現実感のない不思議な東京の光景
文化の狭間のなかで出会った二人の行く末は…
ソフィア・コッポラ監督の出世作。自分の人生に戸惑う二人は、不思議の街「東京」で出会った!。そして、その行く末はいかに。
この映画は、東京が物語の重要な背景となって描かれている。しかし、そこに映る東京の光景は、日本人からしたらなんとも魅力的ではない。何かが違っている。これには個人差があるが、少なくとも当方はそう思った。外人さんの目には、このように東京が見えるのだろうか。実に摩訶不思議な東京である。
それとも、ソフィア・コッポラ監督は意図的にそうしたのか。
まるで霞がかったように、または曇りガラスの向こうにあるかの様に東京が見える。そこにあるのは、非現実的な世界である。遠い異国から東京にやってきた二人の男女は、周囲とは明らかに違っている。その環境に溶け込むことはなく、まるでスポットライトが当てられたように目立っている。
それは主人公ということもあるが、東京は夢か幻のごとく現実感がなくSF映画のなかに紛れ込んだようだ。主人公たちは、そんな異国の環境に戸惑いながらも、それをまた楽しんでもいる。「文化の差異に戸惑うこと、そこに異国にいる意味がある」とでも言ってるかのようだ。なお、あくまで個人の見解である。
中高年の俳優の男は、金を稼ぐために。若き人妻は、カメラマンの夫とともに「東京」にやってきた。
中高年の男(ビル・マーレイ)は、なんだか疲れ果てたように見える。なんだかよく分からないままに遠くに来てしまった、という感情が半端なく表情に現れている。かれは、2億円のオファーで広告に出演するためにやってきた。ちなみに、サントリーウイスキー「響き」の広告である。
日本人の演出家やカメラマンの指示に戸惑いながらも、なんとか撮影をこなしていく。しかし、ホテルに帰れば異国の地でなんとも言い難い孤独感を味わう中高年の一人となっていた。なんで、オレはここにいるんだろう?。そんな雰囲気が体全体から漂っているかのようだ。
一方、若き人妻(スカーレット・ヨハンソン)は、カメラマンの夫に付き添って東京にやってきた。しかし、夫は仕事が忙しくいつも一人で置いていかれる。夫は、「愛してるよ」というが、その言葉は空しく響くばかり。一人残された彼女は、東京の街を彷徨い、多くの摩訶不思議な情景と出会っていく。
そのようななかで、異国の地で戸惑い揺れ動く二人は出会った。それは、まるで必然であったかのように。そして、おなじ境遇にあることを察したかのように親愛の情を深めていく。出会いは偶然に、しかしそれは必然に。
二人は、その親愛の情の証として摩訶不思議な東京の街を探訪していく..。そして、そこで出会ったものは、非現実的でまるでつかみ所がない。それは、中高年の男と若き人妻の関係性を象徴するかのように。
もどかしい想いが残るまま、物語は後半となり中高年の男は帰国の日を迎える。しかし、このままでいいはずはない。そして帰国の日、男はハイヤーで空港へ。一方、若き人妻は東京の雑踏の中へ…消えていくと思われた瞬間、彼女の背後から呼び止める声がした。空港へ向かった中高年の男であった。
そして、中高年の男は彼女を抱きしめて何事かを耳元で囁いたあと去っていく。一人残された若き人妻は、微笑みながら男の後ろ姿を見送る。そして、後ろを振り返りつつ東京の雑踏のなかに消えていった。
中高年の男と若き人妻の関係性には、その先に何があるのか、ないのか。それが気に掛かるが。映画はそんな余韻を残しながらエンディングとなるのであった。
「ロスト・イン・トランスレーション」の意味とは何か。
トランスレーションは、翻訳という意味だそうだ。それをロストしたということか。要するに「意味が分からない」ということではないかと思うがいかに。
パークハイアット東京 無国籍?な趣のホテル空間
このホテル空間のコンセプトは、タイムレスだそうだ。
映画の重要な舞台となっていたのが、東京の新宿にある「パークハイアット東京」であった。中高年の俳優と若き人妻はここに宿泊していた。窓からは、東京の景観が一望できる。若き人妻の部屋からはドコモのタワーがすぐ近くに見えていた。
この「パークハイアット東京」は、外人さんにとても人気が高いそうである。94年の創業以来、その人気は衰える気配はないとか。ちなみに、ソフィア・コッポラもお気に入りだそうである。このホテルに関しては、「ロスト・イン・トランスレーション」の撮影時の状況も含めて以下のリンク先に詳しくあります。
#謎1|パーク ハイアット 東京、その謎(エキサイト・イズム)
このホテルでの撮影は困難を極めたそうであり、後にソフィアは「マリーアントワネット」よりずーと困難だったわ」と語っている。なにしろ、当初は断られていたようだ。ホテルとしてはお客様の迷惑になると考えたのだろう。
しかし、映画がヒットしたおかげでホテルの名前も世界中に知れ渡った。ある意味では、幸福な出会いとはこういうものなのだろう。結果よければすべて良しとなる。いまでは、映画の舞台となったホテルに泊まりたいと思う人々も多いとか。
若き人妻は、何故か部屋の中ではパンティ姿である。
スカーレット・ヨハンソン演じる若き人妻は、ホテルの部屋に一人でいるときは決まってパンティ姿でいる。ちなみに、映画のタイトルバックもスカーレットが淡いピンク色のパンティを付けたお尻のクローズアップからはじまる。
この淡いピンクでしかも薄そうな生地のパンティには、ソフィア・コッポラが込めた何かしらを象徴していると思われる。それは邪推かもしれないが、東京の光景がなんだか薄ぼんやりとしているのと共通しているようだ。違うか。
薄ーいパンティの生地の向こうにある本体、あるいは本質はいわばベールのように隠されている。ベールに隠されているからこそ、その魅力は増すということかもしれない。
こんなことを考えるのは、男ならではの発想だろう。しかも、中高年のである。
このタイトルバックで思い出したが、1980年代の一時期流行った美術様式にフォトリアリズム(またはスーパーリアリズム)というものがあった。そのなかに、女性がパンティを履いたお尻を大写しにして、しかもリアルに描いた絵画があった。
ソフィア・コッポラもそれをどこかで見たはずと思うが、いかに。構図はほとんどおなじだから、きっとインスパイアを受けたのではないかと想像する。
それはさておき、スカーレット・ヨハンソンの魅力が満喫できる映画には間違いないだろう。しかも、とても若いスカーレットはなんと輝いていることだろうか。なお、いまの大人のスカーレットも魅力的なのは言うまでない。
■ロスト・イン・トランスレーション(Lost in Translation)
監督・脚本・製作:ソフィア・コッポラ
製作総指揮:フランシス・F・コッポラ
主演:ビル・マーレイ
:スカーレット・ヨハンソン
公開:2003年(日本2004年)
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