年代後半の「ニューミュージック」の流れを汲みつつ、より都会的で洗練されたサウンドが確立されました。
特徴として、豊かな財政状況を背景に、贅沢なスタジオミュージシャンや最新機材が導入された。おしゃれなリゾート、夜の都会、ドライブなどをテーマにした楽曲が目立ちました。
代表的アーティストは、山下達郎、竹内まりや、大滝詠一、杉山清貴&オメガトライブ、松原みき、松任谷由実などがいます。これらの楽曲は現在、世界的に「City Pop」として再評価されています。
1980 山下達郎 RIDE ON TIME
彼の出世作。突き抜けるような青空と夏を感じさせるサウンド。
1981 大瀧詠一 君は天然色
アルバム『A LONG VACATION』収録。重厚な「ウォール・オブ・サウンド」。
1981 寺尾聰 ルビーの指環
渋みのあるAOR。当時の日本歌謡界を席巻した大ヒット曲。
1982 山下達郎 SPARKLE
伝説のカッティングギターから始まる、リゾート感溢れる名曲。
1983 杏里 悲しみがとまらない
角松敏生プロデュース。80年代のダンスポップの完成形。
1984 竹内まりや プラスティック・ラブ
シティポップを象徴する世界的なアンセム。
1986 杉山清貴&オメガトライブ 君のハートはマリンブルー
「海・夏・サングラス」のイメージを決定づけた爽やかなサウンド。
アイドルの黄金時代
松田聖子と中森明菜
80年代は「アイドル」という存在が社会現象となった時代です。
松田聖子と中森明菜という2大アイドルが時代を席巻しました。「明るく可愛い」正統派の松田聖子と、「クールでアーティスティック」な中森明菜が、当時のアイドル人気を二分しました。
同時代に活躍したアイドルに、小泉今日子、早見優、石川秀美などがいます。
80年代後半には「おニャン子クラブ」が登場し、「身近な素人っぽさ」という新しいアイドル像が生まれました。
YMOとテクノポップ
新しい時代の幕開けを飾る
80年代は、楽器の進化(シンセサイザーやリズムマシンの普及)が著しく、音楽の形を大きく変えました。
YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)
細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一によるYMOが世界的にヒット。無機質な電子音にオリエンタルなメロディを乗せる手法は、当時の若者に衝撃を与えました。
シンセサイザーやコンピュータを駆使した革新的なサウンドで、1980年代の音楽シーンに革命を起こし、日本のみならず世界中の音楽家たちに多大な影響を与え続けています。
YMOの音楽は、単なる「流行」を超えて、現代音楽の基盤を形作りました。
シンセサイザーとシーケンサーによる自動演奏を大胆に取り入れ、「テクノポップ」というジャンルを世界的に認知させました。「サンプリング(音を録音して使う手法)」やマイクロコンピュータを駆使し、未来的なサウンドを構築しました。
1979年から1980年にかけて2度のワールドツアーを成功させ、米国のビルボード誌にランクインするなど、日本人が世界で勝負できることを証明しました。
ヒップホップの誕生(アフリカ・バンバータらへの影響)や、デトロイト・テクノ、さらに現代のビデオゲームミュージックに至るまで、そのDNAは脈々と受け継がれています。
ピテカンとクラブシーン
クラブの先駆けピテカン
1982年、東京・原宿にクラブ「ピテカントロプス・エレクトス」がオープンした。いまでは伝説となったこのクラブは、「ディスコ」とは一線を画し、音楽・アート・ファッションが融合した文化の発信地でした。
桑原茂一と中西俊夫を中心に立ち上げられた、この「通称ピテカン」では多くのニューウエーブ系アーティストがライブを行なっている。
中西俊夫を中心とした「メロン」「ウォーターメロン」、渋谷系を先駆けた「サロンミュージック」、こだま和文、屋敷豪太の「ミュートビート」、横山忠正を中心とした「スポイル」などである。
ロックバンドブームの到来
和製ロックが大衆化する
80年代、それまで「不良のもの」というイメージもあったロックが、爆発的に大衆化しました。とくに氷室京介と布袋寅泰を擁する「BOØWY」は、ビジュアルと音楽性を両立させ、日本のロックの形を決定づけました。
70年代パンクとメッセージ性を併せ持つ「THE BLUE HEARTS」は、ストレートな歌詞と激しいパフォーマンスが若者の心を掴みました。
ガールズロックの先駆けともいえる「レベッカ(REBECCA)」や「プリンセス プリンセス」がミリオンセラーを記録し、女性主導のバンドシーンも確立されました。
いか天発バンドブーム
深夜番組『三宅裕司のいかすバンド天国』(通称:イカ天、1989年〜90年放送)から輩出された、既存の型にはまらないバンド群です。
FLYING KIDS/ファンクを歌謡ポップスに融合。
BEGIN/沖縄出身。ブルースやフォークの素朴な響き。
たま/楽器構成も世界観も唯一無二の「ナゴム系」的な異色さ。
BLANKEY JET CITY/圧倒的な演奏力と硬派なロカビリー・パンク。
特徴:ジャンルがバラバラで、音楽性の多様化を一気に加速させました。
おまけ|アナログからデジタルへ
音楽の「聴き方」そのものが変わったのもこの時代です。
1982年にCDが登場。レコードからデジタルメディアへの転換が始まりました。
また、ウォークマンの普及により、外に音楽を持ち出せるようになり、「自分だけの世界で音楽を楽しむ」スタイルが定着しました。
まとめ:
80年代の音楽シーンは、ジャンルが細分化されつつも、それぞれが高いクオリティで共存していた稀有な時代でした。
※演歌、歌謡曲、アイドル歌謡を除いた、シンガーソングライターやバンドによるポップス主体のランキング
1. クリスマス・イヴ 山下達郎 1983年 180.6万枚
2. ルビーの指環 寺尾聰 1981年 134.1万枚
3. 待つわ あみん 1982年 120.3万枚
4. Diamonds プリンセス プリンセス 1989年 109.7万枚
5. もしも明日が…。わらべ 1983年 97.0万枚
6. ワインレッドの心 安全地帯 1983年 71.4万枚
7. 悲しみにさよなら 安全地帯 1985年 44.3万枚
8. Get WildTM NETWORK 1987年 約28万枚
9. 君は天然色 大滝詠一 1981年※(後述)
10. 真夜中のドア〜Stay With Me 松原みき 1979年 約10万枚
1980年代 アルバム売上ランキング(日本)
1. Reflections 寺尾聰 1981年 164.6万枚
2. DELIGHT SLIGHT LIGHT KISS 松任谷由実 1988年 157.5万枚
3. LOVE WARS 松任谷由実 1989年 148.2万枚
4. 起承転結 松山千春 1979年(80年ヒット)116.9万枚
5. REQUEST 竹内まりや 1987年 109.9万枚
6. 僕の中の少年 山下達郎 1988年 108.6万枚
7. A LONG VACATION 大滝詠一 1981年 104.2万枚
8. Before the Diamond Dust Fades… 松任谷由実 1987年 102.3万枚
9. ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー YMO 1979年(80年ヒット)102.1万枚
10. スリラー マイケル・ジャクソン 1982年 100.8万枚
参考文献:80年代地下文化論(河出書房新社)



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