アニメや漫画は、現代の浮世絵なのか
なぜ北斎と浮世絵は、時代を超越できたか
2017年夏、英国ロンドンの大英博物館で開催された「北斎ー大波の彼方へー」という展覧会は、大盛況だったそうだ。
訪れた人々は、老若男女、国籍や人種も様々であり、その人気のほどが伺えたようだ。北斎も、まさか自分の作品が時代を遥かに超えて、しかも遠い異国でこれほど人気になるとは予想もしていなかったに違いない。
北斎に限らず、浮世絵は世界的に人気が高い。それはITが世界を席巻してもなお続いている。たぶん、それはこれからも変わることはないに違いない。
日本の伝統芸術も世界的に認知はされているが、浮世絵の人気や浸透具合には敵わない。それは京都や奈良などの神社仏閣の建築や庭園の美とおなじく、いやそれ以上に海外では芸術作品として認知されている。
ところが、日本ではいまだに伝統芸術(日本画など)に対して、浮世絵は低い評価となっているようだ。それはなぜかといえば、浮世絵が当時(江戸時代後半)の市井の人々の娯楽作品だったからだ。
現代でいえば、浮世絵はサブカルチャーといえるだろう。いわば、アニメや漫画、萌え画などとおなじ土壌にある。芸術は高尚でなくてはならない。そんな既成概念が日本ではいまだに根強く残っている。
したがって日本では、いまだに芸術=高尚という問題に浮世絵は晒されている。
知性や品性の程度が高いこと。気高くて、立派なこと。
浮世絵は木版画であり、いまでいう印刷物ということができる。版元がいて、絵師、彫師、摺師というシステムによって制作された。
北斎は言うまでもなく絵師であり、その絵を見事な技能で板に掘り、それを摺りあげた職人たちの腕前も実にあっぱれなものだった。
北斎は、たぶん彫師や摺師に対し、過酷なまでの要求をしたに違いない。出来上がりを想定し表現を管理する、いわばクリエイティブディレクターでもあったに違いない。そして遠近法や海外の材料などを積極的に取り入れている。
あくまで想像であるが、北斎は自らの表現を可能にするために、既存の慣習や常識を超えて、職人になぜできないかと迫ったのではないか。そして最終的な表現様式を決定していったと思うがいかに。
職人は、新しい挑戦もやりがいとなるが、一方では経験に伴った慣習にとらわれるものだ。違うか。北斎と浮世絵が、新しい表現の試みが実現できたのは、あくまで浮世絵師たちの表現にこだわる姿勢があってのものと考える。
例えれば、映画作品などで監督が表現にこだわり、俳優やスタッフに過酷な要求をするとその監督の内輪での評判は最悪となる。しかし、俳優やスタッフのやりやすいようにすれば、監督の表現はどこかに失われてしまう。
黒沢明を見よ、輪を重んじてばかりじゃ表現などできやしない。また、いい作品も生まれない。表現者はときに独裁的であり、その代わりに結果に責任を持つものである。北斎も職人が楽だからといって技法を選んではいないはずだ。
そのような表現者のこだわりが、技術の向上をもたらすに違いない。
さらにいえば、単なる頑固者ではなく、他人の意見も取り入れる感性も必要だ。
相反するかのようだが、例えばジョブズ(純粋アーティストではないが)などは、他人のアイデアを自分のものと消化して取り入れていた。
それはさておき、浮世絵がなぜ世界的に人気が高いのか。なかでも北斎のそれはずば抜けているようだ。日本には伝統芸術とし日本画(大和絵)もあるが、一定の評価はされていても、北斎と浮世絵の人気には遠く及ばない。
北斎「冨嶽三十六景/凱風快晴」
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E9%A3%BE%E5%8C%97%E6%96%8E#/media/File:Hokusai-fuji7.png
<浮世絵師たち>
17世紀から19世紀にかけて、浮世絵師たちは伝統的な大和絵技法の上に漢画や西洋画の技法を貪欲に取り入れて、市井の要望と思しきものを絶えず先どりする形でその画域を広げていきました。
<浮世絵の代表的な絵師たち>
浮世絵全般:菱川師宣・葛飾北斎
美人画:懐月堂安度・西川祐信・宮川長春・奥村政信・鈴木春信・鳥居清長・喜多川歌麿・渓斎英泉
役者絵:鳥居清信・勝川春章・東洲斎写楽・歌川豊国初代・歌川国貞(豊国三代)
武者絵:葛飾北斎・歌川国芳
相撲絵:勝川春章
初期風景画:奥村政信・歌川豊春
洋風風景画:葛飾北斎・歌川広重
花鳥画:葛飾北斎・歌川広重
その他(判じ物・戯画)歌川国芳
<浮世絵のシステム>
版元………問屋・流通、企画・資金調達
浮世絵師…画工、原画制作者
彫師………絵師の原画を版木に彫り主版をつくる
摺師………主版から紙に刷り上げていく
戯作者……戯作本、本文を担当する
日本の伝統芸術が、浮世絵ほど人気が高くないのはなぜか
浮世絵の時代、日本の伝統芸術(主に日本画)は狩野派が実権を握っていた。狩野派の日本画は、徒弟制度と権力中枢との強い関係性に支えられていた。
狩野派などの日本画は、スポンサーである江戸幕府と諸大名、一部富裕層などの特権階級の芸術であった。そしてそれは、一般庶民との違いを意味していた。端的にいえば、高尚(気高くて、立派なこと)を通じて権力を象徴していた。
一方、浮世絵は一般庶民の芸術であった(当時はそういう意識はなかったが)。浮世絵師は、伝統芸術の作家ほどには尊敬されなかったに違いない。しかし、人気はあった。時代の息吹は圧倒的に浮世絵にあったのは言うまでもない。
浮世絵には、時代の生きた様相が見事に表現されていた。そこが伝統芸術との大きな違いといえるだろう。日本にいると権威性に惑わされて、正当な評価ができないが、一旦しがらみのない世界に出ると評価が違ってくる。
浮世絵が、北斎が、世界で認知されて人気を集める要因は、日本の権威やしがらみから解放されたからではないか、と思われるがいかに。
ちなみに、浮世絵の価値を世界に広めたのは、江戸時代に来日した外人さんや輸出された商品の包み紙だったのは、いまさら言うまでもない。
北斎「冨嶽三十六景/駿州江尻」
引用:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ejiri_in_the_Suruga_province.jpg
西洋美術に大きな影響を与えた浮世絵
https://www.kumon-ukiyoe.jp/history.html
日本を代表する美術として、浮世絵は西洋に大きな影響を与えた。1867年にフランス・パリで開催された万国博覧会への出品にはじまり、19世紀末のヨーロッパには浮世絵に代表される日本の伝統芸術の一大ムーブメントが巻き起こった。これがいわゆる「ジャポニズム」である。日本では浮世絵が価値ある美術品であると意識すらされなかった時代であり、20世紀のはじめにかけて特に多くの浮世絵が海を渡っていった。このジャポニズムの流れは19世紀半ばから20世紀初頭まで半世紀以上にわたって続き、西洋絵画や工芸品に大きく影響を及ぼした。
日本が鎖国していた江戸時代、すでに浮世絵は海外に渡っていたという。当時、唯一外交関係にあったオランダを介して、海外に輸出されていた漆器や陶磁器などの“包み紙”に古い浮世絵が使われていたからである。後に、それが評判となって美術品としての浮世絵版画を買い求める交易者も出た。
若き日の印象派巨匠たちが注目
ある日、日本から届いた荷物の梱包材に使われていた葛飾北斎の作品を友人宅で見かけたヨーロッパの芸術家が、自らの貴重品を手放してまで同じ作品を手に入れ、画家のモネ、マネ、ドガなどに見せて回ったという。
大英博物館・国際共同プロジェクト「北斎-富士を超えて-」
2017年10月6日(金)~11月19日(日)あべのハルカス美術館にて開催
大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1-43 あべのハルカス16F
冒頭画像:北斎「冨嶽三十六景/神奈川沖浪裏」
引用:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:The_Great_Wave_off_Kanagawa.jpg
アニメや漫画は、時代を超越できるか
次代の北斎は、サブカルチャーから
アニメや漫画などは、浮世絵とおなじく一般庶民のものである。高尚とか、権威とは関係がないのは言うまでもない。また、芸術作品として表現されたものでもない。あくまで娯楽および、それに類するものとして制作されたものだ。
かつてアニメや漫画は子供を対象とした娯楽作品であった。しかし、80年代になるとおたく(後のオタク)が登場し、アニメや漫画がサブカルチャーの第一線へと躍り出た。90年代になるとアート作品にも影響を与えるようになった。
宮崎駿のアニメが、映画作品として大ヒットとしてからは、アニメを子供のものと考える大人も少なくなった。その後もアニメはヒット作を数多く送り出して、現在に至っている。最近では、「君の名は。」の大ヒットが記憶に新しい。
漫画は言うまでもなく、いまや出版社の屋台骨を支える大きな柱となっている。一時期の勢いは失われたが、それでもなお出版不況のなかで唯一の稼ぎがしらであるのは変わらない。なぜなら、高尚な小説などの文学が売れないからだ。
漫画は、昨今ではメディアの幅を広げて、多くのドラマや映画の原作となっている。日本のドラマや映画がオリジナル性を失って久しいが、もはや漫画の生み出すオリジナル性ある創造力に太刀打ちできなくなっている。
アニメや漫画は、いまや一般庶民にとって欠かすことのできない娯楽となった。そして、サブカルチャーの一大潮流となって、その市場規模も大きくなった。しかし、あくまでサブカルチャーであり、高尚とも権威とも関係はない。
メインカルチャーの既成概念、高尚、権威に対抗する位置付けこそ、サブカルチャーならではの意味がある、そこはアニメや漫画はいまでも変わっていない。
そのような意味では、アニメや漫画は、江戸時代の浮世絵とおなじといえる。そして、時代の息吹を、同時代性を生き生きと表現している。一方では、絶え間ない技術革新をして新しい可能性を切り開いている。
また、制作システムにも共通したものがある。浮世絵は上記したように、版元、絵師、彫師、摺師という分業システムにあった。それとおなじく、アニメは多くのスタッフが制作に関わってできあがる。漫画もまたおなじくである。
漫画は、一人ですべて描く場合もあるが、原作、原画と別れている場合もある。また、漫画家は多くのアシスタントを抱えている。
<アニメ制作システムの概要>
制作会社…アニメ制作の中心、製作を兼ねる場合もある
脚本家…原作、またはオリジナルの全体構成をつくる
演出家…脚本に基づき表現内容、方法を創出していく
原画……主要人物など基本となる絵を描く
動画……原画に基づき動く絵を描く(アニメーター)
彩色……動画に色をつける
背景……動画の背景となる絵を描く
撮影……完成した動画を撮影していく
他に、現在では製作委員会方式が定着して、多くのスポンサーが連なっている。
ちなみに、製作委員会方式は評判が悪く、アニメ製作の諸悪の根源といわれている。アニメの制作現場は悪化する一方であり、その隆盛とは裏腹な状況にあるといわれている。一部のアニメ制作者は、日本ではもうもたないと語っている。
それはさておき、アニメには多くの人が関わっている。基本的にそのシステムは浮世絵と似たようなものであり、端的にいえば分業システムである。
芸術=アートは、通常一人の作家が構想から仕上げまでするとされているが、しかしそれは大きな勘違いである、現代アート作品の多くは、ファクトリーなどの工房システム、あるいは工場などで制作されている。
また、過去に遡ってもルネッサンス期の作家などの多くは、工房に所属していた。江戸時代の狩野派なども多くの弟子を抱えたシステムにあった。
そういう意味では、分業だからといってその価値が低い訳ではない。浮世絵を伝統芸術より下という偏見は、あくまで既成概念、植え付けられた評価でしかない。高尚とか権威によって、押し付けられたものといえる。
庶民のもの(大衆文化)は、低俗である、という訳だ。
しかし、北斎と浮世絵は、権威ある高尚な人たちの考えとは違って、時代を超越して世界で高い評価を獲得し、いまでも人気を集めている。
それを考えると、アニメや漫画が近い未来か、もっと先かに北斎と浮世絵とおなじく、時代を超越した芸術作品となっていてもおかしくはない。
すでにアニメや漫画に着想を得たアート作品は生まれている。また、そこから派生した作品としては、「萌え画」というものが存在している。
もしかしたら、この「萌え画」こそ、日本が世界に発信する次代の芸術作品にもっとも近いかもしれない。現代の日本の息吹を伝える萌えには、世界のどこにもない独自性がある。それは、浮世絵が持っていた独自性にも通じる。
日本の萌えは、世界にどこまで通じるか。また時代を超越できるかーー。
それが、唯一残された課題であるに違いない、と思うがいかに。
ミスター
引用:https://www.highsnobiety.com/2016/10/13/gucci-launches-immersive-collaborative-art-project-called-gucci-4-rooms/#slide-2
グッチのアートプロジェクト「GUCCI 4 ROOMS」(2016)
グッチは、4人のアーティスト(ミスター、真鍋大度、塩田千春、トラブル・アンドリュー)とコラボレーションしたインスタレーションを展示した。
参考:「いでよ、次代の画狂老人」/ピーター・タスカ
ニューズウィーク日本版(2017/08/15&22)
北斎と応為 上
浮世絵師・北斎の娘、応為(おうい)こと葛飾お栄の謎に包まれた生涯を描き出す!
コメント