壮大なスケールで描いた、モンド的戦争映画の傑作!
ジャングルのなかの王国
地獄の黙示録は、ベトナム戦争映画のブームを先駆けた
コッポラの映画といえば、「ゴッド・ファーザー」か「地獄の黙示録」のどちらかが思い浮かぶであろう。それぐらい有名な作品である。本作は、「ゴッド・ファーザー」の成功で得た資金と信用を糧にコッポラが自ら製作した戦争巨編である。しかし、その製作には、幾多の困難が待ち受けていた。
かれは、それらの困難をなんとかくぐり抜け作品を完成させた。あと一歩で破産であったが、このときは何とか切り抜けたのであった。しかし、後年には実際破産したのであった。
この映画は、元はといえばジョージ・ルーカスとジョン・ミリアスという同じ大学で映画を学んだコンビの企画であった。脚本はミリアスが担当した。しかし、ルーカスは、「スターウォーズ」を製作するためにこの企画から降りた。変わってコッポラが譲り受ける形で映画を製作することになった。当初は、比較的、低予算の映画にするつもりだったようである。
しかし、企画を進めるうちに大作の様相を帯びてくるようになった。それでも、コッポラは自宅を抵当に入れてまで資金をなんとか工面し製作を続行させた。
ミリアスの最初の脚本は、まるで「ランボー」のようなものだったらしい。ジョセフ・コンラッドの小説「闇の奥」を基にしつつ、アクション主体の戦争映画というものだったようだ。それは、やたらと銃をぶっ放しベトコンをやっつけるという趣旨だった。ミリアスは右傾化した体質があるようだ。自身はベトナムに身体検査で不合格となり行けなかったことを悔やんでいる。
そんなミリアスだから、銃や兵器をぶっ放し、敵をやっつけるという脚本は自らのカタルシスを解決する方法だったのかもしれない。
しかし、コッポラはミリアスの脚本を却下し、自ら書き始める。コッポラの脚本はより「闇の奥」へ忠実な内容であった。それは、川を上流へと遡りながら、途中で様々な出来事に遭遇するというものであった。しかし、実際に撮影を開始すると脚本の出来に不安を感じて、またミリアスに脚本を依頼している。
それでも、納得しないコッポラは、撮影現場であるフィリピンで脚本を執筆している。最大の問題は、ラストをどうするかであった。悩みに悩んだ末、ジェームス・フレイザーの「金枝篇」から引用した、なんとも意味不明な難解な台詞回しが生まれた。
それは、苦肉の策としか言いようのないものであったが、なんとかそれで辻褄を合わせて映画を完成させたのである。映画の公開後、このラストシーンは難解だが哲学的とか評価する向きもあったが、実際はそんな考えがあった訳ではないようだ。
とにかく、そうするしかなかったというのが実際のようだ。なにしろ、マーロン・ブランドは太っていてアクションなどは出来ない体だったのだ。
ワルキューレを鳴らしながら突撃するヘリ
地獄の黙示録|ストーリー
たぶん、多くの方が観た事はあると思いますが、一応あらすじを書いておきます。
ベトナム戦争末期のサイゴン。陸軍の秘密作戦に従事するウイラード大尉は上層部に呼びつけられた。そこで、陸軍のエリートであった元ゲリーンベレーのカーツ大佐の抹殺を命令された。カーツ大佐は軍の命令を無視し、自分の軍隊を組織しカンボジアのジャングルに自らの王国を築いていた。
ウイラード大尉は哨戒艇に乗り、川を遡っていく。そして、その途中には様々な戦争の狂気が満ちあふれていた。
サーフィンをするためにベトコンの拠点を攻撃するヘリ部隊の司令官、ジャングルのなかに突如表れたプレイメイト、司令官のいない最前線で混乱の中戦う兵士達、様々な狂気に出会う中で、哨戒艇の乗組員も平衡感覚を失っていく。幾多の困難を乗り越え、辿りついたカーツの王国は異様な雰囲気に包まれていた。
ウイラードはカーツと言葉を交わすうちに、その思想や態度に動揺した。しかし、現地人の祭りの日、ついにカーツの抹殺を実行した。
ウイラードは、残った乗組員一人とともに静かに舟を出し王国を抜け出す。後には、空軍による爆撃が待っていた。紅蓮の炎に包まれる王国とジャングルが赤々と染まっていた。
プレイメイトの慰問団
<スタッフ>
製作・監督・脚本:フランシス・フォード・コッポラ
脚本:ジョン・ミリアス
音楽:カーマイン・コッポラ
撮影:ヴィットリオ・ストラーロ
公開:1979年=米 1980年=日本
<キャスト>
マーロン・ブランド
マーティン・シーン
ロバート・デュヴァル
デニス・ホッパー 他
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