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■時代と流行|横尾忠則のデザイン モダンから情念へ

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状況劇場ポスター(1966) 世界も認めた60年代の横尾デザインを代表する作品

時代はモダン、それに反旗を掲げたデザインがあった

横尾忠則 反モダンから情念的デザインはいかに生まれたか

日本が工業先進国となるために、モダンは必然であったといいだろう。
そうした背景の中で、横尾忠則は日本の通俗美=反モダンをもって登場した。

1960年代初頭、日本は64年のオリンピックを目前にして近代国家へと変貌しようとしていた。それは世界に恥じる事のない表層を整えることでもあった。そして、日本的風土から生まれた情念的なものは排除されていった。装飾過多はモダンではない、機能優先こそモダンであり、そこに人の心が入り込む余地はなかった。

デザインの世界では、モダンこそデザインという考え方が主流となっていた。世界に追いつけとばかりに、デザイナーたちはモダンを追い求めた。そこから、外れるデザインは異端とされる風潮となった。いわば日本のデザインの近代化が始まっていた。それは、日本が工業立国化するのと同期するように行われていた。

そのようなモダン志向が支配するデザイン界に突如現れたのが、横尾忠則氏(以下敬称略)の情念的デザインであった。そのデザインは、モダンを志向する業界人が忌み嫌う古い日本の意匠を巧みに取り入れていた。しかし、それは単に日本的な通俗美を再現したもではなかった。懐かしくもあり、と同時にその表現は新しくもあった。

どこかで見たような気がするが、しかし、どこにもないデザインと美の様式であった。それは、横尾忠則のデザインとしか言い様がないものであった。

モダンは、60年以降の日本では言うまでもなく主流となっていく。その主流が大きければ、大きい程にその流れに反するものは異端視されて退けられる。しかし、幸いにも、横尾忠則には時代が味方となってその表現に価値を与えた。いわば、主流があれば、傍流もありとして認められた。

横尾忠則の反モダンと共通するような動きが、演劇や映画の世界でも起きていた。それは、欧米の価値観に基づいた原作や理論ではなく、日本固有の歴史性やその背景にある情念をモチーフとしたものであった。

60年代は安保の季節に始まり、学生運動が最も盛んとなっていた。一方では、国家は先進工業国となることを目指していた。その結果、欧米方式の価値観が導入されていくことになった。それは、近代国家に向かう日本のターニングポイントでもあった。そして、日本人固有のまじめさでそれを見事に成し遂げた。

横尾忠則のこの時代の作品群は、主流の影に咲いた時代の徒花ということもできる。しかし、その徒花は華々しく、毒々しいまでに花開いていた。

その証拠に、アメリカのニューヨーク近代美術館は、横尾忠則が制作した状況劇場「腰巻きお仙」のポスターを60年代で最も重要な作品として選んだことで示されている。デザインの美的価値としては、当時の日本のモダンは横尾忠則の反モダンに敵わなかったともいえるだろう。

しかし、横尾の反モダンデザインが、60年代以降の日本デザインの主流とはならなかった。それは今更言うまでもないことである。

ちなみに、横尾忠則の60年代は、24歳〜33歳であった。64年頃から独自の境地を切り開いたと言われている。したがって、60年代の作品の多くは僅か6年ほどの間に作られたものであった。いかに驚異的なペースで作品を生み出したかが分かる。

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舞踏のポスター(1965) 横尾デザインの記念碑的な作品

<横尾忠則の情念的デザイン誕生秘話>

60年代初頭の頃、横尾氏は日本デザインセンターに入社した。(当時のデザイン界の最高峰といわれた)念願叶って入社した会社であったが、幸か不幸か手を怪我して仕事ができない状態となってしまった。それから半年も治療に専念し会社の同僚が仕事をするのを横から見るだけであった。

そうしたなかでも、左手や口でイラストレーションを描いていた。そのときにデザインにおける情念の復活という考えが浮かび、幼児体験(家が呉服屋)であった意匠ラベルの土着的なイメージを、自身の過去の記憶の体験として表現しようと考えたそうである。(68年「展望」東野芳明との対談より)

ちなみに、横尾忠則のデザインは実はモダンという説もある。何故なら、モダンとは革新であるから、クラシックを越えてなるものである。横尾のデザインはクラシックを再現するものではない。したがって、モダンの定義上ではその範疇に入るのかもしれない。なお、あくまで想定である。

60年代では、アメリカにアンディ・ウォーホルが、そして、英国ではビートルズが登場した。日本でそれに比較できるのは横尾忠則しかいない。そういう意味では、革新性があったのは間違いないだろう。

デザインの世界では、横尾忠則以後と以前とに別れると思われる。モダンに一石を投じたそのデザインは、多くのデザイナーに勇気を与えたはずだ。しかし、それを継承するデザイナーはいるかといえば、見当たらないのが現状ではないか。

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天井桟敷ポスター(1967)

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版画展のポスターでありながら、一番注目されたとか(1968)

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土方巽と日本人ポスター(1968)

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横尾忠則が主演した大島監督作品のポスター(1968)

当方は残念ながら60年代の横尾デザインを実体験していない。おなじく状況劇場も、天井桟敷も体験していない。上記したことは時を経て書物等から知ったことである。とてもエネルギーに溢れた時代であり、閉塞感のある現代とはかなり違っていたと思われます。

横尾忠則さんが、横尾忠則さんを解説するって?(ほぼ日刊イトイ新聞)

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横尾忠則全ポスター
横尾忠則全ポスター

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