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■時代と流行|現代のポップアイコンを考察する アイドルとコンビニとオタクと何か

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時代を象徴するアイコンは、如何にして生まれたか

 時代には、常に象徴するアイコンが存在している。戦後すぐの時代では、政治=マッカーサーや吉田茂、芸能=美空ひばりなどがいる。50年代では、ロック=プレスリー、アメ車=キャディラックなどがある。

 時代の変遷と共にアイコンは変わっていくが、過去のアイコンは歴史という記憶に刻まれて、そこで永遠の命を授かるのである。

 60年代に登場したポップアートの旗手アンディ・ウォーホルは、そんなアイコンをこよなく愛し、モチーフとして作品に取り入れていた。そしてアイコンは、アートによって新しい価値を与えられることになった。

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作品:アンディ・ウォーホル

<50年代以降のアイコン(サンプル)>
50年代…プレスリー、アメ車、三種の神器、東京タワー…
60年代…ケネディ、モンロー、ヒッピー、ビートルズ、東京オリンピック…
70年代…万博、マクドナルド、セックスピストルズ、インベーダー…
80年代…漫才、ニューウェーブ、ファミコン、東京ディズニーランド、海外ブランド、マイケル・ジャクソン…
90年代…コギャル、プレステ、たまごっち、プリクラ、渋谷系、クラブ…
00年代…IT、 iPod、ユニクロ、ヒルズ、iPhone…

注釈:アイコン=物事を簡単な絵柄で記号化して表現したもの。
時代のアイコン=その時代を象徴する人、モノ、コトを意味する。さらにいえば、流行事象をスクリーニング(選別)し、残されたものである。

現代のアイコン!アイドル、コンビニ、オタクと何か

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作品:村上隆

 2016年現在、日本のアイコンを考えてみる。00年代以降、人物で象徴される存在が希薄となっている。注目された事象はいくつかあるが、どれもモノやコトばかりである。したがって、現象でのアイコンとなってしまった。

その1)アイドル
 現在の日本でアイコンとなる存在を考えると、やはりアイドルは欠かせないと思われる。ちなみに女性アイドルだけでなく、男性アイドルも含めた総称としてのアイドルである。とくに特定の存在ではなく、あくまで全体のイメージである。

 AKB48、ジャニーズはいうまでもなく、グラビア、AV、その他多くの派生アイドルが世に溢れている。そのような現象を時代を顕わす象徴といわずして、何をそういうかであるに違いないと思うがいかに。

 今更感は否めないが、否定するには、あまりにも世にはばかり過ぎている。もううざすぎる存在ではあるが、それでもなお存在感を発揮してやまない。それが現代を象徴するアイドル像である、と思われる。

その2)コンビニ
 コンビニは、いうまでもなく人でもモノでもない。流通小売の業態のひとつである。これまた今更感が強いが、しかし現代のコンビニの進化には、目を見はるものがあるのも事実である。それが当たり前すぎて気がついていないだけである。

 いまやコンビニは、単なる利便性のある小売業態をこえて、モノとコトの流通、金融決済、そしてビッグデータの集積などを行っている。それらを踏まえ、いまや生活インフラの拠点となりつつあるといえる。

 IoTというモノのインターネット化が進展した場合、通販などとおなじくコンビニが、最終的な顧客との接点の場となるに違いない。

 ITにはできない領域を補っている、それが現在のコンビニである。

その3)オタク(拡張するオタク的世界)
 かつて、アニメ(漫画含む)などの2次元の愛好家オタクは、気持ち悪がられた。しかし、時代は変わり、オタクは社会に浸透して現在に至っている。オタクの発生源は、アニメや漫画であったが、もはやその領域にとどまらない。

 現在では、人は何かしらのオタクであると言っても過言ではない。よく考えてみれば、技術者や研究者は、何かの分野のオタクであるといえる。いわば、オタクでなければ、発明も技術改良も行われない。

 そして、その知識の深さや蓄えが時代の扉を開けるきっかけとなった。

 アニメ=オタクの世界は、いま世界に広がっていき、あらゆる分野で新しい領域の拡大を図ろうとしている。それは好む、好まないに関わらず深く浸透してやむことはない。そして、その先に見えてくるものは何かが期待される。

 拡張するオタク的世界には、世界の未来がかかっているかもしれない。

アイドルは、イメージの産物か

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作品:村上隆

 女性アイドルでいえば、70年代は山口百恵、80年代は松田聖子、中森明菜、90年代は停滞したが、00年代にはモーニング娘。が現れて、そしてAKB48と繋がっていく。現在、アイドルに飛び抜けた存在はいない。いずれも「帯に短し襷に長し」というオーラのないアイドルばかりである。

 しかし、それが現代のアイドルを象徴している。「十把一絡げ」で、はじめて存在価値があるという、総体としてのアイドル像の誕生である。

 総体としてのアイドルを認知させて広めたのは、モーニング娘。であり、AKB48がそれを決定づけたのは言うまでもない。現在では、ピンのアイドルは皆無であり、たとえ登場しても総体的アイドルを前にして消えていかざるを得ない。

 現代のアイドルに、70年代や80年代のアイドルのようなオーラは意味がない。大勢のなかの一人として、いかに光る(ポジションを得るか)か、それによって価値が決まってくる。しかし、その他大勢がいるからこそ、光るのであって本当の輝き(山口百恵や松田聖子のような)ではないのは言うまでもない。

 現代のアイドル=総体的アイドル像は、ファン(固定化した顧客)の妄想が生んだ象徴であるかもしれない。アニメや漫画の2次元、そしてゲームの仮想現実の延長に総体的アイドルが存在している。

 アイドルファンは、特定のアイドルを応援しているが、それはその他大勢の競争相手が見える存在であるがゆえに価値がある。単なるピンのアイドルでは応援のしがいがなく、それは、どこかゲームの感覚に似ていると思われる。

 したがって、生身な人間性がどこか欠落した存在であり、それが現代のアイドルを表している。それは、まるで鵺のような存在、捉えどころがなく、その実態は化け物と言ってもいいだろう、それが現代のアイドルの正体である。

 そのような、総体的アイドルの時代がいつまで続くか。それは知る由もないが、あるときファンが、ゲーム的アイドル世界にリセットのスイッチを入れたとき、あっという間に時代は変わるだろうと思われる。

 それは案外近い未来のような気がするがいかに。

<次ページに続く>

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