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■時代と流行|輝くディスコの変遷史 音楽とダンスが日本中の夜を彩った時代

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ディスコの登場で、音楽とダンスは融合した

ディスコが輝いた時代

「ディスコ」といえば、何を思い浮かべるか。それは世代によってだいぶ違うと思われるが、当方などはやはり80年代の六本木を思い浮かべます。

 ディスコは70年代に第一次、第二次隆盛期を迎え、そのあと一旦沈静化し、80年代になると再度復活し、バブルとともに最盛期を迎えます。

 80年代の六本木では、「マハラジャ」をはじめ多数のディスコがひしめきあっていました。現在の六本木が形作られたのが、この頃と思われます。そして後半の「トゥーリア」の事故によって、六本木のディスコの隆盛は終わりを告げます。

 そのあと、90年代になるとディスコは湾岸地区の芝浦などに移っていきます。有名な「ジュリアナ東京」が、最後の徒花を咲かせて、なにかと話題を提供しましたが、それも長くは続かず90年代後半までには多くのディスコが閉店しました。

 そして、夜の音楽とダンスの社交場は、クラブへと移行していきます。(ちなみに、ホステスさんがいるクラブではありません)


ムゲン MUGEN 歌舞伎町
引用:http://discotimemachine.com/tokyo.html

<ディスコ音楽の変遷>
黒人音楽をルーツに、やがてリズムを中心にソフィスティケートされてゆく。基本は電子楽器であり、それは現在のクラブ音楽の祖といえる。

60年代(ディスコ草創期)=ソウル、R&Bという黒人音楽が中心だった
70年代(隆盛期)=ディスコミュージックというジャンルが生まれる
80年代(最盛バブル期)=前半ディスコPOP、後半ユーロビート
90年代(徒花期)=ジュリテク、ハイパーテクノが流行る

<ディスコ中心地の変遷>
赤坂→新宿→六本木→湾岸(芝浦ほか)へ。日本初のディスコは、なんと赤坂で誕生したといわれる。(諸説あるが)そのディスコの名は、「ムゲン(MUGEN)」という、当時の流行の最先端を表現し多くの著名人が訪れたそうだ。

60年代(赤坂)=ムゲン、ジ・アザー(新宿)
70年代(新宿)=ビブロス(赤坂)、ツバキハウス、ワンプラスワン
80年代(六本木)=マハラジャ、トゥーリア、ゴールド(芝浦)
90年代(湾岸)=ジュリアナ東京(芝浦)

<ディスコファッションの変遷>
60年代=ミニスカート、サイケデリック、パンタロン、ベルボトムジーンズ
70年代=サタデーナイトフィーバー、ハマトラ、サーファー
80年代=海外高級ブランド、ボディコンシャス、ゴールドアクセサリー、DCブランド、サーファーファッションなど
90年代=ジュリアナボデコン、コギャルファッション、ストリートファッション

 ディスコの変遷は、夜の社交場と音楽とダンスだけでなく、そこに集う人々(主に若者)の意識・価値観の変遷でもある、といえます。

1960年代 ディスコ草創期


ムゲン MUGEN 赤坂
引用:http://discotimemachine.com/tokyo.html

ディスコ誕生、文化人たちで賑わう

 日本にディスコが誕生したのは、1968年だそうだ。ただし諸説があり、それ以前にすでにあったともいわれている。一般的には、1968年に赤坂にオープンした「ムゲン(MUGEN)」が最初のディスコといわれる。

 当時、流行の仕掛け人として注目を集め始めていた浜野安宏氏(浜野商品研究所)が、企画立案し立ち上げたそうだ。

 この「ムゲン」は、たんなる踊るだけのディスコではなく、流行や文化の発信基地として、当時最先端をゆく文化人などの人々が集う場となっていた。

 例えば、渋沢龍彦、三島由紀夫、三宅一生、加賀まりこ、沢田研二、安井かずみ、前野曜子など。いまでいえば、セレブ御用達の社交場といえるだろう。

 また、60年代当時のディスコは、生バンドが中心だった。70年代からはレコードのみのディスコが主流となる。「ムゲン」では、生バンドの演奏に合わせて踊るゴーゴーガールもいたそうだ。(これはその後のお立ち台につながるか)

「ムゲン」では、店内の仕掛けも凝っていた。非日常的な照明など、その後は当たり前となるが、当時は特別な装置もないのでアナログな仕掛けで、驚くほど効果的な表現方法を生み出している。(冒頭動画を参照ください)

 ちなみに、この「ムゲン」のコンセプトは、「アストロメカニクール」。入り口には「あなたは超越しなければならない」というメッセージが掲げられていたそうだ。また当時は、ディスコではなく、ゴーゴークラブと呼ばれていた。

 60年代のディスコは、まだ一般人には敷居が高く、一部のイノベーター(革新的採用者)たちが集う社交場としての機能だったようだ。

「ムゲン」に若干遅れて、70年代初頭に「ビブロス(BYBLOS)」というスノッブな雰囲気を漂わせたディスコが誕生している。この「ビブロス」は、服装チェックを取り入れた最初のディスコといわれている。

MUGEN伝説“ナチュラルハイ”になれる場所だったね
 三島由紀夫、川端康成、澁澤龍彦、田辺茂一、丹下健三、小沢征爾などの各界大御所たち、若い世代といわれていた横尾忠則、篠山紀信、加賀まりこ、安井かずみ、三宅一生など、こんな大先生たちが毎夜サイケデリックなファッションに身を包んでR&Bしていた店。アイク&ティナ・ターナー、サム&デイブ、コン・ファンク・シャンなどのド迫力ライブの最前列で、タイガースやスパイダースやジャズ界の面々がのりにのっていた、という熱狂の店。


ムゲン MUGEN 赤坂
引用:http://discotimemachine.com/tokyo.html

ディスコ変遷史年表/1960年代

1965年(昭和40年)
◆米のベトナム北爆開始
◆名神高速道路開通
▲原宿族の出現
▲アイビーの流行
<ディスコ関連>
●モンキーダンスの大流行
●銀座モンキー・ア・ゴーゴー開店、そして閉鎖
●テレビ番組でもモンキーダンス・コンテスト
●ダンパの開催(ワンナイト的な踊り場)

1966年(昭和41年)
◆相次ぐ航空機事故
◆いざなぎ景気始まる
▲ビートルズ来日、グループサウンズの流行
▲モッズの流行
<ディスコ関連>
●新宿ジ・アザー開店
●渋谷クレイジースポット開店

1967年(昭和42年)
◆第三次中東戦争勃発
◆ヨーロッパ共同体(EC)発足
▲ミニスカート大流行
<ディスコ関連>
●ゴーゴー喫茶が大流行

1968年(昭和43年)
◆日本初の高層ビル霞ヶ関ビル完成
◆東大紛争、ベトナム反戦運動が激化
◆三億円事件
<ディスコ関連>
●リズム&ブルース・ブーム
●赤坂ムゲン開店→浜野安宏
●ディスコティック・ビートポップス放映
●ゴーゴーダンスの流行
▼日本アミューズメント㈱設立
▼日本レヂャー開発㈱設立→80年代にマハラジャをオープンする

1969年(昭和44年)
◆東名高速全線開通
◆アポロ1号が人類初の月面着陸
<ディスコ関連>
●多分この頃フィリピン・バンドの全盛?

参考:http://discotimemachine.com/index.html

1970年代 ディスコ隆盛期

ディスコが全国に広がる、一般大衆化する

 60年代の先鋭的なディスコの誕生を経て、70年代は、いよいよディスコが一般化してゆく。そして、同時にディスコの平準化が進んでゆく、それまで生バンドとレコードを併用していたスタイルが、レコード中心になった。

 音楽を生バンドなしでレコードのみにしたのは、71年に開店した六本木「メビウス」が最初に行ったといわれる。

 ディスコが一般化するにあたり店の大型化が顕著となり、そのような大箱ディスコの中心地は新宿になっていく。新宿の歌舞伎町界隈では、多い日で3万人ぐらいの人々がディスコを目当てに訪れていたといわれる。

 端的にいえば、ディスコの量は新宿、質は六本木ということができたようだ。(あくまで個人的な見解ではあるが)

 71年、赤坂に「ビブロス(BYBLOS)」というスノッブな雰囲気を漂わせたディスコが誕生している。おなじ赤坂の「ムゲン」とは、秘密の通路で繋がっていたとか、この「ビブロス」は、のちの有名ディスコでは定番となった服装チェックを取り入れた最初のディスコといわれている。

 74年には、六本木に会員制のディスコ「キャステル(Castel)」がオープンした。ここには、ファッション関係を中心に芸能人などが多く訪れたそうだ。

 70年代はディスコブームと言っても過言ではなかった。その現象に最大の功績があったのが、いわずと知れたジョン・トラボルタ主演のディスコ映画「サタデー・ナイト・フィーバー」だった。この映画の主題歌(ビージーズ)も大ヒットし、ディスコへと足を運ぶ人を増やした。

 ディスコの大ブームのなか、日本では独自のステップダンスが流行っていた。ステップダンスは、日本人ダンサーが考案したものであり、日本人特有のみんなで揃って一緒に踊ることを想定したものだそうだ。(のちのパラパラもおなじか)

 70年代後半には、サーファーディスコ・ブームがおきて、にわかサーファー(陸サーファー)で賑わったそうだ。

 そして、70年代も終わりバブルで沸いた80年代に突入していく。

BYBLOS「ビブロス」(’71年~’87年2月15日)
日本で初めて服装チェックを行い、「ディスコティック」を名のる。
服装チェックのシステムを取り入れる。明確な基準はなく、店のスタッフが判断した。このシステムは、流行の先端を自認する人に好評だった。ビブロスに入れるというだけで、ナウいというお墨付きをもらったも同然だからである。このことによりビブロスは毎晩、芸能人や外人モデルなどが集まり華やかな空気が漂った。黒人は入場制限していたので、店内はロックが中心だったという。

ディスコ変遷史年表/1970年代

1970年(昭和45年)
◆大阪万博が開幕
◆よど号ハイジャック事件

1971年(昭和46年)
◆ドルショック
▲アンノン族登場
<ディスコ関連>
●赤坂ビブロス開店
●六本木メビウス開店、以後生バンドを置かずレコード中心に

1972年(昭和47年)
◆浅間山荘事件
◆沖縄が本土復帰
◆日中国交正常化
▲パンダブーム
<ディスコ関連>
●ディスコという名称が一般に広まる

1973年(昭和48年)
◆オイルショック
<ディスコ関連>
●ジェームス・ブラウン初来日
●新宿・六本木カンタベリーハウス開店

1974年(昭和49年)
◆オイルショック、消費者物価急上昇
◆電力不足でネオンが消える
<ディスコ関連>
●六本木ソウルイン・アフロレイキ開店
●バンプの流行
●ソウルミュージック・ブーム
●ソウルトレイン放映(TV)
●ソウルフリーク放送(AM)
●スクエアビル完成(ディスコビル、六本木の夜の象徴となる)
●キャステル開店

1975年(昭和50年)
◆サイゴン陥落、ベトナム戦争終わる
▲神戸発のニュートラ、湘南発のサーファー・ファッションの流行

1976年(昭和51年)
◆ロッキード事件、田中前首相を逮捕
▲ポパイ創刊
<ディスコ関連>
●国際ディスコ会議、ニューヨークで開催

1977年(昭和52年)
▲カラオケが登場
▲キャンディーズ引退

1978年(昭和53年)
◆成田空港開空
▲インベーダーゲームの流行
<ディスコ関連>
●映画サタデーナイト・フィーバーが大ヒット、世界的なディスコブーム
●六本木にサンバクラブ、ネペンタ開店

1979年(昭和54年)
◆東京サミット
▲3年B組金八先生放映
▲ハマトラの流行
<ディスコ関連>
●西城秀樹のヤングマンが大ヒット
●六本木キサナドゥ開店
●サーファーディスコ・ブーム
●原宿歩行者天国に竹の子族出現

1980年代 最盛期・バブル


トゥーリア
引用:http://www.geocities.jp/maharajastory/1top5.html

バブルとともに、豪華絢爛となる

 70年代末期から80年代初頭にかけて、音楽の世界ではテクノ、ニューウェーブが席巻しディスコは若干勢いを失くしかけていた。

 しかし、それも一瞬のあいだであり、まもなく訪れるバブル到来とともにディスコは華麗に復活します。バブルとは言うまでもなく、一部に金余り現象が偏ることであり、そこから発生する動向はやはり夜の遊興の場へと向かっていきます。

 ディスコも豪華絢爛になり、有名な「マハラジャ」というディスコを誕生させました。成金好みのゴールド造りとでもいうような内装が特徴であり、金と欲とがよくマッチングする絶妙な出来具合となっていた。(ある意味では低俗か)


マハラジャ
引用:http://www.geocities.jp/maharajastory/

 この「マハラジャ」を展開した企業グループは、80年代の企業(マハラジャのほかにキング&クイーンがある)らしく、全国チェーン展開をしていきます。北は北海道から、南は沖縄まで、さらにはハワイにまで出店しています。

 バブル成金の紳士とボデコン、ワンレン、ブランド品で着飾った女性とが金づくしの空間で寛ぐというのが、ディスコ「マハラジャ」の世界観でした。

 80年代はバブルの記憶があまりに強烈なため、「マハラジャ」のようなディスコが印象に残っていますが、一方では、クラブの先駆けといわれた「ピテカントロプス」という、音楽や文化的に先鋭的な夜の社交場も誕生しています。

 とはいえ、80年代全体を通して見ると、やはり「マハラジャ」が、夜の社交場としてのディスコを象徴していたのは間違いないでしょう。なにしろ、80年代後半には、グループで100店を超えるディスコを展開していたのですから…。

 1987年、ディスコに画期的な世界観が登場しました。それが、懐古的近未来をテーマとした「トゥーリア」でした。空間デザインは、カルトSF映画「ブレードランナー」で見事な才能を見せたシド・ミードをデザイナーに起用しました。

 宇宙船が不時着したという設定の空間は、近未来感に彩られた凝った造作となっていて、その世界観は当時かなり話題を集めました。

 しかし88年1月、吹き抜けの2階天井から照明が落下し死傷者が出る事故が起こり、開店からわずか半年ほどで閉店となりました。

 この「トゥーリア」の事故は、六本木のディスコバブルを終焉させることにつながっていきます。また、バブル自体も翌年89年を頂点にして崩壊に向かいました。

 ちなみに、「トゥーリア」がオープンした87年には、日本最初のディスコといわれた「ムゲン」、スノッブな人種を集めていた「ビブロス」が閉店しています。

 バブル末期の89年、東京湾岸に芝浦「ゴールド」が誕生しました。

「ゴールド」は、ディスコではなく、どちらかといえばクラブに近いものですが、「トゥーリア」以上に凝ったコンセプトと造作が売りであり、改装費は15億円以上掛かったといわれています。(巨大な倉庫を改装した)

「ゴールド」は、まさにバブル崩壊前の徒花と言って間違いないでしょう。

そんな「GOLD」ですが・・・客層もハンパじゃなかった・・・。
業界人、芸能人は当たり前、抱き合うゲイたち、発狂する白人、ボンテージ姿でムチを振るう女王様、トイレでナニする若者たち、フロア横で座禅を組んで瞑想するお坊さん、そしてここでは言えないような輩も大勢いた。

とても選び抜かれたとは思えない様々な人種が渦巻いていたのだ。
ちなみに「GOLD」では入り口でドアマンがお客を選んで入場させていた、これは満員のため制御するものではなく、誰でも入れて雰囲気を壊さないためだったり、お客を待たせ行列を作ることで「いつも並んでいる」という噂を作為的に作り「GOLD」に入れること自体にステータスを持たせるためだったようだ。

ディスコ変遷史年表/1980年代

1980年(昭和55年)
◆イラン・イラク戦争勃発
◆校内暴力が社会問題に
◆ジョン・レノン、凶弾に散る
<ディスコ関連>
●六本木ギゼ開店

1981年(昭和56年)
◆神戸ポートピア博開催
▲なめ猫ブーム
<ディスコ関連>
●カラス族、ニューウェイヴの出現
▼大阪ジジック開店

1982年(昭和57年)
◆日航機羽田沖墜落
◆ホテルニュージャパン火災
▲女子大生ブーム
▲ミニスカート復活
<ディスコ関連>
●原宿ピテカントロプス開店
●大阪マハラジャ開店
●歌舞伎町ディスコ女子中学生殺人事件

1983年(昭和58年)
◆東京ディズニーランド開園
▲ワンレン・ブーム
<ディスコ関連>
●カフェバー・ブーム、ディスコ冬の時代
▼京都マハラジャ開店

1984年(昭和59年)
▲安全地帯のワインレッドの心がヒット
◆グリコ・森永事件
◆新札の流通
▲テクノカットの流行
▲○金、○ビ ブーム
<ディスコ関連>
●男性の化粧の流行
▼札幌マハラジャ開店
▼マハラジャグループ店舗数50店を越える
●▼東京マハラジャ開店

1985年(昭和60年)
◆つくば科学万博開催
◆電電と専売民営化
<ディスコ関連>
●新風営法が施行され0時以降の営業を禁止
●ハイエナジー(ユーロビート)ブーム
●エリア、シパンゴ開店

1986年(昭和61年)
◆円高不況
◆岡田有希子自殺
◆たけし、フライデーに殴り込み
▲ボディコンの流行
<ディスコ関連>
●日比谷ラジオシティ開店
▼マハラジャ出店ラッシュ
▼マハラジャ祇園開店
▼武道館、大阪城ホールでイベント開催
▼青山キング&クイーン開店

1987年(昭和62年)
◆東京地価高騰
◆国鉄分割民営化、JRに
▲ビリヤード大ブーム
<ディスコ関連>
●ムゲン、ビブロス閉店
●六本木トゥーリア開店
●エムザ有明開店
▼名古屋キング&クイーン開店
▼新高輪、京都プリンスホテルにてイベント
▼デッド・オア・アライブのジャパン・ツアー開催

1988年(昭和63年)
◆ソウルオリンピック
◆内需景気
<ディスコ関連>
●トゥーリア照明落下事故
▼第二次マハラジャ出店ラッシュ
▼武道館でイベント開催
▼マハラジャ、ルピーのデザインを一新

1989年(平成元年)
◆天皇崩御
◆新税法開始
◆ベルリンの壁崩壊
▲おやじギャルが流行語
◆東証、最高値で大納会
<ディスコ関連>
●ランバダが一瞬、流行る
●芝浦ゴールド、六本木サーカス開店
▼マハラジャ・ハワイ開店
▼マハラジャグループ店舗数100店を越える

1990年代 華麗なる徒花期

最後のあがき、狂乱乱舞で幕をとじる

 90年代になると、音楽とダンスの夜の社交場は、ディスコからクラブへと移行する現象が顕著となっていきます。

 そのようななかで、91年、ディスコが時代の流れに抗うかのように巨大ディスコ「ジュリアナ東京」が芝浦にオープンしました。

 この巨大ディスコ「ジュリアナ東京」は、一躍人気を集めてふたたびディスコブームの到来を予感させました。超ミニスカートのボデコンを着て、羽根付き扇子を振り回し、高さ約130cmの巨大お立ち台で踊るという女性たちが、マスメディアでも注目を集めました。女性たちは、セクシーさを競うように踊っていた。

「ジュリアナ東京」は、「ジュリ扇」「お立ち台」という新しい流行現象を生み出し、他のディスコにもそれらは派生していきました。しかし、踊る女性たちの露出度が次第に過激になり、警察の指導でお立ち台が撤去されてしまった。

 お立ち台の撤去以後、以前ほどは盛り上がることはなくなり、94年に閉店となりました。それは、ディスコの最後を飾るに相応しい幕切れだったかもしれない。

「ジュリアナ東京」の閉店後、音楽会社エイベックスが最後の大型ディスコといわれた「ヴェルファーレ」を六本木にオープンする。(2007年閉店)

 一方、他のディスコでは、「パラパラ」が盛り上がっていた。神楽坂「ツインスター」、上野「ARX(アルクス)」、六本木「エリア」などが中心になっていた。

「パラパラ」は、80年代後半に登場した当時はサビの部分しかなかったが、90年代になってから、踊りの振り付けが統一されて、曲の最初から最後まで複雑な振り付けが用意されたものに変化していた。

 世にいう「パラパラブーム」の到来である。90年代後半から00年代初頭まで続いたが、あまりの低年齢化と大衆化により、やがて下火となっていく。

 2000年以降、ディスコは24時閉店が義務付けられる。(東京は、商業地の場合午前1時まで)夜通しが当たり前だったディスコの衰退と、飲食店をメインにDJイベントをするクラブへの移行が進展していった。

 2010年代では、もはやディスコは死語になり、音楽とダンスの夜の社交場は、おおむね「クラブ」と称されるようになっている。

JULIANA’S TOKYO「ジュリアナ東京」(’91年5月14日~’94年8月31日)
イギリス最大のレジャー企業ウェンブリーグループと日商岩井が出資して設立したメガディスコ。ライティングからサウンド、ビデオ、レーザーシステム、そしてサービスまですべてがイギリス直輸入のオペレーションとなっている。内装は女性インテリア・デザイナー、リサ・ダーの感性が生かされ、ハイテク空間と布や木をふんだんに取り入れた柔らかな内装が同居する。

ディスコ変遷史年表/1990年代

1990年(平成2年)
◆バブル崩壊
◆ドイツ統一
◆日本人初の宇宙飛行に成功
<ディスコ関連>
▼キング&クイーン出店ラッシュ

1991年(平成3年)
◆湾岸戦争勃発
◆長崎雲仙普賢岳噴火
<ディスコ関連>
●ジュリアナ東京開店

1992年(平成4年)
◆東京佐川急便事件
▲もつ鍋ブーム
▲コギャルが流行語
<ディスコ関連>
●ジュリアナ・ブーム
●神楽坂ツインスター開店

1993年(平成5年)
◆Jリーグ開幕
◆五十五年体制崩壊
<ディスコ関連>
●全国的ジュリアナ現象
●エイベックス・レイヴ’93開催

1994年(平成6年)
◆松本サリン事件
◆デジタル携帯電話サービス開始
▲ストリートブランドの流行
<ディスコ関連>
●第二次ユーロビート・ブーム
●エイベックス・レイヴ’94開催
●六本木ヴェルファーレ開店

1995年(平成7年)
◆阪神淡路大震災
◆地下鉄サリン事件、オウム騒動
<ディスコ関連>
●小箱クラブの乱立

1996年(平成8年)
◆薬害エイズ・HIV訴訟でミドリ十字が謝罪
▲アムラーの増殖
▲プリクラ、たまごっち大流行
<ディスコ関連>
▼マハラジャ祇園、改装しCKカフェとなる

1997年(平成9年)
◆消費税5%に
◆酒鬼薔薇事件
<ディスコ関連>
●R&Bブーム
●大阪を中心にヨゴレの流行
▼東京マハラジャ閉店

1998年(平成10年)
◆長野オリンピック
◆カレー毒物混入事件
<ディスコ関連>
●渋谷でルミカ・ライトの流行

1999年(平成11年)
▲ガン黒、ヤマンバ・メイクの流行
◆初の「心・肺」脳死移植
◆東海村のJCOで臨界事故
▲ギャルブランドの流行
<ディスコ関連>
●第三次ユーロビートブーム

年表参考:Disco Time machine「ディスコの歴史年表」
http://discotimemachine.com/index.html

参考:都内にあったディスコの一覧表
http://discotimemachine.com/tokyo.html

Let’sDisco -The Best Of Disco Hits-
ディスコ映画の金字塔『サタデー・ナイト・フィーバー』の日本公開(1978年7月15日)40周年を記念して、レコード各社合同で実施する“Disco Feverキャンペーン”のおいしいところを先取りした鉄板コンピレーションが登場!
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