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■時代と流行|テレビの栄枯盛衰 その行方は

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時代は変われども取り残されるテレビか

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テレビっ子に見放される昨今のテレビとは如何に?

1964年の東京オリンピックを機にテレビ受像機は世帯に広く普及した。それ以後は、テレビがメディア界の新しい王として君臨する時代となった。そのメディア界の王は、昨今では存在価値を落とすばかりである。もはや70年代、80年代の面影をそこに見る事はないに等しい。

思えば、テレビの過度期は80年代に若い世代が、スーパーファミコンをテレビ受像機を通してゲームに使用し始めたことにあったか。それは90年代に入りより加速していった。ゲームの時代のはじまりであった。若い世代はテレビを視聴するよりゲームを選んでいたのである。

90年代は、ゲームとテレビ受像機の幸せな融合期であった。しかし、それも00年代に入るとあっという間に変わってしまう。

00年代になりインターネットの環境が進展するとテレビ離れはまた進んでいった。世の中の趨勢はPCとネットの時代となったのである。ゲームもテレビ受像機を離れてPCや携帯端末に移動し始めていた。ネットに懐疑的であった旧世代はあっという間にとり残された。そして、いつの間にかテレビもネットに依存するようになっていた。

10年代に入るとPCからより個人の領域に近い端末スマートホンへとネット環境は移っていた。もはや、そこにはテレビというマスの面影はない。一方的な押しつけしか出来ないメディアの価値を重要視しなくなっていた。ネットとスマホという身体的なメディアの発達によって、テレビ、新聞のプロパガンダに否応無く気付いていた。そして、それはさらにテレビを遠ざけさせていた。

すでにテレビを見ていないと学校で話が合わない、などという話はいつの時代かというところまで来てしまった。2014年現在では、スマホがその座に君臨している。スマホとネット環境(LINE等のアプリ)が、若い世代の必需品でありすべてと言っても過言ではない。

当該ユーザーは、テレビが普及し終わった後に子供時代を過ごした。したがって、当然のようにテレビっ子であった。テレビが娯楽の中心にあったのである。そんな当該ユーザーもずいぶんと前からテレビを見なくなってしまった。いつ頃からか、テレビ受像機の前で1時間、2時間と過ごすのが苦痛に感じるようになっていた。

最近では、夜のニュースをみるぐらいである。まったく、見ないときも多くなった。かつてテレビっ子であったことを考えると隔世の感がある次第である。いやはや、ここまで時代は変わったかである。

2014年にテレビで連続して観ていたのは、「指原の乱」と「ファーストクラス」だけである。(ニュースは除く)しかし、この趣向性はなんだ?。恥ずかしながら自分でもよく分からない。

それはさておき、一時代を築いたテレビというメディアは今後どうなるか。実は、あんまり興味がない。何故なら、いまテレビを観なくても困る事がないからである。ここに、いまのテレビの置かれた問題が集約されていないか、と思う次第である。あしからず。

4Kという高画像で観るに値するテレビ番組があるか。それは、言うまでもないがほとんど無いに等しいはず。バラエティーに高画像で観る価値があるか。個人の趣向性の問題であるが、4Kテレビにもそれを拒否する権利はあるかもしれない。

2020年に東京で開催されるオリンピックに際し、今度は何が新たに普及することになるのか。そのとき既存のテレビ局はメディアの中心に居られるか、興味のあるところである。

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テレビの衰退は、制作の現場にあるか!?

テレビ業界が浮かれていた時代はとっくの昔に終わったはずであるが、制作の現場では相変わらずの浮かれ気分が支配しているようである。あまり危機感がないのだろう。一時代を築いたテレビの世界では、変わる事への拒否感が支配しているように思われる。

いまテレビは24時間に近い体制で放送がされている。しかし、普通の生活者なら一日の大半でテレビを観る機会はないはずである。それを思うと誰に向けて24時間近く放送しているかという疑問が浮かぶ。

ある記事に次のようなものがあった。某作家が取材時に放送局のディレクターがテレビの実態を語ったものである。

「昼間っからテレビを見ている視聴者って、どういうひとかわかりますか? まともな人間は仕事をしているからテレビの前になんかいません。暇な主婦とか、やることのない老人とか、失業者とか、要するに真っ当じゃないひとたちが僕らのお客さんなんです。彼らをひとことでいうと、バカです。僕らはバカを喜ばせるためにくだらない番組を毎日つくっているんですよ。あなたの役に立つ話ができるわけないでしょ」

彼によれば世の中の人間の大半はバカで、1000万人単位の視聴者を相手にするテレビ(マスコミ)の役割はバカに娯楽を提供することです。その一方で、テレビは影響力が大きすぎるので失敗が許されません。そこでテレビ局はジャーナリズムを放棄し、新聞や週刊誌のゴシップ記事をネタ元にして、お笑い芸人やアイドルなどを使って面白おかしく仕立てることに専念します。これだと後で批判されても自分たちに直接の責任はないわけですから、番組内でアナウンサーに謝らせればすむのです。

「バカだって暇つぶしをする権利はあるでしょ」彼はいいました。「それに、スポンサーはバカからお金を巻き上げないとビジネスになりませんしね」

テレビはバカに娯楽を提供するメディア
http://www.tachibana-akira.com/2014/06/6473

なんだか、昨今増えている詐欺的商売と同じ匂いがする。まるでオレオレ詐欺のようだ。結果や未来に対して何の展望もありゃしない。

テレビ局の社員ディレクターであれば、高学歴で狭き門をかいくぐって入社したはずである。しかし、その高学歴でこれである。そもそも高学歴ってなんだと思うしかない。そこら辺りから変えないとテレビの未来はないかも。違うか。

しかし、テレビ局にはそれを変える気はさらさらないようである。つい最近であるが、テレビ局に内定した大学生たちが揃ってコンパ?をしたそうである。そのなかで、内定した大学生は「おれたちってすごくね」と言っていたとか。

たぶん世の中をリードする気分なのではないか。もはや時代は変わっているってのも気付かない人材で大丈夫か。と他人事ながら感じた次第であった。

人事の選定基準が時代遅れなのか。それは知らないが、こんな程度かと思うしかない。試験に受かる能力や学歴はあっても、それが果たしてテレビの未来を築く人材とは限らない。しかし、テレビ局はどうやら旧態依然とした体制のままであるようだ。

もはや特にテレビ局に期待するものは何も無いから、このまま衰退してほしいとさえ思う昨今である。いやはやである。

なお、上記内容はすべて事実に基づいたものではなく、推測を含んだものであることをお断りしておきます。

<バカが多いのには理由がある>
私たちはみんな、進化の過程で「ファスト思考」を埋め込まれた「バカ」である。
ニッポンの“右傾化”も、“正義”をめぐる政治思想の対立も、
メディアの“誤報”や“捏造”も、すべてはそこから始まっている――。

バカが多いのには理由がある

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