人間とそのシステムは、失敗の本質を繰り返す
戦後72年目の日本の夏は、とんでもなく暑い日が続いている。都心では8月9日、ついに37.1度を記録した。まるで中東か、インドかと思うような酷暑だ。
どうやら温暖化は止むことなく進んでいる。それが人間の営みのせいか、自然のなりゆきなのかは、はっきりとは判らないが……。
ある学説では、2050年頃にインドやパキスタンでは50度を超えて、人間が住める環境ではなくなる、といわれている。それが本当であれば、インド、パキスタンの十数億の人々はどこに住むのか、とても想像がおよばない混乱が予想される。
温暖化は、「人間のせいではない」という学説もある。しかし、ヨーロッパ=EUや、中国の環境汚染具合を垣間みると、その説は嘘くさいとしか思えない。人間とそのシステムの業によるものと考えた方が理に適っている。
なにしろ、ヨーロッパ=EUではクリーンディーゼルという紛い物を正当化し、環境にいいと後押しした結果、パリでは北京ばりの環境汚染が広がってしまった。その後、フォルクスワーゲンの環境不正が発覚し世界的な問題となっている。
クリーンディーゼルは、いまではクリーンとは名ばかりであり、嘘で固められた偽りの名称だったことが明らかとなっている。そしてヨーロッパ=EUでは、こんどはEV(電気自動車)にシフトすると明言している。
ごく近い未来のEUでは、ガソリン車もディーゼル車も市場から駆逐し、EV車のみが販売を許される、ということになるらしい。
しかし、EV=電気自動車は、電気を充電しなくてはならない。その電気はどこで作られるかといえば、火力、水力、風力、太陽光、そして原子力のいずれかの発電所で作られている。いずれの電力も一長一短であるのは言うまでもない。
環境にやさしいといわれる風力、太陽光であるが、いずれも膨大な敷地が必要となり、新たな環境破壊が懸念される。
火力は言うまでもなく、化石燃料が元で環境汚染の元凶となり、原子力は事故が起きれば、とんでもない災害をもたらすのはフクシマで実証済みだ。
いずれにしても、自動車のEV化が進めば、電力の供給が増大化するのは目に見えている。(EVが高性能化すれば省電力走行も可能と思われるが)
はたして、ヨーロッパ=EUは、クリーンディーゼルの失敗を乗り越えられるか。それとも単に、環境汚染の元凶を自動車から、電力発電にすり替えるだけなのか、その本質がこれから問われるに違いない。
ヨーロッパ=EUでは、環境対策として自動車のクリーンディーゼルが優遇された。それは市場で欧州車が優位に立つ方策でもあった。さらにいえば、ドイツ車のための優遇策であった、という説がある。(その結果=ドイツ車は概ね不正をしていた、といわれている)
アメリカと北朝鮮、「失敗の本質」を繰り返すのはどっちだ
日本は、戦後72年目の夏を迎えている。そして毎年恒例の戦争の悲惨さが語られている。戦争が悲惨であるのは、いわずもがなであるが、いまだに世界では戦争(テロを含む)が止むことはなく続いている。
北朝鮮は、ICBMをアメリカ本土まで到達可能にしたと喧伝している。一方、アメリカは、「いつでも北朝鮮を攻撃する準備が整った」と言っている。
あとは、どちらが戦端をきるかに懸かっているように、端から見ると思われる。しかしアメリカは、イラク戦争のときと違ってまだ世論が沸き立っていない。イラクのときは「9.11」という未曾有の出来事が後押しをしていた。
アメリカは、太平洋戦争のはじまりで日本に戦端をきらせたのとおなじく、北朝鮮を挑発し続けて、その機会を伺っているようだ。二度あることは三度あるとなるかは、北朝鮮の判断にあるのは言うまでもない。
北朝鮮は、太平洋戦争の結果として誕生している。したがって、北朝鮮は日本の「失敗の本質」を垣間見て理解している、と思われる。また、韓国をいわば人質に取っている以上、アメリカは攻撃してこないと高を括っている節もある。
とすれば、アメリカの思惑はうまくいかず、ずるずると現状を容認するか、あとは兵糧ぜめで追い詰めるしか残されていない。
なぜならばアメリカは、太平洋戦争しかり、イラク戦争でも単独では戦争をしていない。諸国連合という錦の御旗の下で戦う大義名分が必要であるからだ。
アメリカVS北朝鮮の動向は、この先まったく見通しが立っていない。いずれにしても、どちらが「失敗の本質」を繰り返すか、そこに懸かっている。
なお、この問題は日本も蚊帳の外ではいられないのは言うまでもない。
「いかなる軍事上の作戦においても、そこには明確な戦略ないし作戦目的が存在しなければならない。目的のあいまいな作戦は、必ず失敗する(中略)。本来、明確な統一的目的なくして作戦はないはずである。ところが、日本軍では、こうしたありうべからざることがしばしば起こった」(「失敗の本質」文庫版より)
日本は失敗の本質を繰り返しているか
大日本帝國と軍部独裁
いまから72年前、日本は軍部の独善的支配のなかで戦争を行い、戦略なき不可解な作戦を繰り返したあげく、当然のように敗北した。
当時の日本では、軍部が実質的な独裁であり、政府は存在してもなんら機能していなかった。また、「軍人であらずんば人にあらず」と言っても過言ではなかった。かつての平家とおなじく、その驕りは頂点にあったといえる。
したがって、いずれ滅ぶのも自明の理だった。
エリート=軍人であり、軍人で組織された軍部こそ国家の要そのものとされた。
日本の軍部では、上位の高官になるほど責任の所在を問われなかった。負け戦さの責任は、下位クラスの将官や下士官、そして兵隊のせいにされた。
上位の高官は、おなじクラスの高官から情をもって遇された。なぜなら、おなじエリート=軍人だからであった。同じ軍人という仲間意識がそうしたのか、同調圧力がいつのまにか定着したのか、それは知る由もないが。
軍部の高官どうしが情で作戦を決めて実行し、最悪の事態を招いたのが「インパール作戦」であった。インパール攻略を強引に押し進めた牟田口という司令官は、作戦が失敗し何万という兵隊が死んでも自らの失敗は認めなかった。
日本の敗戦後、アメリカの軍関係者は「日本軍は下士官と兵隊は強かったが、指揮官に優秀なものがいなかった」と言ったとか。
バカのひとつ覚えの白兵攻撃など、何度繰り返しても重火器に優れた米軍の前ではなんの効果もなかった。それでも繰り返すしか能のない指揮官など、百害あって一利なしだったのは言うまでもない。
末端の兵士たちの憤懣を想うとなんとも居た堪れなくなってくる。
そして日本の軍部は戦況が悪化してくると、精神論を振りかざして兵隊や国民を洗脳していった。日本は神の国であり、ヤマト魂や神風があれば負けることはないとばかりに、なんら根拠のないことばかりを押しつけていった。
そのようなぐうにもつかない不合理なことばかり主張する軍部は、こともあろうに作戦でもおなじことを実行していく。それが、ミッドウェー、ガダルカナル、インパール、レイテ、沖縄という各戦場で悲惨な結果を招いたのは、いまさら言うまでもない。
休みもなく稼動する軍艦は故障しがちとなり、おなじく疲弊した兵隊は戦闘能力も乏しくなり、ただひたすらに爆弾や銃弾に倒されていった。
もはや敗戦しかないとなっても、一部の軍人はそれを認めなかった。その多くは内地の参謀本部などに勤務するエリートであり、いわば井の中の蛙となっていた。そして狂っていたと言っていいだろう。
日本が無条件降伏を受けいれるまでの一日を描いた「日本の一番長い日」に、その辺りの背景がよく描かれている。
当時の軍人が超エリートだったのは、なんとなく理解できるが、それにしても軍人とはなんだったのか、エリートとはなんだったのか、と思わざるをえない。
1945年8月15日、日本は無条件降伏を宣言し大東亜戦争は終わった。そして日本は重い重い「失敗の本質」を背負って、新たな出発をすることになった。
1944年(昭和19年)3月に日本陸軍により開始され7月初旬まで継続された、援蒋ルートの遮断を戦略目的としてインド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦のことである。
補給線を軽視した作戦により、多くの犠牲を出して歴史的敗北を喫し、無謀な作戦の代名詞として現代でもしばしば引用される。
組織は病んだから失敗するのか、失敗したから病んだのか
2017年、日本の大企業の中でも安泰と思われていた「東芝」が存亡の危機に立たされている。東芝はメモリー事業や、医療関連事業でも有力な製品を有していたが、なんと原子力事業でババを掴んでしまった。
東芝は原子力事業を強化するために2006年にウエスチングハウス(WH)を買収した。三菱重工業や米ゼネラル・エレクトリック(GE)など日米4社の争奪戦の末にWHを約54億ドルで手に入れたのだ。
その後の追加出資分も含めると約6000億円以上に達している。当時から買収金額が高すぎる(せいぜい2000億)といわれていたが、東芝の経営陣は、原子力事業の規模を「東芝単独の年2000億円から2015年には3倍以上に増やせる」と豪語していた。
しかし、2011年の東日本大震災後には、一気に原子力事業は冷え込んでいく。さらにWHには多額の潜在的なリスクがあることが明らかとなった。
WHには最新の原子力発電を造る能力がないことが判ってきていた。元東芝社長の田中久雄は、法廷で次のように語っている。
「34年も原発建設から遠ざかっていたWHの腕は錆び付いていて、シミュレーションすらまともにできなかった」
それでもなお、東芝の経営陣はWHと原子力事業には未来があるとしていた。そして、さらに深みに嵌っていった。もはや、隠すには多額すぎるいつ破裂するか判らない爆弾(不正会計)を抱えたまま、次の経営陣にバトンは渡されていった。そして、それは繰り返された。
いつまでも大本営発表がまかり通る訳もなく、内部告発をきっかけについにWHという爆弾は破裂した。と同時に東芝の命運も自ずと決まった。
現在東芝は、有力な事業はすべて売却して、本体(原子力事業、他)を残す算段をしている。しかし、いかに負債を整理して本体を残しても将来性ある事業が残っていない。さらには、LPGの契約でさらなる苦境も待ったなしといわれる。
ここまで来ると、もはや解体し、原子力事業を整理し残った事業(ほとんどないが)を独立させた方が未来に活かせると思うが……いかに。
東芝のWH買収に深く関与していたと思われる元社長(会長、相談役として君臨した)は、文春のインタビューで次のように語っている。「買収は当時の適切な判断で、問題はマネジメントの能力の欠如だったーー」
なんだか、インパール作戦を立案し実行した指揮官も似たようなことを言っていたような気がするが、記憶違いだろうか。
「マネジメントの能力の欠如だった」とは、自分たち経営陣のことではなく、WHの現場管理者を指していると思われる。要するに自分たちは悪くないが、現場の管理者が悪かったということだろう。
ちなみに、この元社長はその後、日本郵政の社長になっている。いやはやというしかない。そのうえ、日本郵政でも海外の企業買収で巨額の損失を出している。
なーんてことだ、というしかない!
ちなみに、東芝はコーポレートガバナンスを積極的に推進するエクセレントカンパニーとごく最近までいわれていた。
1998年=執行役員制度の導入
1999年=カンパニー制の導入
2000年=任意の指名委員会、報酬委員会の設置
2001年=社外取締役を3人、取締役任期を1年に短縮
2003年=委員会等設置会社制度を採用
しかし、それらはなんら機能せず、経営陣主導の不正会計は粛々と進められていた。日本企業のコーポレートガバナンスが問われるのは言うまでもない。
内部告発があったのは、2014年12月といわれる。それからわずか2年半あまりで日本を代表する大企業が消滅の瀬戸際に追い込まれている。
おまけ/願望は戦略ではない
『失敗の本質』のノモンハン事件の総括を読むと、東芝の姿が二重写しに見えてくる。
「情報機関の欠陥と過度の精神主義により、敵を知らず、己を知らず、大敵を侮っていた。また統帥上も中央と現地の意思疎通が円滑を欠き、意見が対立すると、つねに積極策を主張する幕僚が向こう意気荒く慎重論を押し切り、上司もこれを許したことが失敗の原因であった」(「失敗の本質」より)
当時の満州国の西北部で起きたモンゴルとの国境線をめぐる紛争。衝突を拡大しない方針をとっていた東京の参謀本部に対し、満州を管轄していた関東軍が独断でモンゴルの後ろ盾だったソ連軍と激突し、大敗北を喫した。
なぜ組織は失敗を繰り返すかーー
1)あいまいな目的、さらに失敗を方向転換できず破綻する組織
戦略目的があいまいなままに戦闘が開始されて、作戦が失敗していても戦力をさらにつぎ込んで被害を拡大させた。「組織内の空気」で作戦が決定されていた。2)上から下へと「一方通行」の権威主義
現場最前線の士気と能力が高くても、戦略や作戦を決める上層部が愚かな判断(現場からの情報を活かさず)を続ければ否が応もなく失敗を繰り返す。3)リスク管理ができず、人災として被害を拡大させる
問題を改善することなく、放置して失敗を繰り返す。追い詰められると、問題の根本を見直さず、精神主義にすり替えてさらに被害を拡大させた。4)現実を直視せず、正しい情報が組織全体に伝達されず悲劇を拡大する
上層部の願望とは違う情報は、意図的に隠されて組織に共有されなかった。そのせいで問題への対処は遅れて、さらに被害を拡大させた。5)問題の枠組みを新しい視点から理解できない
思い込みと願望に固執し、変化を理解せず対処しようとしない。白兵攻撃は言うに及ばず、戦艦大和でさえ時代遅れであり、勝利の要因ではなくなっていた。
冒頭画像:元大本営陸軍部・陸軍省・参謀本部などが置かれていた建物
引用:http://www.mod.go.jp/j/publication/events/ichigaya/tour/img/001.jpg
参考文献:「東芝崩壊」松崎隆司(宝島社)
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